私の大切なM.Yさんの話を紹介します。
あまりにも、自分と同じだったので、驚きましたが
私だけに限らず、親が嫌いで介護をしていた方も多いと思います
しかも、親の嫌いな理由が、そんな小さな時に創った傷だったなんて到底気づきませんでした。
全て、思い込みの世界で、生きていたのです
彼女は、とっても我慢強くて感張り屋さんでしたが、本当に親の介護というのは、プロでも大変です
でも、お手上げにやった時に、ミロスの本当の意味を理解したのです
今の彼女は、介護を楽しみ、自分の人生も思いっきり楽しんでいます
そんなストーリーを、ぜひ
ご覧ください
『私はなぜ、父が大嫌いだったのか!?』
私は父が大嫌い!でした。
父の全存在を嫌い、できる事なら私の前から早く消えて欲しいと思ったりもしていました。
でも心の底では、「父と仲良くしたい!」とずっと思っていました。
しかし自分の本当の思いとは裏腹に、父に冷ややかな言葉を吐いたり、無視したり、父を前にすると顔も強張り笑顔なんて絶対無理!
なんて可愛くない娘!最低!素直になれない自分も嫌いでした。
どうしてこんなに父を、自分を嫌いになったんだろう…。
あれは…小学生の時、自分の名前の由来を作文にする宿題がありました。
母に由来を聞いたところ…早産の為、名前を考えていなかった事と男の子が欲しかった為、父は名前が思いつかないまま、出生届提出期限日に、役所の受付窓口にいた担当者の名前から、「Y子」と付けた!と…。
たまたま付いた名前?
ひどい!ショックでした…。
更に、作文と一緒に提出する生まれた頃の写真も一枚も無く…悲しみと、情けなさと怒りで、二重のショックでした。
でも、無いのも恥ずかしいと思い、泣く泣く姉の写真を持って行きました。
父は、私の誕生を喜んでいなくて、私なんかどうでもいいんだ!
父への信頼は砕け散りました。
そして、「本当の事とは言え、娘が傷つくと思わなかったの?嘘でもいいから、生まれて来た喜びを聞きたかった!」と、怒りは母にも向けら、れました。
父には「薄情、無責任」を、
母には「分かってくれない」を、
自分には「どうでもいい、必要とされていない存在」
のレッテルを貼りました。
そして両親の、姉と私との接し方の差に落胆し、姉に対して劣等感を抱くようになりました。
学校でイジメにあったりしても、辛い思いを誰にも話す事無く乗り越えてきました。
私の何処がいけないのか?どうしたら人に必要とされるのか?
何で私は生まれて来たんだろう?
全く自分の存在価値がわかりませんでした。
自分の生まれて来た意味が知りたくて、心理学や哲学書を読みましたが答えは有りませんでした。
親しくしてくれる人にも距離を感じ、心はいつも孤独でした。
だけど周りからは「いつも笑顔だね!」と言われる様になっている自分に偽善を感じていました。
就職してからも、必要とされる事を感じたくて、頼まれれば凄く頑張り、頼まれなくても進んでやるので、無理をしてくたびれ果てる日々でした。
そして、いつも人に合わせて「いい人」を演じる様になっていたので、全く自信がなく自分の意見を言えなくなっていました。
「こんな私、違う…」
いつからか心の奥から聞こえてくる声は、年々大きくなって行きました。
そんな時、「地球環境平和団体」と巡り合いました。
「皆はひとつ」一人一人の心の平和が世界平和につながる!
戦争反対ではなく非対立!に共感し、積極的に活動する様になりました。
しかし、いっこうに変わらない世の中。増して行く心の葛藤。どんどん遠ざかって行く平和…。
なんでだろう?どこか違う…。
私は、活動を辞めました。
その後も、精神世界、自然食、自然療法等々を渡り歩き、生きる意味、心の平和を探し続けましたが、平和は訪れることはありませんでした。
そして私は、父が母を無視すること、粗末にすることを一番許せなくて、父の側にはいたくなかったけれど、母を守るためにずっと家を出ることが出来ませんでした。
そして、「父が大嫌いな私は、結婚しても幸せにはなれないだろ…」と、なんとなく思っていて、無意識に男性を遠ざけ、いつしか50歳になろうとしていました。
そして…いつの間にか母が認知症になっていました…。
「認知症になったのは父のせい!」と、私は父を責めました。
そして、私の知っている母とは違う母を受け入れられず、
「どうして?どうして!?」と、母を責めました。
そして、両親を責める自分を責めました。
明日こそは、両親に優しく接しよう!と思っても、両親を目の前にすると、出るのは怒りの言葉ばかり…。
周りからは、「両親の面倒を見て偉いね!」と言われるけれど、そうではない自分…“自分は悪”とする思いは日に日に増していきました。
どんどん両親を不幸にして行く自分に耐えられず、毎晩空に向かって「神様、どうか私を良きことのために御使いください!」と祈ることで、自分を慰めていました。
そして…とうとう父も認知症になってしまいました。
昼間は働き、夜は両親の面倒を見るのは大変なので、姉に時々手伝いに来てもらう事にしました。
しかし…姉はうつ病を患っていたので、一ヶ月もしない内に来られなくなりました。
父の症状は急速に進み、私は夜も眠れなくなりました。
ある夜、余りの荒れ方に「お父さんなんか、死んでしまえ!」と言ってしまい、
自分の恐ろしさに愕然としました。
そして、「助けて~助けて~」と、私を何度も呼ぶ父の声を聞いても起きるのに疲れ果て、耳をふさぎ泣きながら無視する様になりました。
応えたいけれど、応えられない…そんな自分が情けなくて、「消えてしまいたい!」けれど、両親を残して消えることも出来ない…。
仕事を終え、直ぐに帰宅したら、そこにはどんどん壊れて行く両親の姿が…もう心身共にクタクタで、これからどうなるのかも、以前はどうだったのかも考えられない…ただ、ただ、毎日を過ごすことに必死でした。
そんなある日、鏡に映った自分の顔を観て、驚きました!
