「茶柱が立つと、よかことがあるからね、家のお茶は茶柱だらけ、よかことだらけね。そいでん三時には手もみのお茶をあげもんど」、でもクキ茶もなかなかおいしい。
さよ伯母の口元の可愛いこと、三時には手もみの上等のお茶を呑ませると云っているのです。このお茶は博覧会で賞を貰ったというお茶です。
煤で黒光りしている家の中、何とも落着いていいものです。
「いるちゅうことだよ」、母が云っていたので私は聞いてみました。
「清兵衛の会社は何という会社ですか。」
「日清製粉だよ」
私は清兵衛さんと云う人に会ったことがなかった。従兄と云っても私から見たら小父さんのような年の人である。
この清兵衛さんは戦后一度母を訪ねて見えたので、それが初対面であった。
「叔母さん!!清兵衛です、お久振りです。」と伯父に似た五十代の紳士であった。
おそらく母も清兵衛さん子供の時以来のことであったのです。
長兄十吉伯父の長男山内堤象さんはその点私達には近しい人であった。
練習艦八雲に乗り世界の海を航海して帰へってきた海軍兵学校の時親類の一人一人、子供達にまで外国の土産を持ってくる人であった。
姉達二人には宝石、私には綺麗なリボンを貰ったのを覚えています。
玉虫色に鮮やかな木目模様が見えるリボンでした。
父には揚子江の石で出来てる硯。
「字の下手な俺には勿体ない。」父はそう云うとしまい込んでしまいました。後に兄が学生になった時「これは一寸やそっとぢゃ買えない高価なものなんだぞ、俺が貰っとく。」と云って机上に置いて眺めていたのを思い出す。
小学校の時私は中学生の兄に連れられて寺の下の曽野ばあちゃんの家や長兄十吉伯父の家に泊めて貰って海水浴をしたものです。魚は余り釣れないけれど桜貝や赤貝のいる吹上浜、白い砂浜の海で泳ぎ貝、蟹をとって遊びました。