依然厳しい状況の松田直樹選手…
Jに疎いのであまりJでの思い出は持ち合わせていませんが
松田選手といえばトルシエ監督の代名詞
“フラット3”の一角を担った魂のディフェンダー。
やはりワールドカップ日韓大会での活躍が印象的ですが、
個人的には松田選手と聞くと『マイアミの奇跡』のアトランタ五輪を即思い出す。
夢中で白球追いかけ続けた高校時代。
高校卒業し正直プー太郎状態で迎えた96年の夏の日。
日本時間朝9時のキックオフだった。よく覚えてます。
目標もなくなって腑抜けの自分。
高3の夏の予選敗退後もなんだかんだOBとしてグランド行ったり
中学生のチームにコーチで練習手伝いに行ったりで
身体を動かす状況にはあったけれど、この夏は違った。
そんな中の『マイアミの奇跡』は身体に衝撃が走った。
高1の時にJリーグが始まり、そして“ドーハの悲劇”を目の当たりにし
さらに高2で94年のワールドカップアメリカ大会。
野球ばっかりの人生が少しずつ変化していた。
そこへ来て自分と同世代の選手達がオリンピックとは言え
ブラジルに勝っちゃったもんだから、
これがきっかけの一つとなり翌年からある学校へ通い始めた。
今の仕事にはほとんど役には立っていないが
間違いなく“ドーハの悲劇”“マイアミの奇跡”“ジョホールバルの歓喜”は
多少なりとも自分の人生に影響を与えた…とは大袈裟だけど。そんな感じ。
『マイアミの奇跡』で必ずクローズアップされるのが
ブラジル代表が放ったシュートの雨霰をGK川口能活が神がかり的スーパーセーブの連発。
もちろんあの時の川口は凄まじかった。
でもあの好セーブ、あるいはポストやクロスバーに救われた裏には
3バックで先発した鈴木秀人、田中誠、そして松田直樹の頑張りがあったからこそ。
とにかく身体を張って守り続け、シュートに対してはコースを消しに行き
シュートコースを限定することで川口のセービングを助けた。
ブラジルに対してはディフェンダーとGKの連携に弱点ありと
0-0でも御の字の日本はロングボールを入れての攻撃。
結果左サイドの路木からのロングフィードが狙い通りブラジルのミスを誘い
伊東輝のごっつぁんゴールにつながった。
やはり頑張ったチームにはご褒美が待っているわけで。
試合終了の瞬間、マイアミのオレンジボウルスタジアムは
サッカー史に残るアップセット劇にザワつく観衆と
日本の奇跡の勝利で歓喜に沸く中、松田選手はクールに映った。
放心状態と言うか、呆然としている様にも見えたけど、
グループリーグの初戦を勝利したに過ぎない
と思っていたかはわからないが、そんな顔にも見えた。
松田選手は早生まれの1977年生まれ。これは中田英と同じ。
学年は僕の一つ上ではあるが自分も1977年生まれ。
とにかくショックです。
自分には何もする事は出来ませんが
ふとした瞬間、気が付いた時に彼の事を想う事くらい自分にも出来ます。
松田選手、また奇跡を起こしましょう!
Jに疎いのであまりJでの思い出は持ち合わせていませんが
松田選手といえばトルシエ監督の代名詞
“フラット3”の一角を担った魂のディフェンダー。
やはりワールドカップ日韓大会での活躍が印象的ですが、
個人的には松田選手と聞くと『マイアミの奇跡』のアトランタ五輪を即思い出す。
夢中で白球追いかけ続けた高校時代。
高校卒業し正直プー太郎状態で迎えた96年の夏の日。
日本時間朝9時のキックオフだった。よく覚えてます。
目標もなくなって腑抜けの自分。
高3の夏の予選敗退後もなんだかんだOBとしてグランド行ったり
中学生のチームにコーチで練習手伝いに行ったりで
身体を動かす状況にはあったけれど、この夏は違った。
そんな中の『マイアミの奇跡』は身体に衝撃が走った。
高1の時にJリーグが始まり、そして“ドーハの悲劇”を目の当たりにし
さらに高2で94年のワールドカップアメリカ大会。
野球ばっかりの人生が少しずつ変化していた。
そこへ来て自分と同世代の選手達がオリンピックとは言え
ブラジルに勝っちゃったもんだから、
これがきっかけの一つとなり翌年からある学校へ通い始めた。
今の仕事にはほとんど役には立っていないが
間違いなく“ドーハの悲劇”“マイアミの奇跡”“ジョホールバルの歓喜”は
多少なりとも自分の人生に影響を与えた…とは大袈裟だけど。そんな感じ。
『マイアミの奇跡』で必ずクローズアップされるのが
ブラジル代表が放ったシュートの雨霰をGK川口能活が神がかり的スーパーセーブの連発。
もちろんあの時の川口は凄まじかった。
でもあの好セーブ、あるいはポストやクロスバーに救われた裏には
3バックで先発した鈴木秀人、田中誠、そして松田直樹の頑張りがあったからこそ。
とにかく身体を張って守り続け、シュートに対してはコースを消しに行き
シュートコースを限定することで川口のセービングを助けた。
ブラジルに対してはディフェンダーとGKの連携に弱点ありと
0-0でも御の字の日本はロングボールを入れての攻撃。
結果左サイドの路木からのロングフィードが狙い通りブラジルのミスを誘い
伊東輝のごっつぁんゴールにつながった。
やはり頑張ったチームにはご褒美が待っているわけで。
試合終了の瞬間、マイアミのオレンジボウルスタジアムは
サッカー史に残るアップセット劇にザワつく観衆と
日本の奇跡の勝利で歓喜に沸く中、松田選手はクールに映った。
放心状態と言うか、呆然としている様にも見えたけど、
グループリーグの初戦を勝利したに過ぎない
と思っていたかはわからないが、そんな顔にも見えた。
松田選手は早生まれの1977年生まれ。これは中田英と同じ。
学年は僕の一つ上ではあるが自分も1977年生まれ。
とにかくショックです。
自分には何もする事は出来ませんが
ふとした瞬間、気が付いた時に彼の事を想う事くらい自分にも出来ます。
松田選手、また奇跡を起こしましょう!