泉城の古代日記 コダイアリー
  • 22Dec
    • 偽書

      <偽書> 井頭山人さんから偽書にかかわるコメントをいただいたのを機にあらためて偽書について一言触れたいと思います。 一般的には偽書というと内容が誤っている書物のことであると受け止められる場合が多いと思います。しかし、偽書とは、製作者が異なること、製作時期が異なることとなど、その文書の作られた経緯や由来が偽られている書物を指すのであって、内容の一部に虚偽がある文書は偽書ではありません。 どの古文書にもおおかた間違いはありますから、内容の一部に誤りがある古文書を偽書としたら、すべての古文書が偽書といっても過言ではないということになります。 ところが、古文書の多くには、偽書説がつきまといます。<古事記> たとえば、よく知られていることですが『古事記』も偽書であるという説があります。『古事記』は、和銅五年(712年)に完成し、『日本書紀』は、養老四年(720年)に完成しており、『古事記』の完成の方がわずかに古いですが、『古事記』の内容には新しい部分があるという考えから、『古事記』は『日本書紀』よりも後代に編纂されたものとして偽書とする説があります。 『古事記』編纂に携わった太安萬侶の墓誌には、『古事記』に記されたのと同じ「太安萬侶」と記される一方で『日本書紀』には「太安万侶」と簡易な文字で表記されていますので、『古事記』の内容は信頼があるとされる考えもありますが、その反面、墓誌には輝かしい功績である『古事記』編纂のことが一切記されていないという問題があります。 『続日本紀』は、延暦十六年(797年)に完成し、文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦十年(791年)までの歴史を記していますが、ここには『古事記』編纂のことが書かれていません。『日本書紀』の成立については『続日本紀』にちゃんと記されています。『続日本紀』はなぜ『古事記』成立を記載しなかったのか疑問が残ります。 また『日本書紀』は「一書に曰く」と他文献を多く引用しますが、なぜ、ここにも『古事記』が登場しないのかわかりません。 公の史書に『古事記』成立の記載がないことなどから、後代につくられた偽書ではないかということになります。江戸時代の国学者、賀茂真淵がその偽善説の代表でしょう。 さらに、なぜ二つの歴史書がほぼ同時期に、ほぼ同内容で存在しているのか、これも不思議です。 しかし、公の史書に記載が無いから、直ちに後代に編纂されたというのも変です。他の理由も考えられます。たとえば、公の史書ではなく私的な書物であったとか、未完成で没になったとか、公文書とすることに反対の声が大きかったなどが考えられます。私は『古事記』と『日本書紀』は性格が異なる書物なのだと思います。 『日本書紀』は、まさしく日本の正史で編年体できちんと時代順に整理された歴史書です。少なくとも様々な伝承がある中で、神代については「一書」を掲げて公平な姿勢で記述され、それ以後はそれぞれの天皇に相応しいように勝者が捉えた歴史を記述したものです。  これに対して『古事記』はその書名にあるとおり古い伝承を記したものでしょう。もう少し踏み込んで言えば、出雲を中心に特徴あるエピソードを物語風にして興味をそそるように仕上げてあると思います。 記紀ともに原本はなく概ね鎌倉時代に書写された写本が残っているのみです。『古事記』では写本の系統によって語句に様々な違いがありますから原本から写本に至るまでの間に文字が変化したことがうかがわれます。 日本の歴史を語る時には、記紀の記事にどこかで頼っていますから『古事記』を偽書としてレッテルを貼ってほとんど信用しないという姿勢はいただけません。万一、偽書すなわち編纂時期が遅かったとしても内容が全て間違っているわけではありません。 『日本書紀』にも内容に疑義があるとされ、平安時代の嵯峨天皇により再編纂されたものではないかとする説があります。 しかし、『日本書紀』は日本の正史ですから、万一、後代に修正された部分があったとしても、われわれ日本人や日本の由来について公式に認められた唯一の史書です。勝者から見た歴史であるとしてもおおかたは事実と認めないと文献史学の研究は一歩も進みません。 どんな古文書も、まずその記述内容を十分に把握したうえで、どのように考えても奇妙な記述と思われるところは批評するとともに自らの解釈を示すべきと思います。 もし、記紀の記事について基本的に信用しないという考えの持ち主であれば、その記事を採用する場合には、なぜ信用できるのか必ず明確にしてから採用すべきでしょう。ところで、一般に『古事記』には「八千矛」と記されていることになっていますが、最古の写本である真福寺本には「八千弟」(やちおと)とあります。「矛」の異体字には下図のようなものがありますが、「弟」の文字とは明らかに違います。特に冠に「ソ」が無いのが決定的な違いです。 真福寺本には、次の通り「八千弟」とあります。これを従来「八千矛」と呼んできたわけです。写真の2行目には「兄弟」の文字があり間違いなく「弟」です。もし、この真福寺本が本来の姿であれば、「八千矛」は後代に作られた語句ということになるでしょう。             真福寺本 40頁<富家(向家)の伝承> 12月にあった古代史の研究会で、『古事記の編集室』(斎木雲洲著、大元出版、2011年)を読んでみてと渡されました。この本の著者である斎木雲州の父は、アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)の直系子孫とされる富當雄(とみまさお)です。 古代出雲王家の末裔、富當雄さんの息子さんが著者であることから、この図書には重要な伝承が含まれていると思われますが、出雲における伝承の根拠がほとんど示されていないところと、著者の推理との区別がつかないところが気になります。 たとえば、須佐之男命の本名は、徐市(徐福)で、中国から出雲へ来てイザナギ・イザナミの子孫である大国主命と事代主命の二人を殺害したとされます。その徐福は秦始皇帝を騙して日本に渡来したので、記紀では中国側に徐福の名を隠して須佐之男命と記したとします。