学生時代の回想 パリ~東京~岩手へ | furusu18岐阜からのブログ

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自然をこよなく愛し、歴史に深く学ぶ。
過去の人生を振り返り、未来を予測する
人間としての経験を語るブログ。

振り返ってみると随分と変わった人生だったように思う。

歯学部受験に敗退し、

とは言っても 志望校を1校しか受験していなのは

大間違いなのであるが。

 

当時 高校の友人の多くが国立大学や理系クラスの同級生が

大抵 医学部へ進学したりしていた。

(同級生の会員名簿の親の職業欄 のほぼ大半が経営者、上級公務員

開業医とかだったのに驚愕)

 

天才的というか 元々 暗記能力の差が歴然としていたのは

間違いない。

 

まあ いわば「落ちこぼれ」というやつで。

 

因数分解とか微分、積分の辺りで 脳が機能障害をおこしたのかもしれん

 

かくて 浪人し河合塾に入るも 何を思ったか

 

突如

渡仏留学を決意。

19歳は 極真空手の道場だけを頼りに 武者修行の旅に出た。

パリにて初段を認可受け帰国

 

在宅の宅浪という 独学で

当時 ムツゴロウさんの本に影響を受け

「獣医学部」を志ざし、数校の大学を受験するも

 

生物科目のあと5点不足で 「水産学部」に合格。

それでも 渡仏経験と語学能力が 入学後に差となり

ドイツ語で 優秀。英語は 学部内では トップとなっていた。

 

越年での大学進学とフランス帰りの極真は

大いに目立ち。

相模大野時代の教養学部においては

薬学部、獣医、畜産、衛生学部などが一緒にキャンパスに

いて 華やかなひと時を過ごした。

 

そんな 大学1年の頃

北里大学 教養学部の「学園祭の実行委員」を拝命したのである。

 

東京 町田から新宿までは電車で40分の距離で

良く渋谷、原宿、池袋にも足を延ばした。

 

翌年から

専門学部は 岩手県気仙郡三陸町越喜来浦浜に下宿

都会から一気に

アウトドアの生活に激変

 

水産学部でも「学園祭の実行委員長」を拝命することになる

 

怒涛の3年間は

かくして人生の原点を構築した。

 

この時の恩師の言葉

「万巻の書よりも ひとつの体験をめざすのじゃ」

 

前人未踏とは、自分の足跡を確実に残すという実績のこと 

 

云うは容易いが、実際には なかなかできんことです