フルサワです。

 

SNSのギャンブル関連投稿は大半が “的中報告“ ですよね。

 

見ず知らずの人の的中報告が流れてくると 「知らんがな、ミュートしとこ」 してしまいます。正直。

※フルサワも的中報告してるよね、のツッコミはココでは待ってください。

 

"知らんがなミュートムーブ"の理由を考えると
・その人と親しくないから
・自分がそのレースを外したから
・単に見たくないし興味ない

が大半ではないかと。

考えてみると、SNSのギャンブル界隈はギスギスし過ぎじゃないかと思いました。

 

動物界隈は 「この猫かわいくない?」って投稿があれば 「めっちゃ可愛い!」「待ち受けにしました!」「朝からテンション上がります!」ってフワフワなんですよ。

ギャンブル界隈は 「え、ちょっと待って、当たったんだけど」 って的中投稿をすれば 、「納税しろよ?」 「偽造した?」 「たまたまだろ」 「爪汚いんだよ」 って反応が少なくありません。

この流れが生まれる理由は上記ではないかと。

 

なんか柔らかくできないかなって。

 

そもそもギャンブルなんて当たらないじゃないですか。
一日中競馬やボートレースをやって何レース当たりますか?

ほとんどハズレますよね。

 

そのハズレが生まれる過程を振り返ってみてください。
真剣に予想してワクワクしてませんでしたか?

 

ギャンブル仲間がいる人には伝わると思いますが、
誰かと競馬場へ行き、馬券を購入し、レースが始まる前に
"なんでその馬を買ったのか" を笑いながら話すことはありませんか?
更にその馬が "大穴" だった場合は 「そんなの来るわけないじゃん」 とか笑いあうことも有るはずです。
レースが終わり、結果的に外れた場合も 「惜しかったなぁ」 とか 「あの馬どこにいたんだ」 とか、外れて悔しいながらも気持ちよく終わるケースもあるのではないかと。

 

これをSNSでも浸透出来たら素晴らしくないですか。

 

ボクだって 「この馬買うんだ!こい!」 「買った理由はコレコレアレコレ!」 「外れた!4着!けど、人気なかったのに頑張ってくれたよね!」とか投稿したいですよ。
でも、ストレートに否定してくる怖い人たちがたくさんいるんです。たくさん。

それを考えると、新聞記者の方はすごいなと。
特に独創的な自分の世界を投稿し続けている方など尊敬します。

 

たぶん、皆が同じように吹っ切れた投稿をし続けるとギャンブル界隈の投稿がもっと面白くなると思います。
"阿鼻叫喚" "狂喜乱舞" で良いんですよ。
ギャンブルなんだし、顔も見えない世界なんだし、人を傷つけるだけのつまらない投稿をするんじゃなく、現実で出来ない派手な楽しみ方をしようよって。

 

そんな風に思います。

 

しかし、ハズレ報告に対し 「惜しかったですね!」 「もう少しでしたよ!」 とか擁護が多くなると、有料で情報提供している人たちを甘やかすことにもなりますかね。
ハズレても詰められないならボクだったら真剣に予想しなくなって、適当に1倍台の馬を1頭推奨しちゃいますもの。

 

1つ成り立つとまた問題が見えてくる。難しい。

 

ボクがこの記事でなにを言いたかったのか。
「SNSを平和にしましょう」 とかそんな大きな話じゃないです。大変なこと苦手なので。

 

レース前後に買い目を否定せず、弄りあえる仲間がいれば大切にしてください。

 

ギャンブル依存症はこれからも長く続くでしょう。
ひとりでやり続けると心がやられますから。
助け合い。大切です。


《appendix》
今日はボートレース多摩川へ行き八万負けました。
優勝戦で徳増さんが逃げるのは分かりきっていました。
なにより、優勝した徳増さんを生で見たかった。

 

徳増さんは優勝し、ボクは財布を空にし、ローソンへ走りナイターをやり、財布を空にし、もう一度ローソンへ行き、全てを失いました。

画像
目の前を通る時にカメラがぶれ、徳増さんを撮影できなかった

 

後悔はしていません。
自分の中の欲を叶えた結果ですので。
この欲は金額ではなく予想して賭けた回数です。
お金を失うより、長くギャンブルを楽しめなくなることの方が辛いハズです。

 

『~はほどよく楽しむ大人の遊びです』 って言葉はそういう意味なのかなって。
依存症なんだからその機会を失うのは嫌でしょう。
だからこそ、予算を決めて、キャッシュカードは家に置いて、ギャンブルはやるべきなのだと。

 

#フルサワの個人的な考えです。
#支払うべきモノ、買うべきモノがあればギャンブルの前に済ませ、気持ちよく楽しみましょう。