少し前の新聞特集「この国はどこへ行こうとしているのか~憲法よ」に、中村哲さんのインタビュー記事がありました。
読んで、感慨深かったので紹介します。
私は、京都のノートルダム女子大で2回、滋賀医大の大学祭で哲さんのお話を聴きました。
中村哲さんは、1984年から最初はパキスタンのハンセン病の病棟で、後にアフガニスタンの山岳の無医村でも医療支援活動を始められました。
2000年、干ばつが顕在化したアフガニスタンで、「清潔な飲料水と食べ物さえあれば8、9割の人が死なずに済んだ」と、白衣と聴診器を捨て、飲料水と潅漑用の井戸掘りに着手。
03年からは「100の診療所より1本の用水路」と、大干ばつで砂漠化した大地での潅漑用水路建設に乗り出した。
パキスタン国境に近いアフガニスタン東部で、3500ヘクタールの耕作地を蘇らせ、約15万人が暮らせる農地を回復した。
総工費16億円は、日本からの募金でまかなったそうで、日本人も捨てたものではないと思いました。
私も「ぺシャワール会」の会員になっていますが、年会費は3000円で、他の団体と違い、事務経費はほとんどかけずに、大部分の寄付金が現地で使われているそうです。
最初に聴いた講演では、小泉内閣のイラクへの自衛隊派遣を厳しく批判されました。
08年、現地の人達にも慕われていた若い男性スタッフが、金銭目的で誘拐され、殺害されてしまいました。
悲しみの中で、「ぺシャワール会」の現地スタッフは、事務職員と哲さんの二人だけとし、現場に出る日本人は哲さん一人だそうです。
読んで、感慨深かったので紹介します。
私は、京都のノートルダム女子大で2回、滋賀医大の大学祭で哲さんのお話を聴きました。
中村哲さんは、1984年から最初はパキスタンのハンセン病の病棟で、後にアフガニスタンの山岳の無医村でも医療支援活動を始められました。
2000年、干ばつが顕在化したアフガニスタンで、「清潔な飲料水と食べ物さえあれば8、9割の人が死なずに済んだ」と、白衣と聴診器を捨て、飲料水と潅漑用の井戸掘りに着手。
03年からは「100の診療所より1本の用水路」と、大干ばつで砂漠化した大地での潅漑用水路建設に乗り出した。
パキスタン国境に近いアフガニスタン東部で、3500ヘクタールの耕作地を蘇らせ、約15万人が暮らせる農地を回復した。
総工費16億円は、日本からの募金でまかなったそうで、日本人も捨てたものではないと思いました。
私も「ぺシャワール会」の会員になっていますが、年会費は3000円で、他の団体と違い、事務経費はほとんどかけずに、大部分の寄付金が現地で使われているそうです。
最初に聴いた講演では、小泉内閣のイラクへの自衛隊派遣を厳しく批判されました。
08年、現地の人達にも慕われていた若い男性スタッフが、金銭目的で誘拐され、殺害されてしまいました。
悲しみの中で、「ぺシャワール会」の現地スタッフは、事務職員と哲さんの二人だけとし、現場に出る日本人は哲さん一人だそうです。