ではなぜ国内向けの『出雲國風土記』には徐福の名が一度も表れていないのか説明ができません。 スサノオが徐福である可能性はあったとしても、それは出雲でいつから伝承されているものなのか、さらに関連する遺跡が重要です。というのも徐福伝説は三重県熊野市や和歌山県新宮市を始め全国のあちらこちらにあります。愛知県においても一宮市や豊川市に伝説があります。また、徐福が求めた地である蓬莱(ほうらい)は、新城市に鳳来(ほうらい)寺山があり徐福の子孫が繁栄していたとの伝承があります。スサノオについても徐福とは別に各地に伝承があります。この点でも同一人物とするのは疑問に思われます。 やはり、根拠が明確でないものは信用されません。この本に書かれていることが事実だとしても残念ながら検証のしようがありません。 また、先に述べたとおり、出雲八代目主王オオナモチの本名が八千矛(やちほこ)とあるのも気になります。<竹内文書> 古代史の有名な真偽論争になった古文書として、竹内文書があります。 神代文字で記された文書とともに、武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本がありますが、古代の文書を装った偽書とされます。 平群真鳥の子孫とされる竹内家の養子と自称する竹内巨麿が興した皇祖皇太神宮天津教の聖典とされます。異質な神代史や皇統譜を説いて普及したことを理由に不敬罪で起訴されたものの、裁判所の権限を超えた宗教問題であることや証拠不十分で無罪となっています。 個人の思想・信仰の自由は、憲法で保障されており、個人で親しみ楽しんでいるうちならば全く問題ないのですが、他人を巻き込んで結果として社会を混乱させる事案であれば取り締まるのは当然のことではないかと思います。教団が所有している神宝が本物の「三種の神器」と主張しているのは、明らかに天皇の侮辱に値しますので、裁判官が証拠不十分などとして判断を逃げたような状況となったのは適切ではありません。本来であれば竹内文書などについて科学的、専門的な意見を踏まえて結論付けていただきたかったと思います。 裁判官が判断を事実上放棄したため竹内文書の真偽はよくわかりませんが、昭和時代に興された新興宗教に絡むとすると竹内文書の信憑性は甚だ低いと思われます。 なお、神宝を含む竹内文書約4,000点などは裁判所に提出されたものの返還されず、原本などは太平洋戦争中の空襲により焼失したとされています。この真偽もよくわかりません。ただ、古写本の一部については活字本として一般に発売されており内容を確認できます。<東日流外三郡誌> また、有名な真偽論争になったものに『東日流外三郡誌』があります。記述内容そのものや写筆した和田喜八郎氏には不審な点も多々見られるようですが、裁判上は著作権侵害は認めたものの偽書であるとはいえないという判決になっています。 『東日流外三郡誌』についての偽書論者の真の狙いは、『東日流外三郡誌』など和田家資料の真偽如何よりも、『邪馬台国はなかった』の著書により当時一世を風靡した古田武彦氏個人を中傷して、古田氏が主張している多元史観や九州王朝説の研究を妨害し貶めることのように思われます。このため学問的な批判ではなく感情的な中傷として古田武彦説がトンデモ説であるとのキャンペーンに『東日流外三郡誌』が利用され、これを偽書とレッテルを貼ることにより、古田武彦も偽書を信ずるとんでもない人物であると流布しようとしたものと思われます。 古田武彦は大正十五年生まれの気骨ある学者で気難しいところもあり世渡りが旨い方ではありませんから、論争の中で多くの研究者と仲たがいしています。 一方で、既存の学説では物足らなかったりうまく説明できていなかった古代史の通説に疑問を抱いた一般市民からは古田武彦説に多くの賛同が集まり在野の研究グループが各地にできたため、これと考えを異にする一部の研究者においては、不満がくすぶるとともに個人的な妬みや恨みで妨害しようとされたものではないかと思います。 定説と言われるものは、一つ一つの仮説としては成立しても、総合的に見ると相互にちぐはぐになっています。古田武彦説は歴史全体を俯瞰しながら説を提唱していますので仮説間の連携がまずまず整合しており、既往の仮説よりは納得できる理論となっています。ただ、古田説のすべてが適切で信用できるとはいえず問題があるところもあります。多元史観や九州王朝説の基本的な考え方に同意しながら、疑義があるところについては批評すべきでしょう。 政治や宗教に捻じ曲げられた歴史観や、あまりにもふがいない仮説が多々流布されている中で、より真実の歴史が明らかになることを期待するものです。 『東日流外三郡誌』については、その寛政原本等が残存し公開されることが望まれていました。それが『東日流外三郡誌』のみならず、『東日流内三郡誌』の寛政原本を写真撮影されたものが2008年に図書として公開されました。これにより真偽論争は決着されました。 今後はそれらに記述されている内容について、疑問点もあると思われますので一つずつ真実が隠されているのかどうか吟味していくことでしょう。 『東日流外三郡誌』等にかかわらず、いずれにしても偽書のレッテルを貼って内容を検討しないのは適切な研究姿勢とは言えないと思います。<トンデモ偽史の世界> 『トンデモ偽史の世界』の著者は、昭和薬科大学文化史研究室にて古田武彦教授の助手を務めた原田実氏で、元「市民の古代研究会」の代表でしたが、『東日流外三郡誌』の真偽をめぐって古田氏と対立し、「市民の古代研究会」も分裂しました。現在の原田氏は偽書や偽史に関する作家としての側面が強いようです。 この本の内容は、偽書造りの衝動に関する話題に始まり、イースター島の謎、ユダヤ陰謀論、シオン議定書、古朝鮮問題、石器時代遺跡発掘の捏造騒動、オウム真理教と偽書などたいへん興味深い話題を取り上げています。 鋭く切り込むところもあって、読み物として面白いです。また、歴史の謎を安易にあつかうTV局や出版社に対する批判的な姿勢は好感が持てます。 ただ、タイトルからしても、内容からしてもごちゃまぜ感が強く誤字も多いので、信頼度を低く感じさせてしまうのが残念なところです。

