未解決事件 ~ 東電OL殺人事件  | ふるふワールド

ふるふワールド

映画が3割、残りはノンジャンル
記事への感想もらえたら嬉しいです...つらつら続けて10年目

東電OL殺人事件

【事件概要】
1997年(平成9年)3月9日未明に、東電社員の女性が東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された未解決事件(死体発見は10日後)。

OLといっても研究職で女性エリート幹部であり、一流大手企業の女性幹部が終業後に、夜の渋谷で5年にわたって売春を行っていたというスキャンダルにマスコミが飛びつき、尾ひれはひれが付いた形で報道された。

こういうゴシップ要素は省く。

 



【被害者女性W】
殺害された女性Wは当時39才、慶応大学経済学部出身で成績優秀な学生だったのだが、女性新入社員にとってはたとえ非常に成績優秀であっても東電の研究職に就くこと、幹部までの昇進の道は極めて狭き門だった。だが、Wの父親が同社の幹部だったこと(彼女の入社前に自殺)、元幹部だった父親の肩書や父親の直属の部下の口利きもあり、女性幹部に。

佐野眞一の著書「東電OL殺人事件」は読んだがだいぶ前なので忘れかけている

概要は何となく覚えているので思い出しながらで

 



東電の年収だけでも1000万円は越えるにも関わらず、なぜ売春していたのかはわからない

東電幹部であり尊敬していた父親の自殺があり、彼女が父親に代わって一家の大黒柱として家族を支えていかなければいけなかったこと。幹部になれたものの、男性幹部や部下たちと対等に渡り合っていかなければいけない重圧やストレス、本人ですらわかっていない心の闇があったのかもしれない
男性目線ではわからないこともあるし、当時も彼女が昼夜でまったく違う2つの顔を持っていたことに関して共感する女性も多かったそうだ

 


【目撃証言】
Wの死亡推定時刻は3月9日未明だが、最後に目撃されたのは前日8日23時45分頃
殺害現場のアパートK正面で目撃された。目撃者の青年によると黒と白のジャンパー姿の男性と被害者Wらしき女性





現存する現場のアパート


 

【ネパール人逮捕、アパートの鍵】

事件後に殺害現場のアパートKの隣のビルに住んでいたネパール人のゴビンダ氏が逮捕された。ゴビンダ氏は被害者Wと面識があり、2度ほどこのアパートでWと性交渉している
彼はアパートKの隣のビルに仲間のネパール人4人とともに住んでいた。元々は彼の姉が住んでいたところに姉を頼ってゴビンダ氏が来日、姉とともに同居していた。その後ネパールに帰国していた姉が再び日本に戻る話が浮上して、仲間4人に隣のアパートKに移ってもらおうと管理人に部屋の鍵を借りた。結局はその話はなくなったが、そのまま1か月ほど鍵を返さずにいた

事件前には鍵を返していたが、Wや他の女性たちとこの部屋を使うために意図的に鍵をかけないまま返却。ここで複雑なのは被害者Wもこの部屋の合い鍵をもっていたこと、他にも合い鍵がたくさん作られていたらしい。
たしかにゴビンダ氏が犯行を疑われるのは仕方ない面もあるが、目撃証言は深夜で街灯が当りにくい暗がり、目撃された男性はゴビンダに似てるといえば似てるかな?という曖昧なものだった


殺人現場から複数の使用済みのコンドームが発見されたが、そのうちのトイレに浸かっていたものがDNA型鑑定によりゴビンダ氏のDNA型と一致したという検察。
だがWの死体は死亡して10日後に発見されており、その使用済みが事件当日のものかどうかもわからず、トイレの雑菌に数日間汚染されたもので、正確なDNA型鑑定ができるかは甚だ疑問で証拠をねつ造したとも思える(ほかの使用済みについては取り上げず)。ゴビンダ氏は
警察や検察の取り調べで自白を強要されたと後の取材で語っており、限りなく怪しいゴビンダを犯人にする強引なストーリーか

仮にそれが彼が捨てたものとしても事件当日のものかはわからず、W殺害の証拠にはならない

さらにゴビンダ氏は事件当日、勤務先である千葉市幕張にあるネパール料理店で働いていたが最後の目撃証言は23時45分に円山町の現場アパート、、
その時間に戻るには
幕張駅22:07の電車に乗らなければ間に合わない。店から駅までは徒歩5分だが、店の閉店が22時。閉店後にレジ閉め、掃除、着替えをしているとこの電車に乗ることは不可能。退社時間の証拠になるタイムカードが2,3分遅れていたらしいが、閉店後の作業を放棄して制服のまま急げば不可能ではないがかなりタイト、警察や検察は可能であるとした




【ゴビンダ氏、無罪で釈放】



 

1997年3月   事件発生
2000年4月   東京地方裁判所、証拠不十分で無罪
2000年12月 東京高等裁判所、DNA型鑑定結果などを採用して一転して無期懲役
2003年10月 最高裁判所、上告棄却で無期懲役が確定
2005年3月   再審請求
2011年7月   東京高等検察庁で再度のDNA型鑑定 


DNA型再鑑定の結果、Wの遺体から採取された体液のDNA型はゴビンダ氏と一致しなかった。さらにゴビンダ氏とは別の男性Xの存在がようやく明らかになる。ただしこの男性XはWと性交渉していた証拠にはなるが、Wを殺害した証拠にはならない

2012年11月 東京高等裁判所で再審により無罪判決



前述したように被害者Wも含め複数の合い鍵が作られていて、事件当日この部屋の鍵が閉まっていたかどうかもわからない。Wは不特定多数と関係をもっており、犯人の特定は極めてむずかしい。

Wの死因は絞殺で顔に殴られたあざがあった。殺害現場に残っていたWのショルダーバックのヒモがちぎれていて、単純に考えると行きずりの男と金銭交渉でもめてトラブルになった。
または交渉後、男性が金品強奪目的でバックを奪おうとしてWと引っ張り合いになり ヒモがちぎれてしまったという光景も容易に想像できるが、、

最後に、真犯人はWのバックから盗んだと思われる電車の定期券を豊島区巣鴨の民家の庭先に捨てている。その民家の隣は町工場でそこに捨てるならともかく、なぜわざわざ見つけられる可能性のあるところに投げ捨てていったかも謎になっている

(Wの死亡推定は3月9日未明、定期券はその3日後に民家の住人が発見した)