「半沢直樹」が評判になり、小学生の間でカバンを持って走る「半沢走り」というのが流行っているそうです。
先週水曜日、お昼のワイドショーで、その人気を分析していました。
経済評論家の森永さんが、「実際の銀行に、ああいう上司はいるが、“半沢直樹”(のような行員)は、いない!上司に逆らったら、必ず飛ばされる。自分は、3回経験がある」と言っていました。
「社宅暮らし」のお話は、ちょっと休んで、別の思い出話を。
先日、アップリケの展覧会を見に行って、生協で一緒に運営委員をしていた人に、23年ぶりにばったり再会しました。
お互いに、ちょっと?膨らんで、老けていましたが、顔を見たら、わかりました。
懐かしくて、いろいろ話した後で、その頃の印象的な出来事を思い出しました。
平成元年、今のマンションに引っ越して来て、教師だった斜め上の奥さんが声をかけ、生協の班を作りました。
次々に7つ班が出来ましたが、現在も残っているグループは、二つだけです。
次の年、運営委員を出してほしいと職員さんに言われ、パートに行っていたり、小さい子供がいたり、身体が丈夫でない人を除いたら、出て行けるのは、私しかいませんでした。
しかたなく、最初の集まりに出たら、くじ引きで「委員長」が当たってしまいました(>_<)。
当時、委員の任期は一年でしたが、委員長はもう一年残って副委員長になり、新しく委員長になった人をサポートすることになっていました。
7~8人で活動していたと思います。
市南部10学区で、5人の理事が2学区ずつ担当し、月一回「運営委員長会議」が開かれていました。
配送センターが、秋に竣工し、私も竣工式に出席して、委員会の活動報告をしました。
私達は、厳しい姑のような担当理事サンに、あれこれ指図されながら、新会員勧誘キャンペーン、お料理教室&試食会、夏休み親子で発色剤学習&実験、生産工場見学会、迎春食品試食会等いろんな行事をこなし、無事一年が終わりました。
もう一年オツトメする私に付き合って、残ってくれると3人の委員さんが、申し出てくれたのが、すごくうれしかったです\(^ー^)/。
新しい委員さんも迎えて、2年目の活動が始まりました。
新メンバーの元教師Hさんは、、賢くて、はっきり意見を言い、二年目のYさんと商品委員会で、よく担当理事に逆らっていたそうです。
1月頃の運営委員長会議で、お祭り好きと自称する、南地区の自主学習グループの代表が、配送センターで「春のフェスティバル」をしようと提案しました。
「生協まつり」みたいに、模擬店や試食会、即売会、フリマ等をして、組合員さんに来てもらう催しです。
運営委員会に持ち帰って話すと、Hさんが「それって、参加しなきゃいけないの?」と言い、他の委員も「うちは参加しない!と、断っちゃダメ?」と言われ、私は驚き(・_・)エッ..?でした。
その時期、小さい子供がいる委員さんが2人、家族が病気の人もいて、フルに活動出来るのは3~4人だけでしたから、フェスティバルで模擬店を開いたりするのは大変そうでした。
「断ってみたら?」「断ってみようよ」と言われ、思いがけないことになりました。
その日の会議に、担当理事さんは欠席していたので、みんなは思ったままを言いやすかったようです。
次回の運営委員長会議で、私達の委員会はフェスティバルには参加しないと、私が言うことになりました。
みんなで造った爆弾を、私一人で投げて来いと言われたようで、当日が怖い私でした。
そしたら、その日の夕方、家に担当理事さんから電話がかかってきたのです。
「事務局のK職員に聞いたんだけど、うちの委員会は、フェスティバルに参加しないって、どういうこと?」と厳しい口調で言われました。
私はビビり(°□°;)ましたが、フルに活動出来る委員が、3、4人しかいなくて、難しいと説明しました。
そう、じゃ他の理事と相談してみるわと言われました。
結局、私達の委員会は、模擬店等は出さず、組合員さんに持って来てもらった牛乳パックを回収して、粗品を渡す役割を割り当てられ、2~3人が出て、やりました。