  • 21Dec
    • スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

      スター・ウオーズの前作のエピソード8『最後のジェダイ』については、たしか封切と同時に観に行きました。今回のエピソード9『スカイウォーカーの夜明け』は、2019年12月20日(金)に封切です。封切りの20日には、地上波で『最後のジェダイ』を放送していましたので、これを観て21日(土)の鑑賞に備えました。まさに映画会社の思うつぼです。さて今朝一番で『スカイウォーカーの夜明け』を観ました。映画の人間関係の概略は、 師匠:ルーク・スカイウォーカー(ジェダイ・マスター) 弟子:レイ・・・・・レジスタンスの戦士、暗黒世界の最高指導者パルパティーンの孫      ベン・ソロ・・・・・暗黒世界に落ちてからはカイロ・レンと名乗る。  べン・ソロの母:レイア姫=レジスタンスのリーダーつまり、母のレイア姫と息子のカイロ・レンはレジスタンスVS暗黒世界の敵味方です。また、レイとカイロ・レンも敵味方です。ジェダイ・マスターであったルークは人里から遠く離れた島で隠居生活、そのルークのところへレイア姫の指示でレイがやってきて、レイはフォースの力を覚醒します。そして、レイは、祖父とは知らずに暗黒世界の支配者パルパティーンを倒しに行きます。一方、パルパティーンは、カイロ・レンを使ってレジスタンスを潰そうとして、レイとカイロ・レンは敵味方で戦うことになるのですが・・・・・。おおざっぱに描けば、こんなことになります。あとはいろんな要素が入っているのでみてください。出演者にも気を使っていて、様々な人に見てもらうために老若男女や人種が幅広く設定されています。とにかく、気になるのは、あのジェダイの大事なライトセイバーを放り投げて捨てたり、土の中に埋めたりと、意外にぞんざいな扱いです。いいのかなあ。また、死んだと思ったら生きていた、死んだけど生き返った、ホロコーストもありますから、生死の行く末もぞんざいな扱いです。スター・ウオーズはこれで本当に完なのでしょうか。シアターの前に立ててあったポスター。それとロビーにはスターウォーズの面々。一応撮っておきました。

  • 20Dec
    • 小さなドキッ

      いつものようにTVをつけながらパソコンに向かっていると、TVでプロレス番組を放送してました。ふと見ると、私が知っている俳優とよく似ているプロレスラーがでています。そのプロレスラーは、その俳優本人ではないかとじっくり見てしまいました。プロレスラーは、クリス・リッジウエイ。俳優はエレメンタリー・ホームズの主役ジョニー・リー・ミラーです。どうです。雰囲気が似ているでしょう。つい先日の私の小さなドキッです。クリス・リッジウエイジョニー・リー・ミラー

  • 17Dec
    • 鰻屋

      このところ出かける鰻屋は3軒だけで、1軒目は鰻専門店の「とみた」です。ちょくちょく行きます。いつも鰻丼に決めています。富田のおやじさんは、J SOUL BROTHERS の岩田剛典の父と同級生だそうで、J.S.Bのライブがある日は、若いギャルで満席になるそうだと娘から聞きました。2軒目は鮮魚店を併設している「うをとよ」で、ここでは鰻はあまり食べずに、旬の魚や地場産の魚を食べます。無性に魚が食べたくなると出かけます。のどぐろや関アジをリーズナブルに食べることができます。3軒目は今回紹介するうなぎ茶屋「あんず」で、ランチ時だとミニの鰻丼に小鉢を4種選択して楽しめます。小鉢には、魚と大根の煮物や兜煮がある時もあります。ビルの1Fで何軒か店が並んだ中で、こじゃれた外観サラダ、刺身、フライ、茶碗蒸しを選択ミニ鰻丼で満腹です。

  • 14Dec
    • ベトナムのお菓子の定番

      ベトナムの伝統的なお菓子といえば、緑豆菓子ですね。箱には「RONG VANG HOANG GIA」(ゴールデンドラゴン・ホアン・ギア)と書かれ、ベトナムの国花である蓮の花と黄色いサイコロ状の緑豆菓子が描かれています。裏にはゴールデンのドラゴンのマークが付いています。小さな箱を開けると丁寧なことにポリエチレンの包装に入り、さらに銀紙に包まれています。お菓子は薄い黄色の6つの小さなサイコロ状です。緑豆粉、砂糖を混ぜて固めてありますが、強く抑えるとすぐに崩れそうです。 味は、日本の駄菓子にありそうでなさそうな味ですが、たいてい東南アジアではお目にかかることが多く、素朴で私の口に合います。もう一つは、ピーナッツやゴマを飴で固めたお菓子です。箱には「đặc sản Nam Định」(ナムディン名物)と書かれています。ナムディンはベトナム北部の街です。ベトナムではポピュラーでヌガーのような感じです。落花生を糖蜜でかためた飛騨伝統の駄菓子「豆板」に材料も味もそっくりです。この素朴なお菓子から想像できませんが、ナムディン市は、工業団地が立地し外国企業の誘致が進められています。最後は、フォーのいろいろです。

