クレヨン王国の赤トンボ
福永令三 作
三木由記子 絵
講談社
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生きるとは、どういうことなのか?
4人の少女たちと、赤トンボの友情を軸に物語は進んで行きます。
クレヨン王国とタイトルに付いているけれど
クレヨン達や、王国の住人は出てきません。
少女のひとりである由美が書いた童話にクレヨン王国が出てくる、という設定です。
重い心臓病の由美は、せめて物語の中だけでもと、不死身の赤トンボを書きます。
誰にも食べられないし、食べる必要もない。
だから、口は普通のトンボの半分の大きさ。
捕食のために飛ぶ必要もないから胸の筋肉もありません。
ただただ毎日家の中の壁にぶら下がっているだけ。
その赤トンボが、あるきっかけで物語の中から現実世界に飛び出し、ある姉妹の家にやってきます。
姉妹とその友人は、こんな状態で、この赤トンボは生きていると言えるのか?
と疑問を持ちます。
死なないということは、今生きていないということなのでは?と。
病気の由美の不死身になりたい、という思いが赤トンボを生んだと知った美奈代、菊菜、良恵の3人は赤トンボを本当に生きている状態にしようと頑張ります。
赤トンボが本当に生きている状態になれば、由美も生きてくれると信じて。
生と死という重いテーマですが、とても軽やかで爽やかな作品です。
生きるって、どういうことだろうか?
と改めて考えさせられます。
今日、ルーブル美術館の裏側を特集した番組を観たんですが
モナリザを描いたダ・ヴィンチや
エジプトのミイラ
そして、ルーブルという建物そのもの
これらを生み出した人々は、すでにこの世に肉体はありません。
でも美術館に行けば、その存在を確かに感じることができる。
以前、地元の美術館でアンデルセンが実際に使用していた旅行カバンを見たときは、感動しました!
100年以上前にアンデルセンが使っていたものが、目の前にある!!って。
生きて、肉体のある人だったんだ!と、しっかり感じることができました。
なぜ、この肉体を与えられたのか
私のすべきことは、何なのか
しっかり見つめて生きることができたら
誰かの中に生き続けることができるのだと思います。
作者の福永令三さんもお亡くなりになられてますが
私の中では、クレヨン王国という形で生きていらっしゃいます。