連休最初の2日間、家に居たので、発散したくなって、京都上賀茂神社の「手作り市」へ行くことにしました。


出かける仕度をしながら、「ニュース・フロントライン」を視ていたら、小出先生や経産省を辞めることになった古賀さん、児玉達也さんがクローズアップされていたので、つい視入ってしまい、出るのが遅くなりました。

夫も「将棋対局」を視ているので、「私、車で出かけるから」と言うと、「ナニッ!、待て!急に言うな!車を使いたいから、送っていく!」とアセッています。

「将棋対局がいいところなのに~」と言うので、駅まで送ってくれるなら、もう少し待つことにしました。


私も、再び「フロント・ライン」を視ると、杉原千畝さんの特集でした。ラッキー(^_^)v。

杉原さんのことを知ったのは、「知ってるつもり」というテレビ番組だったと思いますが、ドラマ化もされていました。

ドラマ化されもたのを2回とも視ました。

最初は、千畝さんを加藤剛サン、2回目は、反町隆史サンでした。

どちらも、感動する良いドラマでした。
反町サン、お芝居が上手くなりました。
“GTO”は、ハマリ役でしたが、先日の“グッド・ライフ”でも、父親の気持ちを上手く演じていました。


千畝さんが書いた6000枚のビザを手にしたユダヤの人達は、シベリアを経由して日本に来たそうです。

敦賀に日帰りバス旅行をした時、港にユダヤの人達が着いたことから記念館があり、その時のビザが飾ってありました。


建物の横には、杉原夫人が植えた記念樹がありました。

敦賀の人達は、長い旅をしてきたユダヤの人達を暖かく迎え、銭湯に入れたり、食事をさせてくれたりしたそうです。

彼等は、日本からアメリカ等に旅立って行ったそうです。


戦争が終わって、助けられた人達は杉原さんの消息をたずね、捜し回ったそうですが、外務省に問い合わせても、指示に従わなかった杉原さんは、外務省を辞めて、生活のために様々な仕事をしていて、なかなかみつからなかったそうです。

やっと捜し当てた杉原さんとユダヤの人達が対面する場面は、涙無しでは見られませんでした。

杉原さんが生きているうちに会えて良かったと思いました。

外務省が杉原さんの名誉を回復したのは、かなり後だそうで、当時外務政務次官だった鈴木宗男氏が反対もあったけれど、説得したと言っていました。


杉原さんが書いた6000枚のビザによって助けられた人達の子孫は、今25万人になったそうです。

上からの反対に屈せず、信念を貫いた杉原さん、立派な方です。

生まれ故郷の岐阜県八百津町に記念館が出来たと知り、7~8年前だったか、生協の地区委員会でバスを借り、組合員さん達と見学に行ったのです。

バスの中で杉原さんのビデオを見ながら行きましたが、泣けてしまって、困りました。

記念館は、小高い丘の上にある洒落た木造の建物で、リトアニア領事館の執務室が再現されていました。

朝早く出発して、名神高速を走る強行軍の旅でしたが、参加した組合員さん達は、来て良かった!ととても喜んでくれていましたっけ。


出かけるまでの話が、長くなってしまいました。