  • 12Dec
    • 福岡・糸島巡り 小戸

      福岡・糸島巡りの最後の訪問地、福岡市の小戸公園・小戸大神宮です。さて、まずは『古事記』の黄泉国と禊についてのあらすじです。(要約:泉城)伊耶那岐命(イザナギ)は、妻の伊耶那美命(イザナミ)に会おうとして黄泉国に追って行った。そして、イザナギが「愛しいわが妻よ、私とお前が作った国は、まだ作り終わっていないから帰ってほしい」と言ったところ、イザナミは「あなたが早くいらっしゃらなかったので黄泉国のかまどで煮炊きしたものを食べてしまいました。黄泉神と相談するので、その間、決して私をご覧にならないでください」と伝えた。ところが、イザナギは待ちきれなくなって御殿に入ってイザナミのからだに蛆がたかっているところを見てしまい、恐れて黄泉国から逃げ帰った。黄泉つひら坂のふもとに到り着いた時に、追いかけてきた雷神たちを追い払ったものの、最後にイザナミが追ってきたので巨大な岩で黄泉つひら坂を塞いだ。黄泉つひら坂は、現在の出雲国の伊賦夜坂(注.島根県松江市東出雲町揖屋)だという。イザナギは、「私は何とも醜い汚れた国に行っていたものだ。身体のけがれを洗い清めよう」と言って、筑紫の日向の橘の小門のあわき原で、禊を行なった。そのとき身につけていた物を投げ棄てたところ船戸神から辺津甲斐弁羅神までの十二柱の神が生まれた。また、イザナギが身をすすいだところ、八十禍津日神から速須佐之男命まで十柱の神が生まれた。十柱のうち、底箇之男命、中箇之男命、上箇之男命の三柱の綿津見神は、阿曇連の祖神であり阿曇連は、綿津見神の子、宇都志日金析命の子孫であり、また三柱の神は、墨江の三前の大神でもある。そして、左目を洗うと天照大御神、右目を洗うと月読命、鼻を洗うと建速須佐之男命が生まれた。以上が大筋です。神話における黄泉つひら坂は、現在の出雲國の伊賦夜坂(揖屋)であると『古事記』が記したのは、イザナミを出雲國と伯伎國との境にある比婆の山に葬ったとする記事に符合しています。黄泉國は地下にある想像の場所としているのに対して、黄泉つひら坂やイザナミの墓の場所について『古事記』が具体的に地名で表しているところが興味深いです。このイザナギ・イザナミの神話の禊に出てくる「筑紫の日向の橘の小門のあわき原」について『古事記』は黄泉つひら坂のように現在の地名を記していません。たぶん、この記事の地名のみで、具体的な場所が判るからと思われます。筑紫は北部九州を指しますね。日向は糸島市と福岡市の境のあたりの地名です。橘は「立ち鼻」つまり「岬」よりも小規模な岬です。小門(小戸)とは細い水道の入口を指しますから、古代にあった糸島水道の入口にあたる小戸と推測されています。小門(小戸)は小さな岬の先にあります。そして、あわき原は青々とした原っぱの意味です。すなわち、「筑紫の日向の橘の小門のあわき原」は、現在の小戸大神宮がある小戸公園の辺りです。また「阿曇」は「福岡・糸島巡り 九州国立博物館」に展示されていた阿曇磯良の「阿曇」であり、その発祥地は、筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)です。「墨江」は、通説の摂津の墨江ではなく、やはり筑紫にある博多の墨江です。住吉は元々「すみえ」と読んでおり、「墨江」は「住吉」のことです。博多の住吉神社は全国で最古とされ、さらに博多・大阪・下関の住吉三社の元宮は、博多の現人神社ですから、神話の墨江(住吉)は、明らかに筑紫にある博多の住吉なのです。(参照:墨江中王 https://ameblo.jp/furutashigaku-tokai/entry-12445314713.html)つまり、イザナギの禊の舞台は、北部九州にある地名を詳細に並べて、小戸大神宮、小戸公園の小戸であることを示しています。筑紫の日向の小戸は、ぜひ訪れたいと思っていた場所です。小戸大神宮略記にも、次のとおり小戸は禊の神事が行われたところとあります。『小戸大神宮略記』 御祭神 天照皇大神、手力雄命、拷幡千々姫命御由緒小戸大神宮は神代の昔、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が御禊祓(みそぎはらえ)の神事を行われた尊い地であり、皇祖天照皇大神を始め、住吉三神、他神々が御降誕され、神宮皇后の御出帥及、凱旋上陸された実に由緒深い神社であります。全国の神社で奏上されております祓詞(はらいことば)の中に小戸の地名が入っております。まず、『古事記』が示す出雲とイザナミの埋葬地である比婆と黄泉つひら坂(揖屋)との位置関係を示しておきます。『古事記』が注釈したイザナミの埋葬地の比婆のある出雲・松江と、イザナギの禊の場所である福岡が離れすぎているように思いますが、ここは『古事記』の記述に一応従っておきましょう。次は、日向と小戸(福岡市西区小戸2)の関係を示した位置図です。小戸には小さな岬、妙見岬があります。その向かいには能古島があります。「生の松原」から見た小戸です。ウエブサイトから拝借しました。次は、小戸公園にあった案内看板(部分)です。北が左ですのでわかりにくいです。方角は右下に小さく記されていましたので、あらためて大きくして追記しました。小戸大神宮の場所もきちんと文字で表示してほしいですね。不親切な案内看板だったので、少し戸惑ってしまいました。小戸公園の北端から眺めると目の前に能古島が見えます。小戸大神宮の入口です。階段を登ると小さな社があります。時間がなかったので階段は登りませんでしたよ。ここもsanmaoさんから古式の鳥居であるとご教示の注連縄の鳥居です。(sanmaoの暦歴徒然草 http://sanmao.cocolog-nifty.com/ )小戸大神宮の前に説明看板がありました。憶ヶ原の図帰るときに小戸公園から見た夕陽と水面が名残惜しい気持ちにさせましたよ。「福岡・糸島めぐり」は以上です。お付き合いいただいた皆様ありがとうございました。

