◆言葉の裏に秘められた物語を読む / 読書感想文の書き方 | しあわせのもと「ここ」にあります

昨日、きれいにアマノイワトライブで締めて、もう神話の話は終わりだと思ったでしょ?

 

 

まだ神話ネタです( ̄▽ ̄)

むしろ私は、今日書く話の内容を知って、神話(古事記)や古代史に興味を持つようになった気がするので、これが本編といっても過言ではないかもしれないのである。

 

 

自分でも自覚している以上に日本神話が好きなんだと知ってびっくりしている(笑)

書くと、いろんな自分に気づきますねぇ。

 

あ、そういう「書く講座」やりますよ。

ぜひぜひあなたも自分の知らない自分に気づきに来てみてはどうでしょう(*´艸`*)

 

 

 

ーーー

 

 

古事記の中に出てくる「国譲り」の神話の話、おととい書いたじゃないですか。

 

◆長くて読んでもらえないかと割愛した話を延々語ってみるよ(笑)

 

 

 

日本を治めつつあった地の神オオクニヌシくんが

天の神アマテラスちゃんに「ねえ、ねえ、そこ天の神が作った国だから返してよ」って言われて、

で、「えーーー?」「いやーーーー」「でもーーーー」とのらりくらりと躱していたけど、もう誤魔化せないくらいのとこまで迫って来たからしょうがなく返したよ。

 

で、返してもらったから、アマテラスは自分の孫のニニギくんを日本に使わして、統治するようになったんだよ。

これが現在の天皇の祖先なんだよ。

 

っていう話として古事記には載ってるんですけどね。

 

 

引き続き、こちらからイラストお借りしております。

 

 

 

 

 

 

歴史上の書物って、まあ、だいたい、勝者の書物じゃないですか?

 

 

政権を争って、勝った側が、自分の正当性を主張するために

いろんな事実を捻じ曲げたり、ちょっと曲色したりするもんですよね。

 

 

 

という視点で、「国譲り」の神話を見ると…。

 

 

またこの話が興味深くなってきましてね。

 

 

 

 

私がこの見方を知ったのは、10年以上前にこの本を読んでから。

 

 

 

井沢元彦さんの「逆説の日本史」

これ、めっちゃおもしろいから。

 

一度読んで、手放して。

数年ぶりにまた読みたくなって、手放して。

今回また読みたくなって購入(笑)

 

安土桃山時代くらいまではこのシリーズ読んでるんだけど

こんなに何度も読んでるのは1巻の古代黎明編だけだと思う。

 

 

私自身の知識もちょっと増えてたりで、はじめて読んだ時よりだいぶ理解できてる、と思う。

 

 

・古代から日本は「わ」の国

・日本はできるだけ争いを避け、話し合いで解決することがもっとも素晴らしいとされてる国

 十七条の憲法の冒頭は「和をもって貴しとなす」と言ってるくらいね。

・江戸の幕末の明治維新も、パークスが「ヨーロッパでは百年かかる改革を1日で成し遂げた」と驚嘆する国民性。

 

 

記録に残されている日本最古の政権交代戦争であるオオクニヌシとアマテラスの国譲りは、のちに政権を取ったアマテラス側の権威を高めるためと、アマテラスの子孫はこの国の統治権を先住者から正式に譲られたのだ、という二点を強調するために、戦争は一切なく平和裡にオオクニヌシから、自発的に譲られたという「お話」にしているのだろう。

 

 

という説。

 

言われてみれば、たしかに。

というか、もうこの連載が始まった1992年からもう26年が経っていて、逆説というかもう定説とも言えるよね。あと、この26年の間にいろんなことが分かってこの本に書かれてることと、いま「歴史」とされてることにくいちがいがあるかもしれない。でもね、読み物として面白いの。ああ、そうか。なるほどそうかもしれない。いや、違うかもしれない、ってね(笑)

 

 

 

でも、パークスが驚いた明治維新でも、そこに至るまで、あちこちで戦争はあったよね。

最終的には江戸城無血開城の上、慶喜蟄居で終えるというありえない政権交代で終わったかもしれないけど。そこにいたるまではあちこちで血が流れた。

 

いくらそういう「話し合い」を重んずる国民性であったとしても

日本最古の政権交代が無血開城ですむわけ…ないじゃんねぇ?

