1992年の大河ドラマ 主演 緒方直人の時は、当時の大河としては

非常に珍しく、そのナレーションをルイス・フロイスがさも見た印象のままに

語るというものでした。

 

その後、2008年交通事故で入院した時に、病室に持ち込んだ

ワープロを打ちながら、ふとしたきっかけで「北九州文学賞」の小説に

懸賞応募する歴史小説を書いたことがある。

 

その時に、歴史考証のために 岐阜城や歴史博物館の学芸員さまに

ヒアリングするなど取材を重ねるうちに

実物のフロイスの日記を読む機会に触れた。

(文藝春秋社 から現在も 日本語和訳版があります)

 

フロイスがなぜこうした記録を書いたかは、

バチカンへの報告と香港にあったアジア支局長への報告のために

コピーの無い時代に複数の写しを書いていたのである。

したがって、当時の施政者としての信長の考え方や戦略は、

相当に研究されていたと云えます。(※これはfurusu18の推測ですよ)

 

これを読むと、

信長の別の人間性やら、光秀の姿のみならず、他の洗礼を受けた

大名のことが、非常にくわしく書かれています。

 

実際に本能寺の変の瞬間は、フロイスはどうやら京都にはいなかったようですが

京の南蛮寺にいた他の宣教師からの報告もあり非常に重要な記録となって

います。

 

フロイスは、信長の死後、秀吉の事にも多く触れていたり、

当時の日本の史実という意味でも

第1級の文献といえるのではないかと思います。

 

歴史を紐解くために史跡を訪問する時は

そこに至る記録を読んで出かけると

学校で習ったこと以外の大きな発見や感動が見つかるものです。