  • 11Dec
    • 雪虫をご存知?

      冬の訪れを告げる雪虫、テニスコートに多数飛んでいました。服にとまったところです。アップしたところですがピントが甘いのでよくわからないでしょう。ただ、余り近いとグロテスクかもしれないのでこれぐらいが無難でしょう。秋になって羽を持つアブラムシの成虫が生まれ越冬のために産卵します。この成虫の体は綿で包まれたようになって雪のようにふわふわ飛ぶので雪虫と呼ばれます。これは生殖のためだけの姿で、一週間の儚い命です。テニスのハードコートに降りた雪虫です。ハードコートの表面はこんなに凸凹していたんですね。

  • 08Dec
    • クリスマス・ブレンド

      スターバックスを覗いてみたところ、「オリガミ クリスマス ブレンド」を販売していました。宣伝文句は次のとおり。甘みのあるリッチでスパイシーな風味が特徴のコーヒーです。明るい印象のラテンアメリカ産コーヒーに、なめらかでまろやかなアジア/太平洋産コーヒーと希少なエイジドスマトラコーヒーをブレンドしています。つまり、「オリガミ クリスマス ブレンド」はスパイス感と甘みがポイントですね。試しに飲んでみると美味しいです。いつもは、エチオピア産かブラジル産のモカのブランドをブラックで飲んでいます。モカは、甘い香りとまろやかな酸味が特徴ですね。多少違いがわかるかと思いましたが、いつも飲んでいるのとほとんど違いが判らず、私は「違いが判る男」ではないと判明しました。ただ、ともにいい香りであることは間違いなしです。コーヒーを淹れたあとは、部屋の中にしばらく香りが残り、癒してくれるようです。

  • 07Dec
    • 福岡・糸島巡り 幣の浜

      事勝國勝神は、別名を鹽土老翁(塩土老翁)といい、この本拠地である鹽土神社は糸島半島の西端の地にあります。ニニギは、この鹽土老翁に土地を譲ってもらい、鹽土神社の辺りを住処にしたと思われます。そのすぐ東にあるのが幣の浜(にぎのはま)です。ですから、ニニギとコノハナサクヤヒメが出逢ったところが幣の浜とすれば納得できます。ここもぜひ訪れたいと思っていた場所でした。二人の出逢いの場に相応しい、美しい砂浜でしたよ。ここが砂浜へ行く目印です。美しい松林の復元の取り組みが行われていますね。東の方を向くと桜井神社のあたりの岬が見えます。近景西の方を向くと、芥屋の大門の切り立った岬が見えます。近景満潮に近づいてきたのか徐々に砂浜に波が広がっていきます。ニニギとサクヤヒメの出逢いは、この美しい場所であってほしいという願いも込めて、「笠紗」を旧志摩郡として、「笠紗御前」(古事記)をこの浜辺としました。次は福岡・糸島巡りの最終回です。イザナギが禊ぎをした場所、博多湾岸の小戸です。

    • 名古屋・栄のイルミ

      昨晩、名古屋の中心街・栄に出かけました。毎年のことですが、南北方向では、たぶん久屋大通から金山まで、東西方向では、たぶん栄から名古屋駅まで主要道路の街路樹はイルミネーションで飾られクリスマス気分です。南北、東西、ともに3km程あるでしょうか。あわててスマホで撮るので、毎年ピントが外れていますが、雰囲気だけお伝えします。特別なところへ行かなくてもイルミが十分に楽しめますよ。栄のパルコ前です。

  • 06Dec
    • 刑事モース〜オックスフォード事件簿

      このイギリスのドラマ『刑事モース』は面白いです。新米の刑事モースがとことん疑問点を追求して理詰めで犯人を探り当てるところと、事件解明と並行して上司のサーズデイ警部補とモースの関係や各々の人物像や私生活を描いているところがたいへん面白いドラマに仕上がっていると思います。モースは、とても能力が高いのですが生真面目なので出世できません。ただ、要領よく立ち回って出世する人物より、モースのように正義感が強く刑事の職を全うしているほうが好感が持てます。私は始めに『刑事モース』を観たのですが、実は、1986年から2000年まで放送された『主任警部モース』が放送された後に、この主人公モースの若かりし頃を描いた『刑事モース』が製作されたそうです。私はモースが成長する経過順にドラマを観たことになります。『主任警部モース』は、モースが主任警部になって、部下のルイスと犯人を想定しながら事件を鋭く追及していきます。毎回美しい女性が登場し独身のモースとのやり取りが興味深いです。これはフーテンの寅さん的な味付けでしょうか。モーツァルトとアルコールが大好きという設定ですが、ドラマの中とは言え、ちょっと飲みすぎなのが気になります。日本では2018年2月以降、NHK BSプレミアム、AXNミステリーなどで放送されました。現在毎週土曜日に、NHK BSプレミアム『主任警部モース HDリマスター版』が放送され、また、AXNミステリーで、続編の『ルイス警部』が連日放送されています。『刑事モース』では上司のサーズデイが黒のジャガーに乗っており、『主任警部モース』ではモースが赤のジャガーに乗っています。クラシックなジャガーは私の大好きな車の一つです。

