英雄か?大悪党か?国王も魅了したリヒャルト・ワーグナー | オフィス『響愛(ひびきあい)』

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第4回「英雄か?大悪党か?国王も魅了したリヒャルト・ワーグナー」        
 Richard Wagner
  リヒャルト・ワーグナー
  (1813~1883)

  1813年ドイツのライプツィヒに生まれる。
  同じ年にイタリアでオペラ王ヴェルディが生まれる。
 2人とも オペラの改革に生涯を捧げた。
  
ワーグナーの熱心な信奉者のことを「ワグネリアン」という。

他の作曲家にはこのような言葉はない

 

モーツアルティアンと言わないことはないがあんまり使われない。


代表的なワグネリアン

  ルートヴィッヒⅡ世、ボードレール、三島由紀夫、
  永井荷風、石川啄木、ヒトラー

 

 

とりわけヒトラーはワーグナーの音楽をかけ続け、ドイツ国民を鼓舞したという。

またワーグナー著書Mein Leben(我が生涯)は「ヒトラー著書Mein Kampf(我が闘争)のモデルとなった。

  哲学者ニーチェは「ワーグナーの音楽はペストだ!」

 

 指揮者フルトヴェングラーは「巨大な愛情と崇拝が捧げられているが同時に憎 悪と憤まん、激昂した敵意にもさらされている。」


  オペラ10作 書籍112冊
  代表作 リエンツィ さまよえるオランダ人 タンホイザー ローエングリン          トリスタンとイゾルデ ニュルンベルグのマイスタージンガー
         

そして全部演奏するのは4日もかかる超大作

 ニーベルンゲンの指環(①ラインの黄金②ワルキューレ③ジークフリード④神々の黄昏)

  父は警察の書記官フリードリヒ 生後半年で亡くなる。
  母ヨハンナ 9人兄弟  継父ガイヤー 父の友人で役者

 

小さい頃のワーグナーは食べてばかりいたそう。

ピアノも習わせたが教えたとおりにやらない。

(母親の気を引きたかった?)

 

継父ガイヤーは自分の劇団の稽古場にそんなワーグナーを連れて行った。

それが後の楽劇を創り出すことに繋がったのだろう。

 

実の父はフリードリヒではなく、本当はガイヤーだったのではないか?

そんな想いが彼の中にもあったのか、後年、ガイヤーさんのことを訊かれると口を閉ざしてしまったという。

 

 1831年ライプツィヒ大学へ入学
彼に音楽家の才能を見出した 聖トーマス教会の指揮者テオドール・ヴァインリヒが一切の謝礼を受け取らずに作曲を指導する。
 

  1833年ヴュルツブルグ市立劇場の合唱指揮者になる
 1835年自作を初演するも出演者同士の男女関係のもめ事からケンカになり、大失敗に終わる

 

 

 

  1836年女優ミンナ・プラーナーと結婚  4歳年上
            貧しさに拍車がかかった。

毎日のようにユダヤ人の金貸しが借金取りに押しかける。

このときの体験がユダヤ人への憎悪に結びつく。

 

リガで破産し、夜逃げする。

その逃避行の過程で船が沈みそうになるほどの嵐に巻き込まれる。

 

奇跡的に助かり、北欧のフィヨルドを見たときに作品の構想が浮かぶ。

1841年「さまよえるオランダ人」完成

 

ところが貴族などの富裕層は旧来からの王侯貴族の恋愛物語を期待していたためか、評判は悪かった。

しかしながら、市民階級からは反応がよかった。


  ドレスデン宮廷楽団の指揮者となる。

 

1845年「タンホイザー」完成
1847年 母ヨハンナ死去

この日、ワーグナーが書いた日記は字が乱れて全く判読できない。


1848年 リストと知り合う  「ローエングリン」完成 パリで2月革命勃発
1849年 バクーニンとドレスデン革命を指導する。

なかなか世間からは認められないワーグナー

そんな社会など滅んでしまえと思ったのだろう。


お尋ね者となり、スイスのチューリヒへ亡命

 


◎マチルデ・ヴェーゼンドンク(永遠の恋人)豪商の夫

 


亡命生活を助けてくれた大恩人の妻

 

