-知覧城-
鹿児島県南九州市知覧町に位置し、シラス台地が長年にわたる流水で侵食された地形を利用して築城された山城である。
この城の特徴として、栫(かこい)の存在が挙げられる。
本丸を中心にして3つの曲輪(今城、弓場城、蔵之城)が円形に並ぶ更に外側にそれらを囲むようにして栫が配置されている。
面積が広く、平時は武士たちが駐屯する施設があったと思われる。
それぞれの曲輪は深い堀切により区画されている。
侵食によりできた地形とは言え、堀切はかなり急角度に掘られ、よじ登ることは不可能である。
よって寄せ手が曲輪に到達するには人1人分の幅しかない桝形を通るしかないのである。
本丸と今城の間の堀切では発掘調査が実施されたが、今の地上の高さよりも7メートルほど下に堀底があった事が分かっており、この城の防御力の高さを物語っている。
それらの特徴が、この城の難攻不落さを証明しているように思えるが、一度落城の憂き目を見ている。
南薩地方で勢力を伸ばしていた伊集院頼久が、島津氏に反旗を翻した際、その弟の今給黎久俊(いまきいれひさとし)が城主の留守を突いてこの城を占拠した。
島津久豊は征伐軍を派遣するが久俊はよく持ち堪え、武力侵攻を拒み続けた。
しかし応永二七年(1420)に伊集院頼久が島津に対し降伏、伴って知覧城もやむなく開城の運びとなったのである。
その後は佐多氏(島津氏)が統治を引き継ぐが、一国一城令を待たずして廃城になったと言われている(時期不明)。
-本丸-
知覧城の中央に位置し、曲輪のほぼ全周を高い土塁が覆っている。
発掘調査の跡があり、土を積むのではなく、曲輪の内側を削り取ったことがわかっている。
-所要時間-
攻城 3h
資料収集、閲読 4h
移動 4h(往復)
編集 3h
-参考資料-
○知覧城パンフレット (ミュージアム
知覧にて入手)
○知覧郷土誌
○日本城郭大系
○鹿児島県史
○インターネット