大変お久しぶりです。以前日本酒ゼミの記事を担当したアダムです。

更新おくれてすみません。。

 

今回は、自分の卒業論文のテーマである『サイバーパンク』というSFのサブジャンルに関する記事を書きたいと思います。

 

というのも、『ブレードランナー2049』が10月27日に公開しました!!!

 

 

最近文化祭などで忙しくてみれていません。。。

早く見に行きたいですね〜

 

前作の『ブレードランナー』がなんと35年前の1982年に公開され、今作はその30年後を描いた作品になっています。

 

まぁ、とはいってもサイバーパンクについて熱く語ったところで、あまりみなさん興味はないと思うので(笑)

 

メディア論の中の「文化帝国主義」という概念と絡めて、サイバーパンクの都市像について書きたいと思います。

 

サイバーパンクの都市像といえばこんな感じです。

 

『ブレードランナー 2049』より

 

高層ビルと、東アジア系のネオンが光る道、雨が降り注ぐような世界観です。

 

以前アダムの台湾旅行記〜のなかで、実際にサイバーパンクな都市を体感した時の感想を書いたので、興味ある方は参考にしてみてください。

 

漢字などのネオンが目立つ街並みですが、『ブレードランナー』の舞台はどこだと思いますか?

 

じつは、アメリカのロサンゼルスという設定なんです。

 

初めて『ブレードランナー』を見た時、なぜL.A.に漢字や日本語が見られる都市なのか?と疑問を感じました。

他にも、『攻殻機動隊』や『JM』、『AKIRA』など多くのサイバーパンクと言われる作品の舞台がこのような都市像だったので、謎が余計に深まりました。

 

まあ、一般的にはサイバーパンクの金字塔と言われる小説でウィリアム・ギブソン作『ニューロマンサー』では舞台が千葉市であることが知られており、サイバーパンクのビジュアルに大きな影響を与えました。

しかし、こうした世界観から影響を受けて都市のビジュアルを決めた、ということにとどまらず、

そもそもなぜサイバーパンクの都市像は東アジアのような表象になったのでしょうか。

 

その仮説として、中国や日本の多国籍企業が世界を席巻するのではないか、という欧米人の恐れが表れているのではないでしょうか。

 

かつて、 日本はアメリカに戦争で負け、GHQによる指導で戦後発展してきました。

日本に洋食やテレビが家庭に浸透したのは、こうしたアメリカの指導によるものとされています。

こうした、大なり小なりアメリカの自国の文化を押し付け、敗戦国であり途上国だった日本の生活様式をアメリカに同化させたことは、文化帝国主義そのものでした。

 

そんな、文化帝国主義を推し進めてしまったアメリカに、サイバーパンクな都市が表象されるのは全く逆のベクトルの文化帝国主義が働いている、と言えないでしょうか?

 

そして、それを推し進めているのはだれでしょうか。

 

日本政府、中国政府といった、かつてのような国家ではなく、

ネット、ロボット、サイボーグ化が激しく進んだ世界では、そうしたテクノロジーを生み出す多国籍企業です。

 

サイバーパンクの世界観では、現代よりもテクノロジーが発展し、テクノロジーなしでは生きられない時代です。

つまり、テクノロジーを生み出す企業がいなければ人は社会で生きていけないのです。

 

テクノロジー化された人間は、企業によってメンテナンス、つまり管理されているのです。

 

このような点から、サイバーパンク的近未来都市では、国家よりも企業が権力を握っている世界なのです。

 

では、都市で企業が権力を握っているとしても、なぜ中国や日本といった街並みが見られるのでしょうか。

 

それは、その企業が日本や中国資本の企業だと想定されているからです。

 

その背景には、『ブレードランナー』が生み出された1980年代にあると思います。

 

1980年代は日本や中国などのアジアが経済成長したのに対して、欧米では冷戦による核の恐怖があったり、ベトナム戦争や湾岸戦争などの先進国として戦争に介入し続けたりと、両地域は対照的でした。

 

同時に、1980年代はインターネットが普及し始め、地球がネットでつながりはじめた時代でもあります。企業はグローバル化し、多国籍企業となって世界に渡り始めたと思います。

 

欧米人からすれば、俺たちがやってきた植民地化を、どんどん成長するアジアの企業にやり返されるのではないか。

 

1980年代の欧米人には、敗戦国だらけだったはずのアジアが高度経済成長を遂げ、企業が台頭してきたことは、恐ろしく感じていたのではないでしょうか。

私たち日本人は1980年代というと、バブルなど明るい時代を思い浮かべますが、

もしかしたら、欧米人の目には80年代は『ブレードランナー』の都市のように、暗くうつっているのではないか、と思わされます。

 

「文化帝国主義」の転換という視点でサイバーパンクの都市を見てみました。

 

かなり、雑多でまとまっていないので、卒論ではうまくまとめたいです。

 

ちゃんと裏付けもとらないと!

 

では、かなり話がこんがりましたが、ぜひみなさん劇場に足を運んで『ブレードランナー』について一緒に熱く語りましょう!!!

 

ではでは。。。。。。