木立の中の寂まり返った家の中で小父様が何をやっているか、恐らく誰にも想像は出来ないと思う。
昼過ぎになると木の柄杓を手に谷さんは温泉に行く。
夕方町を通ると、魚屋の座敷に上がり込んだ谷さんは刺身を肴に酒を呑んでいるのでした。
これは谷さんの日課であると云うことでした。
夕暮れの中を酒を帯びて白い道を行く長身の谷さん。
家では奥様が酒肴の仕度を調へて待って居られると云う。
夜は奥様を相手に深夜まで呑まれるのだと聞きました。
谷さんは寛大な地主であると云う。
米でも薪でも持って来るだけを「よしよし」と受取りゴマかしても咎め立てはしない人であると。
労働をせずに暮らす谷さんは、これで分相応と思って居られるのかも知れない。
年をとっても白髪にならず、私の小さい時と同じ黒髪であった谷さん。亡くなった時、財産は無いだろうと云う噂は当たらず財を残してあったと云う。
小原庄助さんならぬ、谷さんは不思議な人でした。
ミサオ姉の話に、料理講習会にも娘さん達の中に只一人谷さんの姿があり、手伝いはせず、出来上がった料理やお菓子の味見ばかりしていた云う。
おけいさんという、ふくよかな美人でお茶目な娘さん云く、「小父さんは味見ばかりしてずるい。」とワッハハハと谷さんは笑いとばしたと云う。生花のおけいこ場にも谷さんの姿あり、花はいけずに批評ばかりしていたという。
谷さんは何処へでも出掛ける。
お芝居にも薩摩ビワの会にも。
或よのビワ大会に東京から、繪を売りに来たという日本画家のビワ演奏中野次が雨のようにとんだ。
「うっちゃめいい、がんたれ」
「やめろ、下手くそ」と
矢庭に舞台にとび上がったのは谷さん、「黙まれ!!お前たちミソクソに云うようなお方ではない、黙まれ!!」と一喝。
そして蛇の目の傘をパット開くと助六よろしく紫の八巻で踊りだしたのです。
「ぢぢ引込め!!見苦しかど!!」
罵声の中の花道を傘をさして急ぐ谷さん。</span>
翌日谷さんの案内で日本画の先生は父を訪れました。
出された繪は子供の私が見ても感心出来ないものばかり、昨夜の筑前琵琶も下手なら繪も又下手、父はダルマの繪を求めました。
団扇繪のようなダルマさん。
帝展出品の為の費用にとか、お歌処ヨリウドの歌の書かれてある松に鶴の繪だとか、村の有志の方方に案内されて来る人達の繪を父は文句もいはずに求めました。しかしそれなどの繪は床の間に掲けられることはなく、大書した字の軸がかけられてありました。