ryobeのブログ -13ページ目

ryobeのブログ

ブログの説明を入力します。

それを聞いて私も驚きました。

牛を半分食べ切れるものだろうかと。

母 は眉をしかめました。母は殆ど野菜しか食べない人でしたから、但し魚は鯛を食べました。鯛しか食べない人でした。叔父は肉食、母は菜食、肉食獣と草食獣が 子弟のような感じ。叔父は俳句をよくし、琵琶を弾じ杯一杯又一杯と久久の地酒に陶然として、時ならぬ酒宴が始まりました。朝鮮の話から思想の話へと移り何 と叔父は「俺は無神論者である。」と。

人はいろいろである。祖父愛吉も祖母曽野も信心の人、その息子は無神論者であるという次第。

叔父は銃を打って狩りをするのが大好き、どっかりと座った叔父、小柄で愛らしいさよ伯母。

伯父は山下性を名乗る養子、夫婦養子であるという。

どういう意味か分からないけれど、コヂン山(荒神山?)の伯父と私達は云う。

伯父の生家山内家は内門(ウチカド)と云う、徳川時代からの制度の名残であろうか。

「清兵衛は支那で粉ひきの会社に勤める人、嘗て朝鮮上陸第一歩の時、一羽の鶴が叔父の頭上を円を描いて舞った時、得意の銃で打ち落としたと云う。

これを聞いた祖母曽野は嘆き悲しみ「鶴は目出度い鳥、お前の前途を祝って舞ってくれたものを、何でそんなむごいことをするのか。」と怒ったと云う。

曽野は寺に行き、鶴の供養をして貰ったとは母の話。

この叔父が後年私が銀座の洋装店に働いている時、十幾年振りに帰国、東京を案内して欲しいと店に訪ねて来ました。

口のゼイタクな叔父はうまいものを食はせる店に案内してくれと。

案内すると二人で四人前を注文し「さあたら腹食べなさい。」と。

叔父も大食い、私も大食い、二人して方方食べ歩きました。翌日日光へ行きました。