人工的な加工が過剰に施された石を見ると頭痛など体調に異変をきたす、石の専門家のことを思い出した。面識はないんだけどね。

食に例えるとものすごくわかりやすい。
生まれつき敏感な体質で添加物などで生命力が人工的に削られた食べ物で調子が悪くなったり、柔軟剤とかの人工的な香料で具合悪くなったり、化学物質過敏症や電磁波過敏症だったり。

そういう人が提唱する、
「自然のままの生命力を持った食べ物はパワフルです。人工的な加工が施されたこちらの食べ物はエネルギーとしては30%、あちらは……0%です。」

そこまで敏感でない体質の人が
「そうか、この先生が言う、これこそが"本物"の食べ物なのね!」
衣食住・社会環境、ありとあらゆる人工的で便利な文明の恩恵を当たり前のように受け取る一方で。

こんなわかりやすい矛盾にすら無自覚な、無邪気すぎる善意のカタマリそれ自体に罪はない。

だから時々思わぬ方向からブーメラン返ってきて感情の大ドラマ自作自演するハメになるんじゃね?というのはいいすぎかスンマセンな。

これと同じようなことが石の世界でもある。
ただそれだけのことだと思う。
個人的にはね。

とある書籍で「汚石」という概念・単語を知った。
そう思いたい人は思えばいい。それは個人的領域。わたしがとやかく言う筋合いじゃない。

わたしはわたしの領域で、こう考える。
食べ物にも石にも罪はない。
汚すのはいつだって人間の側なんだ。
本物と偽物に分けたほうが色々と嬉しい人々もいる。
それだけだ。

美しいものには力がある。
力を引き出すには美しさへの感受性が要る。
それは本能だ。
本能に、後付けの理屈は要らない。わたしの場合はね。

美しい存在を眺める至福のひととき。
幸せだ。ただただ、幸せだ。