阪神タイガース選手名鑑2008年版 コーチングスタッフ編 本日は85~87のコーチングスタッフを紹介します。

85:広澤克実 打撃コーチ 愛称:「トラ」・「広沢はん」 
生年月日:1962年4月10日
出身地:茨城県結城市
プロフィール:1984年、ドラフト1位指名でヤクルトに入団。その際永久欠番である背番号8を禅譲される。ヤクルトの主軸を成し、2度のリーグ優勝に貢献した。1994年オフにFA宣言し巨人に移籍。本職は一塁だが外野を守ることが多くなった。1997年9月26日、対中日戦でサイクルヒットを達成。1999年4月29日の古巣・ヤクルト戦で中堅前ヒットを放った後、二塁への盗塁を試みるが右肩を脱臼。これがきっかけでシーズンを棒に振り2000年阪神に移籍。移籍後は代打の切り札として活躍。一部では「代打の仏様」とも呼ばれていた。2003年の日本シリーズ第7戦最終打席で本塁打を放つ。なお、これは日本シリーズ史上、歴代最年長本塁打記録である。しかし5打席連続三振というタイ記録も作り上げてしまった。その年限りで引退。所属した3球団全てで優勝を経験した。引退後はNHK、スポーツニッポンの野球解説者を経て、2006年10月17日に阪神の1軍打撃コーチとして古巣復帰。ユニークな人柄からタレントとしての活躍も期待される。阪神時代の背番号は31だった。その後2004年に濱中に自ら背番号31を与えた。現役19年の間、退場処分を受けたことは一度もない。

通算成績(1985年~2003年):1736安打 306本塁打 78盗塁 985打点 打率 .275
背番号:8(1985年~1994年)・80(1995年~1996年)・10(1997年~1999年)・31(2000年~2003年)・85(2007年~)

86:和田 豊 内野守備走塁コーチ 愛称:「ワダやん」 
生年月日:1962年9月10日
出身地:千葉県松戸市
プロフィール:1984年ドラフト3位で阪神に入団。同年限りで引退した藤田平がつけていた背番号6を与えられる。翌年、新人選手ながらチームの日本一達成に控え内野手として貢献。1988年、この年遊撃手としてレギュラーに抜擢されると56犠打を記録した。また翌年にも最多犠打となりチームの中心選手となった。当初、打順は2番が多かったが徐々に1番に定着しチームリーダーとして引っ張った。1992年から3年連続同ポジションでゴールデングラブ賞を受賞、また、同年はチームの優勝争いに貢献しベストナインにも選ばれる。芸術的な流し打ちや初球から余り手を出さないものの追い込まれてからの勝負強さを武器に安打製造機として1993年には最多安打を獲得し通算1739安打を記録した。特に通算安打は阪神史上第3位にあたる。一方、1991年から3年連続0本塁打であった。1994年に自己最高の成績を残し首位打者争いにも加わったがシーズン最終戦で自打球を当てたために足を骨折、翌年は不振に陥り2番を打つことが多くなった。1996年は開幕スタメンを7番でスタートするが5月下旬には1番に戻り成績も復調し11月に行われた日米野球にも出場。特に甲子園のゲームでは野茂から3ベースを放ち5打点を上げる活躍をみせた。1997年はシーズン当初から好調を維持し24試合連続安打を放つ。しかし7月の中日戦で死球を受け左手人差し指と中指を骨折二ヵ月間戦線を離脱する。1998年には結膜炎にかかり一時期眼鏡をかけてプレーしていた。2001年に選手兼任で打撃コーチに就任し同年引退。2002年からは背番号を86に変更して、コーチとしての優れた観察眼と指導で2003年のリーグ優勝に貢献した。2006年10月から内野守備走塁コーチに配置転換された。また、阪神公式サイトにおける日記「虎の意地」は、書籍化もされた。選手からの信頼も厚い。

通算成績(1985年~2001年):1739安打 29本塁打 93盗塁 403打点 打率 .291
背番号:6(1985年~2001年)・86(2002年~)

87:中村 豊 二軍守備走塁コーチ 愛称:「豊」
生年月日:1973年4月23日 血液型:B型
出身地:大阪府堺市中区
プロフィール:1995年のドラフト1位で日本ハムに入団。日本ハム時代はケガに泣きレギュラーを取る事が出来なかったが強肩俊足の外野手でパンチ力もあり2003年にトレードで阪神に移籍後は主に守備固めとして数多く起用され、リーグ優勝に貢献した。しかし2004年は3試合の出場にとどまり、2軍コーチ就任の打診を受けたが、これを断り現役続行を決断、2005年9月7日の中日戦で終盤に代走で出場してそのままライトの守備に就き11回表に実に3年ぶりとなる決勝ホームランを放ち優勝に導くきっかけを作った。昨年は開幕一軍スタートだったが桜井らの台頭や投手陣の関係で抹消。6月に右ひじの手術を行なったこともありシーズンの大半を二軍で過ごした。現役続行へのこだわりもあったがシーズン終了後に球団から再び二軍コーチへの就任を打診され最終的にはこれを受諾。10月22日現役引退と同時にコーチ就任した。サービス精神が旺盛で2003年には試合が雨でノーゲームになった際に沖原(現在:楽天)と共に泥だらけのグラウンドを走り回り、ファンを楽しませた。彼らは『宇宙決死隊』と呼ばれていた。

通算成績(1996年~2007年):709打数 176安打 8本塁打 63打点 12盗塁 打率.248
背番号:7(1996年~2002年)・0(2003年~ )

如何だったでしょうか選手名鑑2008年版コーチングスタッフ編 次回は88~91・97のコーチングスタッフを紹介致します。