熱帯性低気圧に変わった台風の影響で、夕方から大雨、雷もという予報が出ていたので、デモは中止にすべきか、呼びかけ人達は迷いましたが、ひとまず実施することになりました。

集合場所の駅前へ向かう途中で、強い雨が降ってきましたが、すぐ止んだので、集会をして、出発しました。

こんな天候でも、30名近い人が集まってくれました。


「原発、再稼動反対!」「市民の力で原発を停めよう!」「“もんじゅ”を廃炉に!」「原発なくても電気は足りてる!」「琵琶湖を放射能から守ろう!」等とシュプレヒコールしながら歩きました。


関西電力滋賀支店前では、「大飯原発をすぐ停めろ!」「高浜原発の再稼動、反対!」「電気料金の値上げ反対!」「9月15日に大飯が止まれば、そのまま原発廃止に!」等と訴えました。


湖岸に出て、解散し、駅前に戻りかけたら雨が降ってきました。

車を置いてきた駐車場までは、歩いて15分くらいあります。

参加してくれていた年配の女性のご主人が車で迎えに来られていて、駅前まで乗せて行ってくれました。

雨は、土砂降りになり、デモの途中だったらびしょ濡れになるところでした。


一昨年の5月から始めて、2年3ヶ月ですが、雨が降ったのは、私がアルバイトで参加出来なかった一回くらいです。


心がけが良いからと、思っておきましょう。

ビニールのカッパを着て警備してくれていた大津警察署のお巡りさん達3人も、帰り着いたかな?と思いながら、稲妻も光る中、家路を急ぎました。


25回目の「脱原発・市民ウォーク」は、無事に終わりました。





毎週月曜日の新聞に
連載されている山田孝夫さんの「風知草」というコラムに、意外に思った記事があったので、要点を
ブログに紹介しようと思っていたら、「あすのわ」メールで届いたので、全文を載せます。


小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男
毎日新聞 2013年08月26日 東京朝刊


 脱原発、行って納得、見て確信??。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。


 三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」

 小泉が答えた。


 「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」

 「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」

 3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。

 呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。

 その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。

 原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。

 原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。

 帰国した小泉に感想を聞く機会があった。

 どう見ました?

 「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」

 今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。

 「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」

 「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」

「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。
『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」

 「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」


 もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)


意外に思いながら読んで、小泉元首相を、ちょっとだけ見直しました。









「あすのわ」ネットワークのメールに、いつもいろんな情報を流してくれる方がいます。


アーサー・ビナードさんというアメリカ人の詩や本を書いている人の講演要旨が、興味深かったので、紹介しますね。


ビナードさんは、30代後半くらい、背が高くて、なかなかイケメンの男性で、奥さんは日本の方です。


3~4年前に、愛知川に来られて、街歩きと講演会があり、友人に誘われて参加しました。


愛知川図書館や「びんてまりの館」、「近江上布会館」「中山道愛知川宿」等を見て、「藤居本家」という醸造元の総檜造りの大広間で講演を聴きました。

自然や、詩の表現についてのお話だったと思いますが、早起きして出かけ、お弁当を食べた後だったので、睡魔に襲われ、記憶が朧げです。


著書を買って、サインしてもらいながら「日本語は、主語が無かったり、曖昧な表現が多いと思うんですが、どう思われますか?」と尋ねてみました。

答えは、一言、
「ビミョー」でした。

アーサーさんのお話です。

■8月22日(木)アーサー・ビナードさん講演会の感想2つ
 └──── 

1.当日、アーサーさんは祝島(山口県)に行っていらしたそうで、高い鼻が真
っ赤に日焼けされていました。
まず、祝島の「原発絶対反対」のはちまきを締めて、お話が始まりました。
 広島と長崎の原爆の持つ意味の違い、ウランとプルトニウムの説明、アメリカ
が是が非でも投下しなければならなかった本当の理由、なぜ広島と長崎という地
が選ばれたのか(京都が避けられたのは文化財保護のためではなかった)等、私
達のこれまでの認識がひっくり返るお話でした。

