まあ 普通に考えると

川漁師であり、

タクシードライバーであり

武術家でもある

 

自分を知る人でも

なんで? 料理ができるんだろうか?とか

店なんて無理だろうとか

 

思うのも無理はない

 

けれども

 若かりし日々 

アルバイトといっても

3か月以上にわたり 板場修行と

結婚式場やら

某 チェーン店の中華料理屋や

 

面白いところでは

山中湖の老舗の魚屋の二階に住み込み

1か月もアルバイトに明け暮れ

焼津の魚市場で

マグロの仕入れも手伝ったり

 

 そこは 富士の別荘近くということもあって

当時の芸能人が

こぞって高級車で

乗りつけ

店には TVや映画で知った顔を見る

機会も多かった。

 

 特に 活きたコイを冷えた井戸水で絞め

洗いにして刺身を別荘へ届けることも

多かった。

 

 ある日 配達を頼まれて車で富士の演習場を超えて

いくとそこは うっそうと草に囲まれた

YAZAWA さん (矢沢永吉さんの別邸でした)

残念ながらお手伝いさんに手渡しして戻る

 

 など 思い出深い記憶がある

24,25歳の頃。

 

ひたすら、冷凍エビを数百も解凍して、かじかむ手で

背ワタを抜いた記憶や

串打ちの記憶

 

 これが今の料理人の基礎になっていることは間違いない

 

だから、おやじは想う

「若い時には苦労は買ってでもしろ」

これは自分の父がよく言っていた言葉である。

 

老健に居る88歳の父にうなぎを届けると

笑顔で「ほんとうにうれしい」と喜んでくれた。

 

 食は楽しみであり、人生そのものである。