 

 

もともと日本を統治していたオオクニヌシがアマテラス勢に侵略戦争をしかけられて、大攻防の末にアマテラス側が勝った。

っていう話を。

和をもって貴しとなす国民性だから。

「そもそも私たちに統治権があったのだから、話し合いの末に譲ってもらったのですよ」って美談にしたというほうが、たしかにしっくりくる。

 

 

 

 

その昔、出雲大社は日本で一番大きな建築物だったそうですよ。

噂によるとどうやって建てたのだろうっていうくらい高層建築物だったらしいですよね。

 

出所:古代・出雲大社本殿の復元 『季刊大林』No.27「出雲」(1988)

 

 

 

奈良時代に聖武天皇が鎮護国家の目的で立てた総国分寺、東大寺が二番目。

三番目は京都の大極殿(御所の中心の建物)

 

 

それってねキリスト教の世界では考えられない行動なんですよね。

国教の神殿や国王の宮殿よりも、現国王の祖先が滅ぼしたオオクニヌシの神殿が一番大きいっていうのは。

 

それってなぜかっていうと、日本人はずっと怨霊を恐れて生きてきている国民だからなのではないだろうか。日本人はずと怨霊信仰という宗教を信じている。

というのが井沢さんの本の主軸にある説。

 

 

オオクニヌシは自分が苦労して統治して来た国を奪われて、処刑された元国王。

そんな存在が恨みを持たずに安らかに眠るはずがない。

だから、オオクニヌシの祟りが起きないように丁重に丁重に祀っておこうとした。

 

とはいえ、征服者側のアマテラス陣営としては複雑だよね。

 

怨霊に祟りを起こされたくはない。

だからオオクニヌシを祀るための大きな神殿を建てた。

しかし、民にオオクニヌシを崇められるのはちょっと…。っていう複雑な心境が起こる(笑)

 

 

そこで、アマテラス陣営は考えた。

オオクニヌシ 横向きにしよう!って。

 

そうしたら出雲の神殿を民が参拝しても、オオクニヌシを崇めていることにはならないじゃないか。って。

 

 

出雲大社の中、こんなふうになっているんです。

 

image

 

 

オオクニヌシ(大国主)様は正面から見ると横向きに鎮座してるんですよ。

 

参拝者にきちんと向き合ってるのは天津神の五神。

参拝者は実はこの五神に拝礼していることになる。

 

この五神はいわば見張り役。

オオクニヌシが死の国から出てこないように。

 

 

出雲大社は死の宮殿。霊魂の牢獄。

出雲は、オオクニヌシという「死の世界の王」が封じ込められている死の国。

 

古事記の中で死の国として出てくる黄泉比良坂は「出雲にある」とちゃんと書かれている。

なぜか、オオクニヌシが祀られている場所だから。

もしくは出雲がもっとも「死の国」に近い国なので、「死の国」に封じ込めるために、オオクニヌシをここへ連れて来て、大神殿を建てたのかもしれない。

 

 

あとは出雲大社にしかない独特の作法があるよね。

あれがオオクニヌシに「死」を自覚させる作法だと井沢さんは言うのよね。

 

 

注連縄が普通の神社とまったく反対の張り方をしている。

→死者の着物は左前に着せる。

 

柏手を4つ打つ。

神道では「言霊」ということを重んじる。

忌詞の最たるものは「死」だ。

 

四拍手は「シ」であり「死」に通じる。

 

 

しかし、大社がオオクニヌシという「死の国の王」の神殿であり、それを建てた大和朝廷が何を願っていたか、それを考えるとこの謎も解ける。

 

オオクニヌシの「死」こそ、この世を治める大和朝廷にとっては、なによりもめでたい。

オオクニヌシが自分の「死」を自覚せず、この世に戻ってくること、それが一番恐ろしい。

そのためには社頭で「死」を呼ぶ「シ拍手」をうつのが一番いい、「祀る側」はそのように考えたのだろう。

 

 

 

 

と、まあ井沢さんの言葉をほとんど丸写ししながら書いてきましたけれどもね(笑)

 

これはね、出雲大社が実際にそういう死とか怨霊の念を纏ってる神社っていうことじゃなくて

当時の人がそう考えたっていう意味ね。

さらにいうと井沢さんの当時の仮説ね。

いまはなんか覆されてるかもしれない。(詳細はしらん←(笑))

 

でも、読んでるとすごく納得なんだよねぇ。

 


 

 

 

ここまで読んでもらって

 

え?

