運転中、フッと湧いてきた。
『私、子供達にいつも助けられとる』
『あの時もこの時も…色んな形で』
そこからどんどん思考が掘り掘りしはじめ、凄いとこまでいってもた。
本を読んで、誰かに聞いて、頭では知っていた事。
すぅ〜と腑に落ちていった。
私達は、親を助ける為、親子で共に成長する為に、自ら親を選んで生まれてくる。
私は大変な家に生まれ、親を恨んだ事もある。
親を反面教師にしてきた。
それによって、成長させてもらえた実感もある。
私は? 親の成長の手伝いは出来たやろか?
年老いた今も不平不満を言い続ける親を見てるとはたして…
物質的な手助けは出来る時にしてきたけど、魂の成長の手伝いはどうなんやろ…
少なからず、私は私の子供達からたくさんの成長の種をもらっている。
そう思うと、我が子達はちゃんとお役目を果たしているではないか。
何て素晴らしい子供達。
私はこの子達に何を与えられたか?
何を残してやれるか?
・・・・・・・。
『愛』
フッとこの言葉が浮かんだ。
好いた晴れたの愛ではない。
言葉では言い表せない。
深〜い 深〜い
『愛』
きっと人はこの『愛』に包まれていると
安らぎしかないのではないかな…
そこには物質的な物(例えばお金など)は存在しない。
『愛』だけ。
それがパーフェクト。
でもこの地球は物質世界。
物質0では生きていけない。
食べ物、服、お金…
必要な物質、贅沢な物質…
これが全て物質世界で、『愛』を表現する為の物と考えたら、『愛』でいっぱいになるんではないか?
物質だけでなく、行動も言葉も。
自分への『愛』
他人への『愛』
ただ欲しい物を買う行為が、お決まりになっている友達への誕生日プレゼントが、今までと全く違う高次元の『与える』という行為に変わるんでは?
お金がないとか、取るに足りない事に思えてきた。
『与える』事も『与えられる』事も『愛』の世界。
『感謝する』も『感謝される』も同じ。
全て一つ。
『愛』のエネルギー。
いかに『愛』の世界を生きるか。
次の課題はこれや!
子供達への想いから、頭の中宇宙の真理までいってしまいました😆
