「日本国憲法」に男女平等規定の起草をしてくれたベアテ・シロタ・ゴードンさんが、昨年12月末に89歳で亡くなられたと新聞に載っていました。
戦前、ピアニストの父親が東京音楽学校で教えるため、5歳の時に来日し、10年ほどで渡米留学したそうです。
第二次大戦で、父母は日本、娘は米国と離れ離れになりました。
ベアテさんは、身につけた日本語など6カ国語を使って働きました。
タイム誌で働いていましたが、当時女性は記者になれず、「リサーチャー」という調査員として男性記者に調べた情報を渡す役割でしたが、誤報は女性のリサーチャーの責任とされたそうです。
皮肉にもこれが憲法草案づくりで役立つことになったのです。
終戦後、言葉が自由な彼女はGHQ(連合軍総司令部)民政局員として再来日し、日本国憲法の人権担当のメンバーの一人に選ばれたそうです。
ひそかに日比谷図書館や東京大学などで各国憲法の資料を集めて読み込み、かつて日本女性がおかれていた悲惨な状況を聞いていたベアテさんは、 22歳の若さで「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」を規定する憲法24条の基となる草案を執筆したそうです。
ベアテ草案では、婚外子とその母親への差別撤廃のほか、児童の医療費無料や同一労働同一賃金など社会権的規定について細かく書かれていましたが、これらは民法で規定されるものとして削除されたそうです。
2000年5月2日、参議院憲法調査会に参考人として招かれ、経緯や起草にかけた思いを語られたそうです。
女性議員らの姿を見たベアテさんは、「第二次大戦前は考えられなかったこと。夢みたいです」と言われたとか。
でも、世界経済フォーラムが政治、経済などの分野で調べた男女格差で、日本は135カ国中101位と出たそうで、まだまだです。
高校の日本史でも、倫理社会の時間にも、ベアテさんのことは習ってなくて、私は大人になってから、知りました。
何年前だったか、隣の学区の小学校で、「母親大会」が開かれ、全体会の講演者がベアテさんと知り、友達と聴きに行きました。
幼い頃、日本人のお手伝いさんの身の上話を聞いて、日本の女性達のために草案を作ったお話をされたと記憶しています。
綺麗な銀髪のゆったりした雰囲気の方でした。
その後、「ベアテの贈り物」という演劇も観に行きました。
本当に熱心に、草案を作っておられました。
ベアテさんと何度も対談された落合恵子さんは、ベアテさんが22歳で、草案作りに参加したことを、若過ぎて内容も軽く思われるのではないか?とずっと秘密にしておられたと聞いたそうです。
そして、「日本の憲法は、アメリカが押し付けたものだと言う人がいますが、自分が持っているものよりも優れたものを人に押し付けたりすることはないでしょう」とおっしゃっていました。
ベアテさん、本当にありがとうございました。
ご冥福を、お祈りします。
戦前、ピアニストの父親が東京音楽学校で教えるため、5歳の時に来日し、10年ほどで渡米留学したそうです。
第二次大戦で、父母は日本、娘は米国と離れ離れになりました。
ベアテさんは、身につけた日本語など6カ国語を使って働きました。
タイム誌で働いていましたが、当時女性は記者になれず、「リサーチャー」という調査員として男性記者に調べた情報を渡す役割でしたが、誤報は女性のリサーチャーの責任とされたそうです。
皮肉にもこれが憲法草案づくりで役立つことになったのです。
終戦後、言葉が自由な彼女はGHQ(連合軍総司令部)民政局員として再来日し、日本国憲法の人権担当のメンバーの一人に選ばれたそうです。
ひそかに日比谷図書館や東京大学などで各国憲法の資料を集めて読み込み、かつて日本女性がおかれていた悲惨な状況を聞いていたベアテさんは、 22歳の若さで「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」を規定する憲法24条の基となる草案を執筆したそうです。
ベアテ草案では、婚外子とその母親への差別撤廃のほか、児童の医療費無料や同一労働同一賃金など社会権的規定について細かく書かれていましたが、これらは民法で規定されるものとして削除されたそうです。
2000年5月2日、参議院憲法調査会に参考人として招かれ、経緯や起草にかけた思いを語られたそうです。
女性議員らの姿を見たベアテさんは、「第二次大戦前は考えられなかったこと。夢みたいです」と言われたとか。
でも、世界経済フォーラムが政治、経済などの分野で調べた男女格差で、日本は135カ国中101位と出たそうで、まだまだです。
高校の日本史でも、倫理社会の時間にも、ベアテさんのことは習ってなくて、私は大人になってから、知りました。
何年前だったか、隣の学区の小学校で、「母親大会」が開かれ、全体会の講演者がベアテさんと知り、友達と聴きに行きました。
幼い頃、日本人のお手伝いさんの身の上話を聞いて、日本の女性達のために草案を作ったお話をされたと記憶しています。
綺麗な銀髪のゆったりした雰囲気の方でした。
その後、「ベアテの贈り物」という演劇も観に行きました。
本当に熱心に、草案を作っておられました。
ベアテさんと何度も対談された落合恵子さんは、ベアテさんが22歳で、草案作りに参加したことを、若過ぎて内容も軽く思われるのではないか?とずっと秘密にしておられたと聞いたそうです。
そして、「日本の憲法は、アメリカが押し付けたものだと言う人がいますが、自分が持っているものよりも優れたものを人に押し付けたりすることはないでしょう」とおっしゃっていました。
ベアテさん、本当にありがとうございました。
ご冥福を、お祈りします。