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2.自決をすることの合理性


基本的に、人間は、6歳前後で「ものごころ」がつくと思われるが、それ以来、
「生命とは何か?、人とは何か?、生きるとは何か?、幸せとは何か?」
などの抽象的な命題への疑問を持つようになる。
(もちろん、持たない人もいるが。)


その上で、主に本人が、なんらかの苦しくつらい経験をした際に、
どうしてこのような苦しい思いをしてまでも生きていかねばならないのか、などと考えることがある。
その結果、自決しよう、と思う人々は少なくないと思われる。

小学生がいじめにあった場合から、高齢者が回復できない病苦に陥った場合など、
その例は、枚挙にいとまがない。


一方で、上記とは全く異なる理由で、自決をしようと考える人々もいる。
社会体制に不満があり、それに異を唱えるためにパフォーマンス的な自決をした日本の某小説家もいれば、
イスラム圏周辺では、自爆テロなども起こっている。

また、今回、私が提起するような、「合理的に、幸せな死を迎えるための計画」として
自決を予定しておくことも考えられると思う。


この「計画」とは何かというと、一つは、お金の問題、である。
「地獄にお金は持っていけない」という諺(?)があるように、
人間、死んでからは、お金を使えない。
よって、生きているうちに、自分の全財産を使いはたしたい場合、
(あるいは、子孫の分の財産を遺言で分けた後、残りを全部自分でつかいはたしたい場合)
それを、ぴったり実行する唯一の方法は、自決して、死亡する日を明確に決めておくよりない。

よって、例えば、72.5歳で、寝たきりになる確率が最も高いので、
その直前の72.4歳(72歳と5ヶ月ごろ)に達したら、自決すると決めたとする。

そうしておけば、自分の現在の貯金が、いくらであれ、一応、
金銭的には人生設計を立てられることになる。
(日本の場合、国の年金制度が崩壊するというリスクがあることは考慮すべき。)
(逆に、あなたが、大企業などの重役で、退職後の年金が、毎月数十万円以上もらえるみこみの場合、
 老後の不安がなく、生きていればいるほど、若い頃はらった分が戻ってくるので儲かる、
 だから少しでも長く生きたい、と考える場合、上記の話は、ほぼ関係なくなる。)

若い頃から、年金(の掛け金)を払っていないか、
払っていても国民健康保険分「だけ」しか払っていない場合、
老後は、月あたり2~6万円しかもらないので、
生活が難しいことが予想される場合、上記の「人生設計」はより重要となる。
以上が、一つの側面。


ついで、お金のことを抜きにして、(仮に、お金が湯水のようにあったとしても)
半身不随になった(なってしまうかもしれない)体のままで、生きていたいか、
という側面である。

仮に、半身不随になってしまったら、生きていたくない、と考える場合、
通常は、半身不随になってしまうと、もはや、自決すらできないので、
そうなることが「高い確率で見込まれる段階」で、自決しておくことが
一つの選択肢として考えられる、ということである。

または、半身不随になっても自決できるような仕組みを、個人が(自分で)
または社会が(制度として)持っていることが必要になる。
(この件は、後述する。)

これに関係するのが、人間、楽天的に生きていくか、悲観的に生きていくか、
という「最も本質的な命題」である。

これについては重要なので、また別記事で触れるが、
徹底的に楽天的に物事を考えるなら、今回の記事は、読む必要がない。

例えば、100歳まで元気に生きて、100歳ちょうどで、
心筋梗塞で、ぽっくり死ぬ、非常に運の良い人も、いることはいる。
よって、自分がそうなる確立も少なからずある、と考え、
それ以外の悪いことが起きる確立は考えない、という生き方もあるからである。
(突然の半身不随などは、なってしまったら、その時はその時だ、として、
 そこで考えを停止してしまい、そうなった場合の苦痛などは考えない、という生き方である。)

この楽観主義者たちの考え方を私は否定しないが、同時に、
悲観主義者たちの半身不随になってしまった場合の苦悩を徹底的に予想(想像)していく生き方も
私は否定しない。

で、こんな記事を書いているのだから、もちろん私は後者に近いのだが、
決して、それで苦悩しているのではなく、
いい意味で「楽しんで」死について、考えているのである。
なぜなら、最初に書いたように、「幸せに生き、幸せに死ぬ」ことが目的であるので、
そのスタンスをもって、この文章を書くことを、私は変えない。
(死について書いていくこと自体も、苦痛に満ちたものではなく、
 楽しいエンターテインメントであるべきだ、
 という主張(仮説?)に基づいて、このブログを書いている。)


なお、私の個人的な健康の状況を書くならば、痛みを伴ういくつかの病気を、50歳代の今、
すでにもっており、その上で、死ぬ寸前までは、元気に明るく生きようと
考えている状態である。
逆に言えば、明るく元気に生きていけないほどの、なんらかの「事件」や「状態」がおこった場合、
私は、その時点で、すぱっと、いさぐよく、死のうと考えている、ということである。


決して、絶望からの自決ではなく、自分が、これまで生きてきた「生き方」の中で、
論理的に考え、
かつ社会規範などからの余計な規制(先入観や洗脳)をうけず、自由に発送した結果、
みちびきだした最善の「生き方と死に方」を実行するだけである。

重要なのは、「その時」が来たと思ったら、迷わず、悩まず、それらによって苦しまず、
すぱっとやってしまうことである。
すぱっと、自決してしまい、幸せの中に人生を「昇華」するのが、よいのではないか、
と思っている。

なお、苦しまない自決(の方法それ自体)については、後述する。