自分の日常にはそれがあたりまえすぎて
それがおかしいなんて気づきもしない。
なんてこといっぱいありますよね。
もちろん、その当たり前がなんの支障もきたしてなければ
そのままで円滑に進んでいることだし。
変える必要なんかない。
外科医のさーたりさんのTwitterやブログを眺めるのが好きなんですが。
話題だった東京医大の件で記事を書かれていてね。
(東京医大の話を持ち出してますが、私の今日の記事はまったくその問題の本質には触れてない話です(笑))
↓↓抜粋↓↓
東京医大のあれやこれやが発端となった
医師をとりまく環境のあれやこれや。
私は現役で東京医大受けてますけど落ちて、
1浪の時は「東京医大は女で浪人とか取らないもんね~」と受験回避する程度には
「知られていた」話でした。
この大学に限った話ではないのがまた根深い問題なんですが…。
まあ、そんな感じにあたりまえで受け入れていることっていっぱいあるんですよね。
今年の西日本の大豪雨のあと、こんな記事がTwitterに流れてきました。
自然災害大国の避難が「体育館生活」であることへの大きな違和感
ここに書いてあることがどの程度正確なのか知らないし、
日本よりイタリアの方の環境がいいのかどうか、本当のところはわからない。
(けど、私よりよっぽど精通している人が書いているのだろうから、それなりに正確な情報なんだろう)
まあ、正確かどうかはともかく。
これを読んで私は初めて。
「そうか、避難生活って体育館じゃないっていう選択肢もあるのか!」って初めて気づいたんだよね。
今まで、南海トラフの大地震がきたら体育館で避難所生活かぁ。
いやだなぁ。その避難生活早めに終わるといいなぁ。くらいのことは思っていたけど
もう大前提として「体育館での避難生活」だったんだよね。
自宅が倒壊していなければ、自宅で過ごせるだろうけど。
それが無理ならば体育館かぁ、って。
そうではない選択肢が芽生えただけで、なんか想定される世界がひとつ増えたような気がしたんだよね。
そういうふうにさ、自分の日常にはそれがあたりまえすぎて
それがおかしいなんて気づきもしない。
そういうこといっぱいあるけど、
そうではない視点。そうではない見方をすると
今までとは違う世界が、今までとは違う現実が
自分の中に生まれるんだなぁ、ってあらためて思った。というお話でした
心屋塾初級セミナーを9月に開催します。
初級セミナーのご感想
自分ではそんなに思っていなかったけれど
すごくいっぱい制限をかけているんだなぁと
気がつきました。
自由なんだと思いました。
どんなふうに思っても自由なんだ。
そう思ってはいけないと思っていたこと思ってもいい、許可してもいい
もっと自分に優しくしてもいいんだと思いました。
言葉にすることってすごい力があるんだって実感しました。
あっという間の時間でした。
ありがとうございました。
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