 力で軍隊に勝つことは絶対にできないのだから言葉で戦う、というのがアーサ
ーさんの姿勢です。
 私達は国やメディアの言うことは全て正しいと思い込まされていたようです。
ひとりひとりが自分の頭で考え、言葉の裏を読み取る力をつけなければと思いま
した。  

2.長崎原爆が広島原爆より重要、「原爆は戦争の早期終結に寄与した」は嘘、
 ピカとピカドンの違いは?…アーサー・ビナードさんのお話は、驚きの連続
 でした。

イ.広島型原爆と長崎型原爆の意味が全然違うとは知りませんでした。
 ウラン型原爆(広島型原爆)は1943年にはすでに開発が終わっており落とせた、
しかしプルトニウム型原爆(長崎型原爆)は開発が遅れて1945年7月16日にやっと
ニューメキシコで実験成功した。
 ウランは自然にあるから、濃縮すれば原爆になる。これは誰にもできる。しか
しプルトニウムは複雑で大掛かりで高価な設備が必要。原子炉などというからな
ぜか親しみのある「炉」と思ってしまう、言葉の魔術にはまった結果で、実はプ
ルトニウム製造装置です。誰でも持てるウラン原爆では世界は支配できない、プ
ルトニウム原爆が世界を支配する、これがアメリカの支配層の思想だった(そし
て今も)
 日本の軍国主義者がプルトニウムにこだわる理由がやっとわかりました。
 増殖できない高速増殖炉、稼働しない金食い虫「もんじゅ」、普通の経済人、
まじめな官僚ならとっくにやめていたはずのプルトニウムサイクルの秘密は原爆
保有国への夢、先の大戦で、原爆開発競争に敗れて、世界支配の夢を砕かれた戦
犯達の亡霊の魂を鎮めたいという軍国主義者の末裔の時代遅れの夢がプルトニウ
ム製造装置維持。


ロ.原爆投下は戦争を早く終わらせるため、と言われてきたのは知っていました
が、真っ赤なウソとは知りませんでした。本当にはやく終わらせるのならウラン
原爆を1943年ベルリンと東京に落とせばよかった!
 またポツダム宣言にスターリンの署名をいれれば、日本はすぐ降伏した。日本
は何とか有利な条件で戦争を終わらすべく、ソ連に仲介を依頼していた。
 そのソ連がポツダム宣言に署名したら、ソ連は仲介役でないことを知り、失望
して日本は降伏していたはず。
 原爆を落とさずに終戦になれば、秘密裡にプルトニウム製造に多額の予算を使
い込んだ政府が憲法違反で有罪になったはず、プルトニウム爆弾を落として戦争
終結に貢献したと証明する必要があった。

ハ.なぜ京都に原爆を落とさなかった?文化財保護、そんなことを考える輩か、
アメリカの帝国主義者は!
 京都のような盆地では放射性物質は長年残り、原爆の非人間性が明らかになる
(内部被爆の影響が明らかになる)、広島、長崎のような海に近い都市なら、放
射能を除染して海に流せる。実際にヒロシマを除染したのは、枕崎台風でした。
1945年9月17日枕崎に上陸した台風は九州を横断し広島を大風・大水できれいに
除染したのです。広島だけで死者2000人という戦後最大級の台風でした。
これがなければ、いまだにヒロシマは放射線管理区域かもしれません。

ニ.核兵器、原子爆弾は使用者目線の言葉、ピカドン、ピカは被害者目線のことば、

ホ.ピカドンとピカはどう違う?ピカは原爆から近い人、光を見ただけでふっと
ばされて音は聞こえなった。ピカドンはもう少し遠くで見たひと、光をみて音も
聞くことができた。

ヘ.原爆記念日は? 8月6日よりも、7月16日と8月9日が重要、プルトニウ
ム原爆を使った日だから。   以上。


オリバー・ストーン監督も、戦争を早く終わらせて、アメリカ兵の犠牲を少なくするために、原爆を投下したとアメリカで言われているが、そうではなく、ソ連に対する牽制の意味が大きかったと言っていました。


アメリカは、白人ではなく、黄色人種で実験したかったんだと思います。