そこに映ったのは、まるで、やつれ果てた老婆!
「こんな生活辞めよう!」
そう思った瞬間!私の中から…
「私は両親から出来ている!」と聞こえたのです!
はっ!としました。
それは、以前ミロスで知った言葉だと思いました。
「そうだ!私の中にはお父さんとお母さんしかいないんだ!」
「両親を傷つけると言う事は、自分を傷つけることになるんだ!」
あ~私は、なんて事をしてきたんだろう!
母を無視し、粗末にする父を一番許せなかったあの感情は、自分自身を無視し粗末にしていた自分への怒りだったんだ!
自分の存在を、初めて知った感覚でした。
私は一番に、父に謝り感謝を伝えたい!と思いました。
しかし、父は自宅から少し離れた施設に一週間置きのお泊まりに行っていたので、施設の方角に向かって「ごめんなさい、ありがとう」の想いを送りました。
自宅に戻る朝、施設から連絡が入りました。
「お父さんが起きません!変なので病院に連れて行きます」
急いで病院に行くと、医師から「脳内出血です。持って3日の命です」と言われました…。
父は目を覚ますことはなかったけれど、それから16日間生きてくれました。
51年間、ずっと近くにいたのに、ものすごく遠い存在だった父の手を握り、父の温もりを感じながら私の思いを話すことができ、話しながら、父から可愛がってもらっていたことが思い出されて来ました。
「そうだった!私は父に愛されていた!」
「今迄本当にごめんなさい。本当にありがとう」
そして…「お父さんの事大好き!」と言えることができました。
こんなことが言えるなんて、本当に奇跡です!
ミロスに出合っていなかったら、ずっと父を許せずに嫌いなままでいたでしょう。
父に優しく出来なかっ自分を悔やみ責め続けていたでしょう。
親を、自分を愛せないなんて…本当に不幸です。
私をミロスへ導いてくれた父…。
ミロスに出合っていたのに、その素晴らしさに気付けず、どんどん暗闇の世界に入って行った私を救ってくれたのは、大嫌いな父でした。
父の死によって、父の大きな愛を感じ、私の中から愛と感謝が溢れてきました。
父は、命をかけて私の中に生きている事を証明し、私が私自身を愛することを教えてくれました。
父の死後、父の日記を初めて読みました。
そこには、母や姉家族、そして私への温かい想いの言葉が沢山書かれていました。
口数が少なくて、優しい言葉などほとんど聞いたことが無く、自分のことしか考えていないと思っていたけれど、お父さんは、本当は私達のことをいっぱい思っていてくれていたんだ!
私が父の嫌いなところばかり見て、父の愛を受け取れなかっただけなんだ!
父の愛を身体中に感じて嬉しくて!
有難くて!
涙は溢れ胸がいっぱいになりました。
自分の内側の愛を感じたら、外側にも愛を観る!
感動の愛の出会いでした。
そして両親の姿は、自分を否定し、自分の存在を認めなかった私の姿そのものだった!と、しみじみと思いました。
「お父さん、お母さん、ありがとう。これが私のストーリーなんですね!」
父を嫌う自分でよかったんだ!
この両親でよかった!
愛を知る為に、自分の存在を知る為に、私はこの両親の元に生まれて来たんだ!
と、これまでの人生を認めることができました。
ミロスに出合い、宇宙の壮大なストーリーそのものである自分の存在を認め、幸せになることで、両親、全ご先祖さまが癒され、私の体験が世界を救うことになる!と知れて、本当に嬉しいです!
ちなみに…母は現在、デイサービスで“アイドル”と呼ばれ、とても大事にされています。