葬列
凛烈の白梅の庭を葬列は出発しました。
表門の石柱の間をお父さんの棺は二人のおじさんに荷がれて最后の出発をしたのです。
再びくぐることのない石の門。
石をを愛したお父さんの石の門です。
多孔質の石に囲まれた屋敷、父の城にふさわしい家でした。
家をあとに、次の家なる墓地に向かって昔ながらの棺桶は進んで行きました。この生涯最后の日に兄は外地に、弟は東京の聠隊にいて電報を打っても帰へって来ませんでした。
男の子を大事に思っているお父さんにとって何とも残念なことでした。
長男の持つべき素木の墓標を私が持って先頭に立ちました。私の前には旗持ちの少年達、色とりどりの旗を竹竿になびかせて町内の子供達が七,八人、赤青黄緑水色紫白と長さ一丈(3m)ばかりの旗が寒風にはためき、此時空は暗くなり氷雨となりました。
白足袋に藁草履と云う葬式の履物、冷気は足から体まで這い上がっつて来るのです。私の後には弟の持つべき素木に台を持った従兄の善次さん、蓮華を持った人人、霊屋を荷いだ人。
ミサオ姉夫妻、シノブ姉夫妻父方の伯父叔母従兄たち、母方の伯父達、町内の人人の行列がこれに続きました。
行列の中程にお父さんのお棺を荷いだ小父さん二人。
この順序は少し異つているかも知れません。
何でも正確を期したお父さんのこと、この順序が異っていたら、棺桶から手を出して、「順序がちごとる」、と指図されそうです。間違へていたら何卒御許し下さい。
鉄道線路の手前の処で小休止することになりました。
「若松どんの小父さん、一とき休みもんど」、と小父さんが声をかけてお棺を降ろしました。
死人に声をかけて休むのが習わしだと云うことです。
そして堀切の処を通って副田原へ。
旦って山であったこの道を作る時、兄はまだ川内中学の生徒でした。
背の届く処に五十センチほどの天狗のお面を浮彫りにしました。
その天狗様は今は遥か頭上にあり、高かった鼻もやや低くなって氷雨に澪れ居りました。
山裾をめぐって続くシラスの道。
道は真直ぐでありたいと残念がっていた晩年のお父さんの姿を思い出します。
資金不足のため発言力も弱くなったその結果の道の姿です。
泥んこの細い道を登り、副田原につきました。
紫の尾を引くような紫けぶる紫尾の山が遥かに聳えて居りました。
右手には山又山の遠い連なり。
若き尊達の駒も止めたであろう風光。
此処はお父さんが選んでおかれた遺云の場所でした。
土葬をすまし、霊家を置き、墓標を立て、蓮華が飾られ供物も並びました。
父よ、おやすみなさい安らかに。