今日からは仙台の寺社めぐりの記事です♬
帰省している間ずっと雨が降っていて、この日もそうでした
友人の車に乗っけてもらい、まずはこちらへ
最初こちらへはお詣りする予定ではなかったのですが、友人宅から近く、頻繁にお詣りしているとのことで、案内してもらうことに(^^)
『護国山 医王院 護国寺』
別称 金光明四天王護国之寺
真言宗智山派寺院
ご本尊 薬師如来
創建 8世紀前半 聖武天皇
中興 慶長12年(1607) 伊達政宗
仙台三十三観音第25番札所
陸奥国分寺は、聖武天皇の詔によって全国に建立された“金光明四天王護國之寺”(いわゆる国分寺)のうち最北に置かれた国分寺で、国府であった多賀城からは離れたこの地に、奈良時代の740年代頃に創建されました。
仙台市内に現存する中では最も古い歴史を持つお寺です。
草創期には金堂・講堂・七重塔等をそなえ、最盛期には300坊が軒を連ねる一大伽藍を誇っていましたが、室町時代の戦火により衰退します。
真言宗になった時期は不明ですが、17世紀初めに伊達政宗により再興され、1607年に再建された薬師堂を中心に、25坊を擁する大寺院として栄えました。
明治時代に僧坊は一つを残して廃絶しますが、薬師堂をはじめとする中心堂宇は維持されました。
唯一残った別当坊は陸奥国分寺の名を伝え、薬師堂の管理を続けました。後に別当坊は名を「国分寺」と改めました。
古代の寺院跡は「国の史跡」に指定されています。
☆修行大師像
「本薬師堂」は、薬師堂が造営されるまで、ご本尊がお祀りされていたお堂といわれています。
昔は現在大塔が立っている旧行基池の畔にありました。昭和40年から清水小路の五橋交番の隣にあった姥神社のご祭神と、古城の東北少年院の北側にあった正善院の聖観音が合祀されています。
そのお隣の「紫稲荷神社」ですが、旧東大門坊の南に位置する、椌木通と椌木前丁(薬師堂の正面参道の延長線上)の交差点の南東にあった椌木の下に祀られていたものです。椌木が朽ち果てた後、国分寺と、隣接する白山神社の各々の境内に分かれて遷座し、今日にいたります。
そのお隣の「紫稲荷神社」ですが、旧東大門坊の南に位置する、椌木通と椌木前丁(薬師堂の正面参道の延長線上)の交差点の南東にあった椌木の下に祀られていたものです。椌木が朽ち果てた後、国分寺と、隣接する白山神社の各々の境内に分かれて遷座し、今日にいたります。
国分寺の敷地内には「史跡陸奥国分寺・尼寺後ガイダンス施設」があり、こちらの内部も拝見しました
なんと出来たてホヤホヤ♡
先月の7月28日に開館したばかりの施設です♬
史跡陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設では、国分寺や国分尼寺の創建や、今から千百年以上も前の平安時代に起きた貞観地震を経て、寺やこの地域が復興するまでの歴史等を、パネルや発掘調査の出土品を展示して、わかりやすく紹介しています。
☆天平廻廊
国分寺の寺域の外には、寺と何らかの関わりがある人が、竪穴式住居に住んでいたようですよ
東に隣接する国分寺遺跡で、9世紀頃とされる2つの竪穴式住居と「講院」・「佛」・「東」・「西」の字が書かれた土器が検出されているそうです
考古学的にも非常に興味深いですね!
友人のオススメならと、気軽な感じで立ち寄ったお寺でしたが、歴史あり史跡あり出土ありと、もしかすると市内では一番スゴい見どころかもしれません
明日は本坊から少し離れたところに位置する、国分寺薬師堂をご紹介します
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