【わたしの原点】
 
結婚して福島県郡山市に来てからの方がずっと長くなったけれど、
それまで住んでいたのは横浜。
でも、小学校あがる前までは熱海でした。
当時の熱海は全盛期で、それはそれは賑わっていました。
 
住んでいたのは、
今、若い人たちに人気の来宮神社と熱海銀座に至る坂の途中でした。
上れば来宮神社や梅園も近く、
下れば海岸に出る前のホテルや旅館が立ち並んでいました。
 
その途中にある温泉神社内の幼稚園に通っていた当時のこと。
着るもの全て母のお手製のおしゃれなものでした。
釣りキチの父とは、よく海釣りに行っていました。
当時から高級とされる魚を当たり前に食べていました。
 
なんて、思い出し始めたら、
膨大な数の写真のなかから、
実家を離れるときに選んで持ってきた写真を見てみると…。
 
すでに60年も経っているワタシもいるけれど、
そんなに古臭く感じないのは、
母のファッションセンス(全て手作りのものを着ていたので)の
おかげかもしれません。
 
 
なんて回顧録を言いたいわけではなくて、
還暦もすぎ、もうすぐ62になるという現実を前に、
24歳年上の幸助さんを見送った後
(年上だからと言って先とは言えないけど)の私は
どうするのか、考えてもいなかったけど、
このうたを聴くと、そうだ、そうだった。
こういう風景の処で最期を迎えたい。と
ふっと思った時、
それは、6歳まで住んでいた処だった。
 
すると、ぼんやりしていたその時の情景がはっきりとして来て、
自分はどうやって最期を迎えたいのか、
それを実現するにはどうすればいいのか、
それは今はとてつもない金額が必要だとわかったのだけど、
わかれば、近づくように工夫の仕様もある。というもの。
 
ひとの後押しをしている仕事もしているお蔭で
自分の行きたい方向がはっきりしてきた。
 
今後は、こうした実現のプロセスを書いていくかもしれません。
 
よかったらお付き合いを。
 

 

1月の営業日は↓の4日間でございます。

 

 

国産小麦のパン工房 ジョインズハウス

郡山市大槻町西ノ宮8-2

024-951-6954

(郡山自衛隊駐屯地西側。

ファミリーマートのT字路を入って5軒目の

赤いテントが目印)

 

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