  • 04Dec
    • 福岡・糸島巡り 塩土神社

      塩土神社も訪れたかった場所です。糸島がおおむね怡土郡と志摩郡に糸島水道で分離されていた頃の想像図です。『日本書紀』9段一書4に次のとおり記されています。 其事勝國勝神者、是伊弉諾尊之子也、亦名鹽土老翁。 その事勝國勝神は、これ伊弉諾尊の子なり。またの名を鹽土老翁という。 事勝國勝神は、イザナギの子で、別名を鹽土老翁(塩土老翁)といいます。 鹽土神社は、日本でこの糸島のみにあります。 御祭神は言うまでもなく鹽土老翁神です。 この鹽土神社は、次の地図googlemapにあるとおり、糸島半島の西端、前回に紹介した「芥屋の大門」から「幣の浜」の間にある村落の中にあります。 ニニギが天孫降臨したのは、これまで述べてきたとおり「岐志」や「幣」の地名がある糸島半島の西端です。そして、鹽土老翁こと事勝國勝神の居所は、この糸島半島の鹽土神社でしょうから、ニニギが降臨した時に事勝国勝長狭神に会ったのは、この糸島半島の西端と考えられます。 笠狭の御前(岬)は、糸島半島の旧志摩郡と思います。(これについては、コノハナサクヤヒメのところで触れました。) ニニギが天孫降臨の時に、最初の土地を献上したのが塩土老翁すなわち事勝国勝長狭であり、それは糸島半島の西端であり、ニニギはここを拠点として糸島平野を手中にしたということです。 その鹽土神社をどうしても見たくて訪れました。 小さな村落の中心に鹽土神社はありました。 塩土神社は小さな神社で参拝客もいません。まさに歴史から忘れ去られたようです。 しかし、本当は鹽土神社の辺りは、ニニギが足がかりとした、とても大切な場所だと思います。南側にある鳥居鹽土神社とあります。東側に廻ると広くなっていました。こちらが正面ですね。拝殿です。右側には井戸があります。拝殿の中庚申塚 ニニギは、きっとこの鹽土神社のすぐ東にある美しい松原の「幣の浜」で、コノハナサクヤヒメに出逢い、ここから日本の歴史が始まったロマンチックなところだと思います。 次回は、「幣の浜」です。

    • クリスマス・イルミ

      12月になりましたので、今年も小さな小さなイルミを飾りました。もうすぐ、クリスマス・イブが来ると思うと、何もないのに、なぜか少しだけ気分が高揚しますよ。

  • 01Dec
    • TV番組「大人が知らない 日本史の新常識」を観ました。

      昨晩(2019年11月30日19時~)、BSフジの番組「大人が知らない 日本史の新常識」を観ました。歴史作家の河合敦氏が、女優の田中美里とともに関係する場所を紹介しながら説明するスタイルは関心をひくとっかかりとして成功していますね。つかみはOKです。結論から言えば目新しいものはありませんでしたが、面白い番組であったと思います。一応、紹介された主な新常識を並べておきます。1 教科書から645年の大化の改新は消えた。2 教科書には聖徳太子ではなく厩戸皇子と書かれている。3 鎖国は外国との交流が閉ざされていなかった。4 ペリーの黒船来航は突然ではなく、1年前に知らされていた。5 種子島の鉄砲伝来は漂着ではなかった。とりわけ、私の関心がある1と2についてコメントしたいと思います。1については、645年に中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺したことが「大化の改新」であると学んだと思いますが、この暗殺事件は、「乙巳(いっし)の変」といいます。これを契機に646年に孝徳天皇が「改新の詔」を発布して、中央集権国家を目指して公地公民などの制度を次々と整備したことを「大化の改新」といいます。少し歴史をかじっている人ならば常識ですね。これまでの「大化の改新」に関する教科書の誤りの原因は、専門の学者たちの舌足らずにあると思います。始めにきちんとした記述をすれば、こんな事は起こりようもなかったことです。番組では、入鹿暗殺のために鎌足らが密談した多武峰(とうのみね)が裏山になっている談山神社を訪れました。『日本書紀』は、「乙巳の変」の暗殺を得意げに記し、蘇我馬子・入鹿を悪者扱いしていますがそれは歴史の勝者側から観た歴史観です。歴史上の人物評価は変わりつつあります。2の聖徳太子に関しては、四天王寺を訪れました。一般ではまじかに見ることができない3つの秘宝「太子二歳像」「四十九歳摂政像」「四天王寺縁起(根本本)」を映像で紹介していました。とりわけ「四天王寺縁起(根本本)」の映像は良かったです。ネットではすでに流布していますが、雰囲気が伝わると思いますので、撮影したTV画面を載せておきます。四天王寺の太子殿の中に南無仏二歳像があります。太子が数えで2歳の時の像とされます。太子奥殿に四十九歳摂政像があります。特別拝観日でも渡り廊下の向こうの建物の中には入れず外から眺めるだけとのことです。「四天王寺縁起(根本本)」(聖徳太子御手功縁起)は皇室関係者など特別の人しか見られないそうです。左から四天王寺の国宝を管理している責任者の住職、田中美里、河合敦 「四天王寺縁起(根本本)」は聖徳太子の直筆とされ朱色の手形が押されていますので、興味津々です。四天王寺のお坊さんでも直に観た者は少ないそうです。 さて、聖徳太子の真筆といえば、『法華義疏』『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』を合わせた『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)があります。615年に作られた日本最古の書物とされています。この『法華義疏』には、最初の色が濃くなっている部分に紙が継ぎ足してあって、「これは大委国上宮王の私集にして、海彼の本に非ず」と書かれています。要するに聖徳太子の私集であって外国の本ではないということです。これを信じると、「義」は「意味」で、「疏」は「注釈」ですから今風にいえば「三経義疏」はお経を研究した論考ですね。 ただし、『日本書紀』には、聖徳太子が勝鬘経・法華経を講じたという記事はありますが、太子がお経の論考を書いたとは記していませんので直筆かどうかは真偽のほどはわかりません。また、『法華義疏』の最初の部分の継ぎ足しは、とても不信です。 「四天王寺縁起(根本本)」と『法華義疏』の字体などを見比べてみましたが、一致するかどうか不明であるとの感想を持ちました。そもそも『法華義疏』が太子の自筆でなければ比べる意味もありませんが。 さて、番組の最後には、聖徳太子の功績でいちばん重要なことは仏教を広めたことであると説明していました。しかし、仏教に一番力を入れていたのは蘇我馬子を始めとする蘇我氏であって、どうも私にはしっくりこない結論でした。せめて「蘇我氏と共に仏教を広めた」とすべきですが悪者扱いの蘇我氏を意識的に外したのかなと思います。 このほかに徳川綱吉や明智光秀などの人物評価が変わってきていることが紹介されていました。 この番組は、個々の問題には納得できないところもありますが、左がかっている自虐的な日本の歴史観が、徐々に修正されてきていることが理解でき、その点ではいい番組だと思います。

