ハート♡を作りたい/「プロセス」の重要さ | お母さん、火って何から出来ているの?(旧)

お母さん、火って何から出来ているの?(旧)

イラストレーター古田真理子の、子どもと格闘する家庭学習の記録。またはお仕事の記録。

ハナが何やら工作をはじめてる。

「あのね、ハートつくったげるからね!」
お母さん、火って何から出来ているの?


どうやら、幼稚園で先生が作ってくれた紙の「ハート」を、
見よう見まねで再現しようということらしい。
お母さん、火って何から出来ているの?



「えんぴつで、こうかくでしょ」
と、私に知った顔で説明をしながら作業をすすめるハナ…
お母さん、火って何から出来ているの?


えっと、なんかもう、すでに違うような気がするんですけど。


お母さん、火って何から出来ているの?

でもあえて指摘せず、なまぬるーく見守るワタクシ。


「それで、こうやって切ってーー」
お母さん、火って何から出来ているの?



あれれ?
お母さん、火って何から出来ているの?


あれーーーーー(笑)
お母さん、火って何から出来ているの?


この後、もう一度トライしていましたが、全く同じ結果になっていましたねぇ。




しかしハナってば、訳知り顔で私に説明をしていた手前、


お母さん、火って何から出来ているの?
「これでいいの!ね、できたでしょ」


だって(笑)

まぁ本人がいいとおっしゃってるし、
ま、いっかーーーーー。






。。。


今回、私は全く口出しせず(ヘー、ホー、と感心しながら写真はとってたけど)、見守るだけに留めていました。
もし、ハナが「やりかたおしえてー」と言って来たら、やり方を教えて上げていたかもしれませんが。

でも私のこだわりとしては。
本人が「教えて」と言わない限り、教えない。
工作の「やりかた」を知っていれば、子供の表現力はあがるけれども、
「やりかた」をすぐに教えることが、良い事とは思えないのです。

なぜかというと、私が大事にしたいのは、「何かを作りたい」というハナの気持ちであって、
彼女なりのアプローチ、試行錯誤、だからです。
その試行錯誤にフォーカスをあてて、その努力こそを褒め讃えたい。
そんな気持ちがあります。





最近、しみじみと思うんですけどね。

急がば、回れ。

って、大事だなーーって。

たとえば、美術や工作で言うならば、子供が
「何かの賞を取る」とか。
「(周りの大人がため息をつくほどの)ステキな作品を作る」とか。
「ハサミ使いが上手になる」

とか。明らかに目に見える結果って、ありますよね。
そういう結果に、惑わされてはいけないなぁと、思うのですよね。

焦っては、いけない。



そういった、わかりやすい、
目に見える結果を焦るのではなく、本人の「つくりたい」という気持ちを大事にすること。
本人の試行錯誤を、大事にすること。

そうやって、ゆっくりゆっくり見守ってこそ、本当の表現力、本当の思考力、子供の底力というのは、見につくんじゃないかなぁー。なんて。


最近そんなことを、ますます心に強く思うようになりました。


成果を焦ってはダメですね。
ゆっくりゆっくり。他人と比較せず。
今の結果がトホホであっても、その時その時を笑って楽しみたいと思っています。



さて、ハート♡の作り方を、ハナがマスターするのは、いつになるのかなー!?


。。。

でももし、その積み上げた結果が良いものであって、
他から認めてもらうような事があれば、
それはおおいに喜び、子供を褒め讃えたいと思います。
でも、その「結果」を過度に期待しすぎない。
その時、その時を大事にして、楽しむ。
「期待」と「放任」のバランスって、大事だなぁって、思います。
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