滋賀県の北東に位置し、琵琶湖沿いにある長浜市、

市街地は戦国時代に羽柴秀吉に依り城下町として整備され、

その後は長浜御坊と呼ばれる大通寺の門前町として、

もしくは北国街道や琵琶湖水運の要衝地として発展を遂げ、

今の人口は約111千人で湖北地方の中心地である。

長浜市の北部にある余呉湖は地図で見ても

分からないほど小さい湖で、琵琶湖の大江に対し

伊香小江(いかごのおえ)と称し鏡湖とも言われている。

琵琶湖とは賤ヶ岳(標高422㍍)で隔てられ、

スケールは東西1.2㎞、南北2.3㎞、周囲6.4㎞と比較的小さい。

最大水深13.5㍍で水面の標高は133㍍で、

琵琶湖と比べ凡そ50㍍高い位置にあり、

琵琶湖と同様、100~200万年前に形成された断層湖で、

約3万年前にその一部が分かれ形成されたとか。

 

羽衣伝説は世界各地に存在し殆ど逸話として語り継がれている。

近江国風土記では地元豪族の伊香連(いかごのむらじ)の祖先を

天女とする昇天型物語でそのあらましは以下の通り。

数羽の白鳥が余呉湖の畔に飛来し、水浴びを始め天女に変身する。

その様子を覗き見た男は、天女の美しさに心を奪われ、

天に帰したくないと一組の羽衣を目の見えない場所に隠し、

衣類を無くした天女は飛び上がれなくなる。

天女は逡巡した挙げ句、仕方なく男と結婚し子供を産んで幸をもたらし、

その後、自分の羽衣を見付け天上へ戻り後日談へと続く。

これは現代の「白鳥処女説話」に属し、

昔話の「天人女房譚(たん)」の源流と見做される傍ら、

豪族の伊香氏は物部氏の流れを汲む氏族と言われ、

この説話は物部氏の始祖伝承であるとも考察されている。

因みに物部氏とは古代の氏族で姓は連(むらじ)で軍事及び刑罰を担当し

4、5世紀以降大伴氏と大連を世襲し勢力を拡大したが、

仏教に反対し蘇我氏と対立して敗れ、以後衰退している。

 

春休みに青春18きっぷを利用して遠出するウォーキングを担当。

大阪駅から2時間程度離れ、桜の名所のある長浜市に着眼し、

地図上の鉄道沿線を北進し偶々余呉湖を見つけた。

長浜市に実家のある女性メンバーから閑静で綺麗な湖と伝えられ、

以前から是非とも一度は訪れてみたいと考えていた。

早速、現地の観光協会から資料を取り寄せる傍らネット情報も収集し、

余呉湖と長浜市に関するウォーキングの資料を纏め、

あとは現地に詳しい彼女に一任すれば良いと安心していた。

ところが個人的な打合せもなく実施日が近付いてきた、

果たして彼女は上手く案内してくれるだろうか、否

この企画の責任は自分自身だと自覚する度に不安がどんどん募り

3月中旬、現地を確かめるため下見に出かけることに。

予定通り9時半に余呉駅に着き、観光協会の担当者から、

2時間もあれば余裕で湖を一周出来るとの助言を信じ、

反時計回りで湖沿いの小道を歩き広場に着く。

 

羽衣伝説で空を舞う天女の石像

 

食堂の係員に伝説の「蛇の目玉石」の所在を尋ねてみた。

「ああ、目玉石ね。此処から遠くを眺めると湖に突き出た

岬が見えるでしょ。あそこですよ」

平安時代の初期、領主の娘である菊石姫は干ばつで苦しむ村人を救うため、

余呉湖に身を投じ蛇身となって恵みの雨を振らせると共に、

疫病薬になる目玉を抜き取り長年お世話になった乳母へ投げ与え、

不治の病が治癒される。その後、「蛇の目玉石」と呼ばれ、

干ばつの年にこの石を岸辺に上げて祈願すると

不思議と雨が降ってくると伝承されているとか。

余呉湖を取り巻く道路を辿り南下して集落に迷い込み、

地元の人に改めて道順を訪ね湖畔の小道を辿り、

漸く注連縄に巻かれた目玉石を見付けた。

 

大きな岩に注連縄を括りつけた「蛇の目玉石」

 

地元の人々が伝説造りに苦心し仕立てたのだろうと

思いながら看過し、さらに湖沿いを南下し折り返し地点から東へ進む。

食堂広場から歩き続け、疲れたので賤ケ岳の麓辺りで小休止。

 

枯れ木の向こうで日差しに光り輝く余呉湖

 

戦国時代、織田家勢力を二分する羽柴秀吉と柴田勝家との

賤ケ岳の合戦の跡地。勝利の雄叫びを挙げた秀吉が、

本能寺の変で亡くなった織田信長の築いた権力と体制を継承し、

天下統一に向け第一歩を踏み出した地でもある。

そんな感慨に耽りながら辺りを見渡しどんどん北上する、

湖畔に代表的な俳人である山口誓子の句碑を見付けた。

 

 

四季折々に美しさを醸し出す余呉湖周辺、

俳諧を楽しむ人々が此処に集結し

全国的な俳句大会が実施されているとか。

あと残るのは、まもなく開花する桜並木、

まだ裸木に囲まれた小道を早足で急いだものの、

歩けども歩けども目的地の余呉駅に辿り付けない。

これでは高齢者のウォーキングに相応しくないと考え、

再度羽衣伝説の柳の木と食堂広場を確認した。

 

食堂広場にある石彫りの句碑

 

予定より1時間遅れで余呉駅13時11分発の電車に乗り長浜駅を目指した。

 

(写真撮影は3月14日木曜日、曇り時々晴れ)