    • 病歴のアンケート

      本日病歴に関するアンケートが届きました。以前に病歴の研究に関して日常の生活習慣の調査に協力する承諾をしていたからです。今回は前回と変わりなしです。アンケートの内容も簡単なものですが、私の場合は、病歴がないことが参考になるのかもしれません。特に糖尿病の発症リスクは、喫煙、体重、運動が要因ですが、私は現在喫煙していませんし、体重もそこそこで運動は比較的しっかりしていますから、今のところ不安がありません。私は血圧が低いぐらいで、日常生活における検診データから糖尿病の発症リスクを予測すると4%以下になりました。日頃はよく眠れて、食欲も十分です。ベッドに入って30秒ぐらいで眠りにつきます。たいていの場合は夢を覚えていないので、それだけぐっすり寝ているのだろうと勝手に解釈しています。食欲は押さえる方が難しく、常に体重のコントロールを気に掛けています。ちょっと気がゆるむとすぐに2kgぐらいは体重増になってしまいます。昼食はできる限り控えています。食べ物にほぼ好き嫌いはありません。パクチの味とブロッコリーの舌触りだけはちょっと苦手です。このアンケートによるこれまでの調査結果によれば、心臓病や脳卒中の予防のためには肥満、又はメタボリックシンドロームのいずれかにより罹病の確率が高くなり、特に高血圧は正常に比べて5倍、罹病の確率が高いと言うことです。とにかく肥満は駄目ですね。肥満と高血圧は相関関係があるようです。検診データでは、朝食は必ずとる方が糖尿病の罹病リスクが低くなるとしています。その点に留意して日常生活に気を付けましょう。

  • 29Nov
    • 福岡・糸島巡り 芥屋の大門(けやのおおと)

       今回の福岡・糸島巡りで唯一の名所観光といえるのは、この「芥屋の大門」です。 「芥屋の大門」を観るため、近くにある芥屋の漁港から小型の遊覧船に乗ります。天候が悪ければ中止もあり得ますから、晴天で玄海灘が穏やかであったのは幸いです。 出港するまで少し休憩して、いよいよ出発です。 大きな揺れもなく進みます。 一番後ろの席に陣取り、まずはニニギが渡ってきたと想像する姫島を目視しました。後ろを振り返ると、うっすらと岬の先に見えましたよ。  「芥屋の大門」の洞窟に入るときに、グラッと大きく揺れました。 すでに遊覧船の後ろの狭いデッキに数名が出ていたので、腰高だった人に対して思わず「危ない」と声が出てしまいました。 これ以外は全くスムースでした。安全にしずしずと洞窟に遊覧船の船首を入れていきました。石の柱が横からも上からも迫ってきます。 柱状の玄武岩と荒波で削られた洞窟は、他ではなかなか見られない自然の造形です。 頭上を観ると柱状の玄武岩がまるで黒いシャンデリアのようです。絶景ですね。姫島が正面に見えます。また、芥屋漁港に戻ります。海は荒れていませんが、ちょっと傾くこともあります。港の近くは穏やかですね。短い時間でしたが、しっかり思い出に残りました。次は塩土神社です。

  • 27Nov
    • さざんか

      山茶花 山茶花 咲いた径 焚火だ 焚火だ 落ち葉焚きあたろうか あたろうよ 霜焼けお手々が もう痒い朝晩はずいぶん寒くなって、昔ならば童謡「たき火」にあるように庭などで焚火することもありましたが、今ではすぐに火事の通報がなされるからでしょうか、そんな風景は見られませんね。落ち葉も燃えるゴミと一緒にビニール袋の中です。愛犬の散歩道には、この時期さざんかが美しく咲いています。好きな花です。思わずシャッターを切りました。柔らかそうに見える花びらは、白を基調にして淡く染まったピンクが控えめで少し恥ずかしげです。花びらに触れたらポロッとこぼれそうですが、ちゃんとしっかり自己主張して、きれいに咲き続けています。これからも長く咲いて私を楽しませてくれるように、そっと見守っていたいです。

