戦後74年
「戦争を知らない子供たち」が日本の人口の大半を占めるようになりました。
この歌は1970年に発表され、当時はいろいろ論議されたようですね。
私は幼かったので、世間のごたごたは知らず、のちに小学校の合唱で歌っただけでした。
この歌が発表された当時は、
「もはや戦後ではない」
というフレーズのもと、近代化に邁進する日本のなかで、実は戦争の傷跡が事あるごとに浮き出てくる時代だったように思います。
私の中で三大太平洋戦争の負の遺産ニュースはこちら
1972年沖縄返還
1972年横井さんグアム島から帰還
1974年小野田さんルバング島から帰還
どれも幼い子供が興味を持つようなニュースではなさそうですよね。
しかし、当時のテレビはお茶の間の主役として家族の中心でした。大きなニュースも家族みんなで共有していたので、なにやらすごいことがあったんだと幼心にもわかりました。
一番身近だったのが、沖縄返還です。
翌年に沖縄から転入してきた女の子がいました。
転校当日、みんなで取り巻いて沖縄について質問攻めにしたのが忘れられません。
また、ニュースではありませんが、幼い記憶にあるのは、傷痍軍人たちです。
街角にいて、ハーモニカやアコーディオンを弾いたり、物乞いをしたりしていました。
現在、日本で普通に生活していると、戦争を感じることがほぼなくなりました。
慰霊碑や原爆ドームなどが、わずかにその痛みをとどめています。
平成生まれの子供たちや、令和に育つ子供たち。
新たなる「戦争知らない子供たち」にも感じてもらいたい。
この季節だけでも、「戦争を知らない私たち」が知る戦争に向き合いたいと思います。