私の祖母は
ちょっとお嬢様育ちみたいなところがあり
料理があまり得意ではありませんでした
祖母が亡くなり
新たなる旅立ちを見送った夜
祖父母の家に親戚一同で集まり
祖母の話で盛り上がりました
その中で特に盛り上がったのは
祖母の料理
娘である母や叔母2人
父や叔父たち
当時は元気だった祖父までもが珍しく
口を揃えて
「いやー、今思えばね〜💦」
皆で苦笑い(笑)
例えば
母が
「サバの味噌煮がお皿の中で泳いでいた💦」
と話す
味噌汁のような中に浮かぶサバ
かなり薄口らしく魚特有の生香りが強かった
子供の頃の母3姉妹は
生香りに耐えながらの食事
それでも
祖父は文句1つ語らず
ちゃんと食べていたそうです
幼稚園から小学生の頃
私と弟たちは夏休みになると
必ず祖父母の家へ遊びに行っていた
その時
泳ぐサバの味噌煮とは遭遇しなかったけど
祖母の料理は普通に食べていた
確かに今思いだせば
見た目は少しばかり…
特に焼き物は結構焦げていた
でも
私たち兄弟やいとこたちも
美味しく食べていた
その数ある料理の中で
私は祖母が焼いてくれる
牛ステーキが大好きだった
焼き加減はウルトラウェルダン
肉の水分はすっかり無くなり
ステーキよりはジャーキーの柔らかい物
焦げもかなりある
それにトマトケチャップと中濃ソースを
ブレンドした特製ソースをかける
私は中まで充分火が通った肉が好きなので
おばあさんのステーキは大好きだった
「おばあちゃん、美味しいよ。」
私が言うと
おばあさんは凄く嬉しい顔をしていた
それから私が遊びに行くと
おばあさんは必ずステーキを出してくれた
1度私1人で祖父母の家へ自転車で行った時
祖父母は大変びっくりしながら
私を出迎えてくれた
自動車で片道2時間かかる道程
それを自転車で
自動車の時とは条件が違う
自転車が走れないバイパスを迂回したり
大型車が横を多数走る国道を走り
慣れていない道に不安を抱えながら
約6時間かけてたどり着いた
祖父母が泣きそうな顔して
私を家へ招き入れ
祖父は私の親に電話をし
祖母は冷たいジュースを出してくれた
その後
祖母は突然出かけたかと思うと
1つの包みを持って帰ってきた
それは夜になり
いつものステーキとして出てきた
お腹を空かせた私に食べさせてあげようと
急遽肉を買いに行ったのだった
私はその香りへ飛びつくように
ステーキを頬張った
道中の不安から開放され
空腹を満たしてくれたステーキは
いつもより更に美味しく
自然と笑顔が浮かび
祖母はそんな私を見て
何よりも嬉しい顔をしていた
あの時のあのステーキの味は
今でも覚えている
やがて祖父母とも老いて体が弱り
祖母は料理を作るのも大変になってしまった
それからは
私たちが遊びに行くと
出前をとる事が増えた
又は叔母夫婦が外食へ連れ出したりしてくれ
祖母のステーキを食べる事が出来なくなった
そして
私は成長し結婚から暫くした頃
祖母は倒れて寝たきりになった
それから約10年過ぎたある日
見舞いに来ていた祖父が
祖母に頼まれた物を取りに
一時帰宅した僅かな間で
静かにこの世の使命を終えた
晩年は少し呆けもあったが
自分の娘からひい孫たちまでに
慕われ愛された可愛らしい祖母であった
もう
あのステーキは二度と食べられない
味は今でも忘れていない
私が今でも焼き過ぎの肉を好むのは
祖母が焼いたステーキの味を
探しているのかもしれない