なにば
昨年隨心院へはねず踊りを見に行きました。その時は3年ぶりのはねず踊り鑑賞でしたが、お客さんが以前よりも格段に多くなっているのに驚きました。午前の部(11時)を見るために7時ごろから並んでいた人もいたようです。外国人観光客もいました。もともとは地元の催し物だったのですが、ネットで情報が行き渡ったためか、お客さんが激増し、規模も拡大していました。
はねず踊りを踊るのは小学生の女の子たち。この日のために半年練習したそうです。ちょっと緊張した面持ちの子もいましたが、みんな可愛らしく、優雅に踊っていました。
「はねず色(朱華色)」はしとやかな薄紅色で、隨心院の梅(庭梅)も「はねず(唐棣)の梅」と呼ばれています。小野小町に恋い焦がれた深草少将は百夜(ももよ)通いをして九十九日目に命が尽きたという伝説がありますが、はねず踊りの歌では、少将は九十九日目に大雪が降ったので自分の代わりに他の人に行かせたため、小町に会うことがかなわなかったというちょっとユーモラスなストーリーになっています。
はねず踊りは一時途絶えていましたが、現代にこの伝統を伝えたいという小野の里の方々の熱意により昭和48年に復活したのだそうです。
はねず踊りの次は今様(いまよう)です。白拍子(しらびょうし)装束の若い女性たちが可憐に、時には雄々しく舞います。はねず踊りを卒業してから白拍子の踊りを学んだという女性もいました。
会場を最も湧かせたのは京都瓜生山舞子連中(うりゅうやままいこれんちゅう)による石見神楽「大蛇(おろち)」でした。「大蛇」はスサノヲノミコトがヤマタノオロチを退治する様を表したものです。スサノヲノミコトの勇壮な姿もすばらしかったのですが、会場の皆さんの目が釘付けになったのは赤、白、黒、緑の大蛇の舞です。大蛇たちはくねくねと蛇腹をコイル状に巻いたり、お互いの蛇腹を巻き付け合ったり、高度な業を披露してくれました。体力と高度なテクニックが必要な舞です。蛇の演者に中に女性がいることが分かって、会場から感嘆の声が上がりました。
はねず踊りが終わってから、ミス小野小町おすすめの青竹に入った「はねずういろう」をお土産に買って帰りました。米粉ではなく、寒天と黒砂糖で作られています。素朴なやさしい味でした。
はねず踊りの賑わいとはうって変わり、境内はひっそりとしていました。小町が装いを整えたという「化粧の井戸」があります。水面を鏡として姿を映していたのでしょうか。今は落ち葉に覆われていて、さびれた雰囲気です。深草少将など小町に恋をした男性たちから送られた文を埋めたと言われる文塚も林の中にひっそりとたたずんでいます。
隨心院は小野小町伝説との関わりで、はねず踊り、小野梅園、だるま商店奉納のカラフルな襖絵を公開したり、映画『舞妓はレディー』などの撮影場所や能舞台にも使われたりして、山科の寺院の中では際立って華やかな印象があります。最近は小町堂という女性のための永代供養堂もできて、ますます注目を浴びています。これからもその独自性を維持しながら、新しい試みにも挑戦し続けてほしいなと思っています。