A4の紙3枚に分けて描いてましたが、この絵はどうやら繋がってるらしい。
なかなかの大作です。
「これ…、なに?」
「これはねぇ…ぼくの考えたゲームだよ。リトルビッグプラネットみたいなの!」
ははーん、なるほど。
どうやらこれは、タロウが今ハマってる「リトルビッグプラネット」というゲームをイメージして作った「ゲーム設計図」らしい。
(ちなみに実際の「リトルビッグプラネット」はコレとは全然違います)
- リトルビッグプラネット PLAYSTATION 3 the Best/ソニー・コンピュータエンタテインメント
- ¥2,980
- Amazon.co.jp
面白いねぇ。
私もそういえば子供の頃、こういうの描いてたなぁ、なんて。
なにかしらの「場」の設計図を、想像するのって、楽しいんですよね。妄想の世界(笑)
私が子供の頃は、その「場」はベルトコンベア式の工場でしたが(リンゴの皮むき工場とか、考えて描いてたw)
今の時代の子供だったら、その妄想に適する場は「ゲーム」が一番なのかも。
仕掛けが色々あって、それをどうクリアすればゴールに向かえるのかというのを考える作業は、確かにクリエイティブだし、ワクワク面白い!
。。。
で、思うんです。
ここからちょっと、家庭学習的な話、「学ぶ」ってナンダロウ的な話をしたいんですけど。
先ほどの話題にもでた「テレビゲーム」ですが。
ゲームというと、やれ勉強の邪魔だとか、創造性を無くすとか、想像力を奪うとか、子供の思考力を受動的にする、だとか、色々な批判があるのですけどね。
私は必ずしもそうとは限らないと思うのです。
そういったゲームを作っている人たちは、もちろん素晴らしい想像力、創造性を駆使してそれらを作っている訳です。
であれば、その「作品」に接し、楽しみ、さらには自分の想像力の材料として、「ネタ」として、消化し吸収してみようと思えば。
けしてそれは子供を受動的にさせたり、創造性を奪ったりもしないのではないかしら…と。
先日、こんな記事を読みました。
宮崎駿監督iPadについて「僕には、鉛筆と紙があればいい」と語る
このインタビューにおいて、宮崎監督は iPad を否定しています。
ウチには iPad も iPod もあって、新しいゲームやガジェットもわんさかあって、これはこれでなかなか面白いと、私自身は思っているので監督とは意見を異にしているのかもしれませんが問題はそういうことではなくて。
「あなたは消費者になってはいけない。生産する者となりなさい」
この言葉に、深く深く心を打たれるのであります。
つまり、ゲームや漫画や、その他数多ある色々なコンテンツもそうですけど。
それらのコンテンツに向かうときに、ただの消費者になって、面白く消費して「あー面白かった」と。
そのように過ごしてしまうのではただあまりにもつまらない。
そのコンテンツに向かうときに、面白かった、の次のもの。
その面白さを自分の糧にして、自分のネタに結びつけられる「何か」をみつけること。
そこが、その人の人間の生産力、創造性と発想の底力に、何かしら寄与するのではないかと思うのです。
もちろん、その創造性の底力には、バーチャルなデジタルコンテンツだけではダメだから、ゲームばっかりしててもダメだし、その他の色々なリアルな経験ももちろん大事だとは思うのですけれども。
素晴らしい絵画や音楽と同じように、素晴らしいゲームだって存在します。
作っている人たちの「思い」の込められた作品であるのは、ゲームだって同じ。じゃんじゃん吸収すれば良いと思うのです!
(もちろんグロ系、子供の人格形成に問題ありそうなコンテンツは論外ですが)
で、そういった創造性、ワクワクを吸収し、自分でも作り出す力こそが、他の「お勉強」…学校で行う学習のことですけど、にも寄与するんじゃないかなぁと。
だからゲームでもいい。遊びでもいい。何を通じててもいいんですけど、
子供たちには、創造する力=生産力を付けてもらいたいなぁと思うのであります。
「家庭教育」っていうと、お勉強をしっかりさせて学力を向上させて、受験戦争も切り抜けさせて…とか思っちゃうんですけどね。
もちろんそれも大事だとは思いますが!
でも、この生産力さえあれば。
たとえ、お勉強が出来ずに「良い学校」に行けなかったとしても、人生を楽しむ事は出来るんじゃないかなって。
そしたらもうそれで十分じゃん、なんて思っちゃう私は期待値低すぎかしら…(笑)
。。。
で。
話をもとに戻して、タロウのこの作品。
私の思いを?知ってか知らずか、拙いながらも彼は彼なりに「生産」していて、母は嬉しい
うんうん、ステキだとおもうわー。
タロウのゲームも面白そう。
たとえその世界に
死ぬ水 が溢れていたとしてもね!!!
死ぬ水って!どーなのよそれ…
。。。
表現、直接すぎ…
クリックしてくださいませ。
携帯の方は こちら をクリック!