少し前までの私は
聖徳太子のように
(聖徳太子が本当にそうだったかは
定かではないようだけれど…。)
同じ空間にいる子供達が
何をしていて
何を話しているか
ぜーーんぶ把握しようとしてた。
そして、
ほぼ把握できてる
という自信まであった
そうじゃないと気がすまなくて
いつだって
何をしていても
アンテナ
ガンガン張ってた
そうすることが、
私にとっての安心だったのね。
子供たちが
“お母さんに見てもらえてる”
“お母さんに
わかってもらえてる”
って
安心
して欲しい。
そんな気持ちだったのかな
子供たちが安心している
=私も安心できる
たぶん、そんな感じ。
だから
いつも
無意識レベルでやってたよね。
掃除してる時も
お皿洗ってる時も
洗濯もの干してる時も
ご飯作ってる時も
そして…
自分が
やりたい事やってるときでさえも…
ずーーっとアンテナ張ってた📶
でね、
ある日
みんなの声を聞き取るのが
めんどっ
って
ふと思った瞬間があって、、、
“もう、聖徳太子ごっこやめよ!!”
って思えて
止めたのね
そしたら、
めちゃくちゃ気持ちが楽になったの!!
聞こえないものは
聞かなくていい事。
耳に入らないのは
必要ないから。
って割りきって、
自分に集中したわけ。
もちろん
“ねえねえ(n‘∀‘)η”
って子供に話しかけられたら受ける。
けど、
それ以外の言葉には
わざわざアンテナ張らない。
そしたら
張りつめてた糸が
だるーーーんて緩むのを感じた
そんで、
止めたら分かった。
最大7人分の声を
聞いて理解するのって、
超しんどかった
って事を 笑
おまけに
聖徳太子止めて
気持ちが緩んだら、
心穏やかになってね
逆に
子供ひとりひとりの話を
前より集中して聞けるようになった
そして
安心は
前より大きくなったんだよね
当たり前にやってる・やれている
って思ってる事が
実は
自分を追い詰めてる事がある。
そこに気付くには
とことん普段から
自分で自分に
聞く
って事かな?って思う。
ねえ、それって楽しい?
今、嬉しい?
それは本音なのかい?
心地いいかな?
って、
自分で自分に質問する。
うん!
って即答できなかったから、
本当はどうしたい??
って優しく問いかけてく。
無理してるかも?!
って気がついた時
やめてみて
心地いいなら新たな発見だし、
モヤモヤするなら
やっぱりそれは
自分にとって必要な事だったって気付き。
自分が自分の気持ちを聞いてあげる。
自分だけの心地良さを
その都度確かめてあげる♪
特に悩みや問題がないのに
なんでかモヤモヤする時とか
当たり前にしている事こそ
今一度
自分に聞いてみて確かめる
少しずつ断捨離して
気持ちに“余裕”を作ってあげる
その余裕は
家族の…
私の笑顔に繋がるって思ってるよ