  • 26Nov
    • 福岡・糸島巡り 岐志漁港

       南の方の遺跡などを巡ったのちに、糸島半島の西端部に位置する岐志漁港にやってきました。ここには、姫島への渡船場があります。 姫島へは、ここから船で渡るしか行く方法がありません。糸島観光協会に掲載されている姫島の写真です。糸島半島は、古くは下図のように入り江があったと考えられています。5mの海進を予想した状況です。中ほどには糸島水道と呼ばれる入り江があったようです。この糸島水道によって怡土と志摩にほぼ分離されています。左端に姫島があります。 私は、『古事記』に記されたニニギの名である、「天邇岐志 国邇岐志 天津日高日子 番能 邇邇芸命」(あめにぎし くににぎし あまつひこひこ ほの ににぎのみこと)、一般的には簡潔に邇邇芸命ですが、この名の意味は「天にも近い岐志、国にも近い岐志の(場所を拠点とした)、天津日高彦で、稲穂で賑々しくした指導者」ではないかと思います。 49号線沿いにはニニギ一人を祀った天降神社が密集しており、ここには水田で有名な曲り田遺跡があります。従来考えられていた時期よりもさらに古い時期、弥生時代早期から本格的な稲作が開始されていた可能性を示した遺跡です。ニニギが天降りの拠点とした場所は、糸島であったことを曲り田遺跡が示唆しているようです。この遺跡をもとに土器編年が再考されています。 邇邇芸命(ニニギ)は、天(対馬海流圏)の島々から日本列島に天降りしたうちで現在の日本の天皇の祖となった神話上の人物ということです。天比登都柱の壱岐から玄海灘にある天一根の姫島を経由して、糸島半島の西端の岐志に上陸し、ここを拠点として水田稲作を広めたと思われます。 そして、ニニギは、『古事記』の記述に「天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣」(筑紫の日向の高千穂のクシフルタケに天降る)とあるように、糸島の日向にある高祖山に連なるクシフル山に天降りました。「日向」は日向川、日向峠などの現存地名です。また、現在、高地山と呼ばれている峰の旧名が「クシフル山」であり、『古事記』の記述に合致するこの地が天孫降臨の地に相応しいでしょう。 ニニギが姫島から上陸した岐志を訪れ、雰囲気を味わいたいと思いました。 岐志は全く波がないほど穏やかで、近くの岬などが見えます。奥まっているので直接姫島は見えません。 山が迫っていますが砂浜もあり上陸は容易だと思いました。のどかな雰囲気に浸ってきましたよ。

  • 24Nov
    • 岩屋堂の紅葉

      愛知県瀬戸市にある岩屋堂公園の紅葉を見てきました。11月中下旬が見頃です。岩屋堂マップです。今年はまずまずきれいに紅葉していて楽しめると思います。瀬戸大滝です。駐車場から歩いて10分ほど川上に登ったところです。その昔、マウンテンバイクでここまで遊びに来た覚えがあります。この先は現在通行禁止になっていますが、自転車を担いで峠を越えて白坂町方面へ下りました。現在は買い物自転車でもっぱらテニスコートまでです。川面に写った紅葉も美しいです。夜はライトアップされていて、鮮やかな紅葉のアーチが鳥原川の水面に映って幻想的です。ただし、とても混雑しています。赤く色づいていますね。イチョウの落ち葉の絨毯も美しいです。ここが岩屋堂毘沙門天堂です。糸島半島の神在神社の神石と同じように、縄文時代以前には、巨石信仰の場であったのでしょう。後代になってお堂を建て、今日に至るまで長く祀られてきたのですね。岩屋堂と暁明ヶ滝のライトアップもオススメです。おでんやみたらし団子などの売店の軒先です。ビールの空き缶で作った明かりのモニュメントが面白いです。<参考>数年前に出かけた時のライトアップの様子です。

    • 福岡・糸島巡り 宮地岳神社

       先に訪れた釜塚古墳が大正末期まではすり鉢を伏せたような美しい墳形であったことを示す文献がありました。『糸島郡誌』(福岡県糸島郡教育委員会編、1927年)に昔の釜塚古墳の写真が掲載されており、次のとおり確かに段がないお椀のような形です。写真の下には「加布里村赤阪古墳」とあり、文書の小見出しには「古墳釜塚」とあります。 また、『釜塚古墳 第3次発掘調査概要』には、昭和40年頃にみかんの苗木を植えるために段々畑に変更されたと記されています。同調査報告書にあった釜塚古墳の竪穴系横口式石室の図もあわせて載せておきます。 さて、釜塚古墳のすぐ東に鳥居があります。 細い参道を標高120mほどの宮地岳へ登って行き、山頂付近に鎮座するのが伊都国宮地嶽神社です。 宮地岳は以前は勝軍山と呼ばれていたようです。この山頂には3段と思われる円墳があるようですが、今回は鳥居だけを見て通り過ぎました。 瓊瓊杵尊が天国である壱岐(天比登都柱)から姫島(天一根)を経由して上陸した地点、糸島半島の西端に位置する岐志漁港に向かいます。次回にアップします。