以上、たいしたことではないですが、印象に残った出来事でした。
先週水曜日、お昼のワイドショーで、その人気を分析していました。
経済評論家の森永さんが、「実際の銀行に、ああいう上司はいるが、“半沢直樹”(のような行員)は、いない!上司に逆らったら、必ず飛ばされる。自分は、3回経験がある」と言っていました。
「社宅暮らし」のお話は、ちょっと休んで、別の思い出話を。
先日、アップリケの展覧会を見に行って、生協で一緒に運営委員をしていた人に、23年ぶりにばったり再会しました。
お互いに、ちょっと?膨らんで、老けていましたが、顔を見たら、わかりました。
懐かしくて、いろいろ話した後で、その頃の印象的な出来事を思い出しました。
平成元年、今のマンションに引っ越して来て、教師だった斜め上の奥さんが声をかけ、生協の班を作りました。
次々に7つ班が出来ましたが、現在も残っているグループは、二つだけです。
次の年、運営委員を出してほしいと職員さんに言われ、パートに行っていたり、小さい子供がいたり、身体が丈夫でない人を除いたら、出て行けるのは、私しかいませんでした。
しかたなく、最初の集まりに出たら、くじ引きで「委員長」が当たってしまいました(>_<)。
当時、委員の任期は一年でしたが、委員長はもう一年残って副委員長になり、新しく委員長になった人をサポートすることになっていました。
7~8人で活動していたと思います。
市南部10学区で、5人の理事が2学区ずつ担当し、月一回「運営委員長会議」が開かれていました。
配送センターが、秋に竣工し、私も竣工式に出席して、委員会の活動報告をしました。
私達は、厳しい姑のような担当理事サンに、あれこれ指図されながら、新会員勧誘キャンペーン、お料理教室&試食会、夏休み親子で発色剤学習&実験、生産工場見学会、迎春食品試食会等いろんな行事をこなし、無事一年が終わりました。
もう一年オツトメする私に付き合って、残ってくれると3人の委員さんが、申し出てくれたのが、すごくうれしかったです\(^ー^)/。
新しい委員さんも迎えて、2年目の活動が始まりました。
新メンバーの元教師Hさんは、、賢くて、はっきり意見を言い、二年目のYさんと商品委員会で、よく担当理事に逆らっていたそうです。
1月頃の運営委員長会議で、お祭り好きと自称する、南地区の自主学習グループの代表が、配送センターで「春のフェスティバル」をしようと提案しました。
「生協まつり」みたいに、模擬店や試食会、即売会、フリマ等をして、組合員さんに来てもらう催しです。
運営委員会に持ち帰って話すと、Hさんが「それって、参加しなきゃいけないの?」と言い、他の委員も「うちは参加しない!と、断っちゃダメ?」と言われ、私は驚き(・_・)エッ..?でした。
その時期、小さい子供がいる委員さんが2人、家族が病気の人もいて、フルに活動出来るのは3~4人だけでしたから、フェスティバルで模擬店を開いたりするのは大変そうでした。
「断ってみたら?」「断ってみようよ」と言われ、思いがけないことになりました。
その日の会議に、担当理事さんは欠席していたので、みんなは思ったままを言いやすかったようです。
次回の運営委員長会議で、私達の委員会はフェスティバルには参加しないと、私が言うことになりました。
みんなで造った爆弾を、私一人で投げて来いと言われたようで、当日が怖い私でした。
そしたら、その日の夕方、家に担当理事さんから電話がかかってきたのです。
「事務局のK職員に聞いたんだけど、うちの委員会は、フェスティバルに参加しないって、どういうこと?」と厳しい口調で言われました。
私はビビり(°□°;)ましたが、フルに活動出来る委員が、3、4人しかいなくて、難しいと説明しました。
そう、じゃ他の理事と相談してみるわと言われました。
結局、私達の委員会は、模擬店等は出さず、組合員さんに持って来てもらった牛乳パックを回収して、粗品を渡す役割を割り当てられ、2~3人が出て、やりました。
以上、たいしたことではないですが、印象に残った出来事でした。