1857年大恋愛をする。 
マチルデ29歳 ワーグナー44歳
ミンナの猛烈な嫉妬で終わり、プラトニックなままだった。

  楽劇「トリスタンとイゾルデ」で想いを昇華する。

  1864年5月3日 一人の男が現れる。借金取りだと思っていた。

「我が王の元へお越しいただきたい」

たちまち借金は全額支払われた。

 

若きバイエルン王ルートヴィヒⅡ世


母の愛を知らずに育った彼もまた孤独だった。


ルードヴィヒⅡ世の建てたノイシュヴァンシュタイン城 

別名を白鳥城という。

  

 

 

そんな若き王はワーグナーの音楽に魅了されワグネリアンとなる。

ノイシュヴァンシュタイン城の中に「ローエングリンの間」まで作ってしまう!

 

 

ルードヴィヒⅡ世はワーグナーのためなら援助を惜しまなかった。


 バイロイト祝祭歌劇場

 

国王の庇護の元、ついにワーグナーの作品だけを上演する劇場を建ててしまう。
 1876年第1回バイロイト音楽祭
 各国の皇帝や王侯貴族がやってくる。

「ついに王侯貴族が自分の前にひれ伏した。」
 大きな名声を得る。


 しかし、国家予算の1割を浪費
 国民の反発を招くことになる。 

 

共産主義者マルクスはバイロイト音楽祭のことを「バカ祭り」と呼んだ。

 

☆ハンス・フォン・ビューロー
(指揮者1830~1894)

(左がビューロー、右はブラームス)

 

ピアノはリストに師事 
1846年ワーグナーに弟子入り 

 ピアニスト・指揮者として活躍

職業としての指揮者の第1号とされる。

 

ブラームス、チャイコフスキー、
ドヴォルザークを世間に紹介した。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を初演

(チャイコフスキーは最初、師であるルービンシュタインに献呈しようとしたが、「演奏不能」とケチョンケチョンにけなされたので、ビューローに献呈した。

ビューローがいなかったら、この曲は世に出なかったかもしれない!)


コジマ・リスト

 

ピアノの魔術師 フランツ・リストとマリー・ダグー伯爵夫人の娘

 

 


20歳の時に7歳年上のビューローと結婚
一男三女をもうける。
ワーグナー作品の登場人物の名前も付けた。
 

ところがコジマはワーグナーの元へ行ってしまう。

 

借金は踏み倒して夜逃げする。

不倫はする。

国家予算は食い潰す。

人の奥さんは寝取る。

 

実にけしからん!!!

こんなトンデモナイ野郎が学校の音楽室に肖像画がかけられて、偉人だから尊敬しろって教えられてる。

 

他にもモーツァルトはスカトロ大好き、女遊び大好き

ベートーヴェンもシューベルトも梅毒にかかってた。

ベルリオーズはストーカーで殺人者になりかけた。

ショパンは肺結核でネガティヴ

リストも不倫しまくり。

シューマンは精神病でライン川に飛び込んだ。

チャイコフスキーはホモだった。

ドビュッシーは弟子のお母さんと不倫して逃げた。

ラヴェルはあまりにもヘビースモーカーだったから、第一次世界大戦のさなかなのに軍隊をクビになった。

ブルックナーはロリコンだった。

ストラヴィンスキーは「春の祭典」の初演時に暴動が起こって警察と軍隊が出動!

マーラーはフロイトの精神分析を受けてた。

 

もう音楽家ってなんなんだ!

まともなのはバッハだけなのか???

 

話がそれました・・・(^0^;)

 

献身的なワーグナーの協力者だったビューローは以降、ブラームスの協力者となる。
ビューローはマリー・シャンツァと再婚

リスト派    ワーグナー  新ドイツ楽派
              ビューロー
反リスト派  ブラームス  (ビューロー)
(シューマン派)

1894年ビューローはカイロで死去

自伝「Mein Leben」(我が生涯)執筆→ユダヤ人への攻撃

「優秀な民族が劣等な民族と結ばれることで、その優秀性は破壊される。」


1882年 第2回バイロイト音楽祭開催
              「パルジファル」最後の作品
 

1883年2月10日 母ヨハンナが夢に出る。
                 14日 狭心症の心臓発作 ヴェニスで死す。69歳
    「愛・悲劇」・・・最期の言葉

 1930年 コジマ死去93歳

  「結構尽くめのことにはいつか必ず悪魔のツケがくる。」(ワーグナー)