こんにちは。ふうりんそう治療院、千葉です。

たまに更新しているブログで~す。







☆゚・:,。*:..o○今週のお出かけ日記です○☆゚・:,。*:.




今年の夏休みは、両親の田舎である秋田県に


行ってきました。


その途中、宮城県、岩手県に少し寄ってきました。





やまびこ号に乗ってまずは、仙台へ



実は、初めての仙台です。


やはり仙台と言えば、ベタですが、「伊達政宗公」


ですよね。



伊達政宗は、「遅れてきた戦国大名」と言われていますが、


豊臣秀吉(羽柴秀吉)が天下人寸前の頃、伊達政宗24歳でした。


(政宗が永禄10(1567)年の生まれに対して、

織田信長は天文3(1534)年生まれで33歳差、
豊臣秀吉は天文6(1537)年生まれで30歳差、

徳川家康は天文11(1543)年生まれで24歳

の年齢差ということになります。)



奥州では風雲児と呼ばれ、「いつか天下を」と狙っていましたが、


さすがの豊臣秀吉の前には、歯が立ちませんでした。


その後、徳川家康にも阻まれてしまいますが、



仙台という不毛な土地を改良、そしてお米の生産に


力を注ぎ、いち早く外交に目を向け海外に派遣するなど


天下こそ取れませんでしたが、伊達政宗の功績は、


とてつもなく今の仙台いや、日本に受け継がれています。






城址から見渡せる仙台です。


先見の目がある伊達政宗ならこんなビル街になるのも


想像していたのかもしれません。




その後、30分ほど車で走りたどり着いた所は、


被災地の一角である荒浜です。



当時の写真が貼り付けられていました。



今、この学校は使われていませんが、こんな感じで


残されていました。




必ず復興を果たし、再び活気を取り戻した


美しい街並みになることを願ってやみません。


その姿をきっと、どんな逆境にも負けなかった伊達政宗も望み、


仙台城址の高台から見守り続けているのだと感じました。





そして今度向かった場所は、岩手県花巻市にある


「宮沢賢治」が教員として勤務していた


岩手県立花巻農学校(現・花巻農業高等学校)


に行ってきました。



ここは、教師を辞めた後に住んでいた住居が


移築されています。




玄関横の黒板には、賢治の筆跡を模して

『下ノ 畑ニ 居リマス 賢治』の文字が、

花巻農業高校の生徒によって

上書きされ続けているそうです。


ここは、「宮沢賢治童話村」です。


宮沢賢治の童話の世界に誘って


くれます。


そして最後の目的地である、


両親の実家の最寄り駅、秋田県仙北市の角館駅です。



これは、黒板塀と枝垂桜で有名な角館の武家屋敷通りです。



国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。




今度、来るときは東北三大祭りなど見に来ます。







おわり




本日も読んでいただきありがとうございます

(#⌒∇⌒#)