オオクニヌシって怖い神様だったの?

 

出雲ってなんか怖い土地なの?

 

 

って思うとしたら、それは安直かなぁ(笑)

 

 

 

そういう「生きている人間がつくりだした幻想があったんだよね」ってお話。

幻想だけど、見えないけれど、それがたしかに「ある」と感じる国民性。

 

 

恨みをもってるはずだから、祟るに違いない。

子々孫々まで呪い、根絶やしにしてくれる、と迫ってくるに違いない。

ものすごいパワーをもって、飢饉、災害、天然痘などをもたらすに違いない。

 

そんなふうに畏怖する心が作り出したのが、怨霊信仰。

 

 

 

オオクニヌシ様もアマテラス様も、日本で今生きてる民に幸あれと見守ってくれてると思うよ。

それこそ「わ」の精神だと言われるかもしれないけどね(笑)

 

私は出雲大社で自分が肌で感じた、ほっこりとあったかい感じを採用するよ。

 

 

◆役には立たない「好きなもの」と出雲の神々

 

 

私、出雲大社に行くまで、大国主様が横向きに鎮座してること知らなかったんだけど、実際行ってみたらそうやって書いてある立て看板があってね。

(この本読んでたけど、忘れてるから(笑)体験したことは覚えてるけど、読んだだけのことは忘れるよね ←重要

 

 

大国主様の正面から拝むことができたのよね。

 

そのときいちばんほんわかあったかい感じがしたんだよねー。

 

東に向かって、手を合わせてるから、南側から照ってるお日様が自分の右半身に当たってぽかぽかしただけなのかもしれないけど(笑)

 

だからねー、なんかこんな風に怨霊信仰だ。

オオクニヌシが怨霊にならないように!って大和朝廷の人は考えたんだ。

って話を現代人が読んで、ぞわぞわわくわくするのもほほえましげに見るくらいおおらかなんじゃないかと思うんだよね。

 

エンタメ提供してる感覚(笑)

だからおもしろがっていいんじゃないかと思ってる。

自分に都合よく解釈した結論ですけれども(*´罒`*)

 

 

 

 

私の出雲紀行はこちらをご覧くださいませ♡

 

◆役には立たない「好きなもの」と出雲の神々

 

ちなみにこの記事の中で宿泊してる星野リゾート出雲界では

夜のイベントとして「ヤマタノオロチ伝説」の神楽が見られますよー。

え?ヤマタノオロチ伝説しらない?そんな人はこちらへ(笑)

 

 

伊勢神宮は私にとって馴染みの場所すぎてこれくらいしか記事になってないけど(笑)

出雲大社よりきりっとしてて、そうだね、たしかにトップに立つ女性っぽいかも。

 

 

 

今後のセミナーの予定

 

■人生を動かす「書く」講座


日程:10月29日、11月19日、12月17日
 

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■自分らしくラクに生きる 入門講座

日程:10月23日(火)

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絶賛発売中(≧∇≦)♡

 

 

 

 

 

ということで、基本的に私は学生の頃こんな感じで読書感想文を書いてきましたよ。

 

読んだ本のあらすじを自分の言葉に変換しながら、書いて。

その都度、自分の意見をちょちょっと加えたりして

読んでて連想ゲームのように想起した「自分が体験したできごと」があったら尚良し。

 

そして、最終的に自分がどう思ったかで締める。

 

その締めが、対象の書籍に従順な感じよりはちょっとだけ外れてると、よりオリジナリティが出る、雰囲気がする(笑)

 

そしてそういうのは先生にウケがいい(笑)

 

 

だからこんな感じで書くと読書感想文のできあがりですよ。

 

もうちょっと原稿用紙にかける感じで「文章」で書くけどね。

書いてて「これでいいのかな。つまんなくない?」って感じのデスマス調にすると「文章」っぽくなる。まじで(笑)

 

 

 

もう夏休みも終わりましたけど、読書感想文の書き方講座・実践編でした(笑)