◆これぞ読む瞑想 | しあわせのもと「ここ」にあります

 

 

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この写真を撮るためにおかげ庵に行った。

え?おかげ庵知らない?え?(゚Д゚≡゚Д゚)?

コメダの姉妹店・和風甘味喫茶ですよ。

 

 

 

この本、私も、むかーし読んだことある気がするんだよね。

読んだということもあやふやなくらい。なんなら最後まで読めたかどうかもあやしい(笑)

 

でも、今読んだらすごーく沁み込みました。

 

 

瞑想してるみたいな気持ちになる。


この本を読んでいると、部屋のこまごまとした塵をきれいにするのと同じ感じがするのです。

頭の中の塵が、すーっと下の方に落ちていく感じ。

 

 

 

 

 

前半は、ちびちび読みたい気分でちびちび読んでたんですよ。

ひとつ読んで、本を閉じて、他のことをして、また続きを読む。って。

そういう感じで読みたい本だったんだけど。

 

中盤以降はもうそんなこと言ってられなくて、ページをめくる指が止まらなかった。

基本、わたしざっとすべてを読んでしまいたい派なのよね。ストーリー知ったあとでも楽しめる派。

原作ものは映画を見てストーリーを把握した後で、読んだ方が読みやすい。活字って読むの大変だよね(笑)ストーリーを知ったあとで、ほう!なるほどこういう文章で表現するのね!っていう読み方の方が楽しい。

 

 

 

序盤と変わらず淡々とはしているのだけれど、人生が動いていく感じが手に取るようにわかる。

 

女子大生だった主人公が、就職に悩み、周りの結婚出産ラッシュに気を取られながら仕事をし、自分の恋愛で大打撃を受けて人生最大の奈落の底に落ちる時期を迎え・・・

 

そんな誰にでもあるといえば誰にでもある人生の浮き沈みとともに、そこにすっと軸を通している「お茶のお稽古」の様子をずーっと書き綴っている本。

 

 

お茶のことなんてなにもわからず、おいしいお菓子を食べに先生のところに通っていた能天気な時も

人生でこんなに落ち込んだことはないという、それまでで一番長く辛い冬の時期も。

主人公の日常の脇に「いつもただそこにある」変わらずそこにあるものを感じさせるお話。

 

それがあったからといってなんの役にも立たなさそうなもののように思えるお茶。

それがいかに主人公の人生を豊かにいろどったかということを

ものすごくうまく、ものすごく丁寧に、描いたエッセイ。

 

ただおいしいお菓子を食べられれば、って思っていたところにやってきた

お茶の才能がある15歳の新人に触発され、もっとひとつひとつを丁寧にしようと全体の士気があがったところも丁寧になぞって、そのことによって「自分にはできない」「自信がない自分」というコンプレックスを刺激されていくところもすごく繊細に文字にしている。

 

13年続いたお茶をやめちゃおうかなって思ったりする。

 

けど、やめなかった。

 

その過程もね。

よくこれ言語化したね。

 

っていうくらい繊細で、繊細で、繊細な気持ちを丁寧に描いていて感嘆した。

 

 

 

美は細部に宿る

 

 

文章もそうだし。

お茶の美学もきっとこれに行き着くところがあるんだと思う。

 

 

全編通して、読んでいるだけで、心の澱が落ちていく作品だと思います。

これぞ読む瞑想。

 

 

読んでいて癒され。

癒されるから油断していたら、主人公の人生とオーバーラップし、がつんと心を打たれ、そうかと思うと主人公が見聞きしている風景の描写に心を奪われる。

 

本当に描写が素直で好き。

読んでいると、その風景が私にも見える。

 

後半の「雨の日は、雨を聴くこと」で描かれている。

突然の豪雨の描写なんて、読んでて映像が浮かぶもん。

 

すごく繊細な刺繍を見ているみたい。

 

本当に、こういうのを書きたかったら、

慌てないことが一番なんだろうなぁ、って思った。

 

こつこつ、ひとつひとつ、ひと針ひと針丁寧に刺すように書いていくのが大事なんだろうなぁ。

ぶぁあああああって、とりあえず書きあげたくなっちゃうけどね。

 

 

とはいえ、そういう勢いのある書き方も大事だよね。

 

いま、この瞬間、思い浮かんでる、それをとにかく書き留めておく!

それはそれで、推敲する必要もないくらい完成された文章になってることも多いと思うんだ。

 

 

あとがきで森下さんがこう綴られていました。

 

ここに書いたのは、この二十五年、私がお茶を通して体験したことのほんの一部に過ぎない。

(略)

なにしろ、私はお茶の世界では、まだほんの子どもに過ぎない。そんな未熟者が、お茶について一冊の本を書くなど、そもそも無謀である。

 

 

なんか分かるー。この感覚。

二十五年も続けててもこれなんだよ。

 

私なんかが分かるーっていうのもおこがましいけど。

 

・・・ていう「おこがましい」って感覚だよね。

 

私なんて未熟者がそれを語る資格などありませんけれどもね。

 

 

っていう気持ちってやっぱりどうしても湧いてくるものだと思うんだよね。

 

 

このエッセイ自体は「お茶について」というよりは森下さんの人生とお茶という感じだから、お茶そのものではないのだろうけれども、それでも「私のようなひよっこが・・・めっそうもない」って気持ちは、書いてる最中になんども浮かんでは消していたんだろうなぁ、とその気恥ずかしさのようなものまでふとした時に感じ取ってしまっていましたよ。

 

 

 

 

 

 

ともかく、この本とてもよかったです。

 

映画も樹木希林さん・黒木華ちゃん・多部未華子ちゃんですよ。

期待大ですよね。

 

公開、楽しみだなぁ。

 

 

 

 

 

 

ここで書いたみたいな「私なんてまだまだ未熟者だから語る資格なんてない」とか

「この程度では好きなんて言えない」って思っちゃう時ってあると思うんですけど。

そんなときにはこれを読んでみて欲しいな。

 

相方が売れて闇落ちした僕が「好き」を発信したら年収800万円になった話|天津・向清太朗インタビュー

 

 

「にわか」と言われても「好き」と口にしたほうがいい

「SNSでも、現場でも積極的にアニメ好きをアピールしましたね。みんな「好き」とか「得意」とか、どんどん口にするべきです! 僕もアニメファンから「にわか」って叩かれることもあります。でも、なにがなんでも発信するべきなんですよ。」

「今、アニメが好きなら「アニメが好きです!」でいいんです。他人の目を気にしないでほしいですね。やっぱり、叩かれるのは怖いです。でも、ビクビクしたってお金にはならないですから。僕も散々SNSで叩かれてきたけど、死んでないし(笑)。」