朝から焼肉でも平気。
どうも、内臓年齢はまだ若い私です。
朝から焼肉はきついなーと思ったら、もう若くないと思う事にしています。
なのでまだまだ若いつもりで居ます。
創作活動をしていると、個性について色々考えます。
本当に私は知らない事が多いと、改めて実感する時でもあり、なかなか楽しいひと時でもあります。
個性個性とバカみたいに連呼する今の時代。
個性という言葉で個性を殺している気がする、そう感じるのは私だけでしょうか。
個性というのは主張する事ではなく、自分以外の者や物をしっかりと認識する事なのではないかと思います。
人は一人ひとり個性があるのだから、いちいち主張などしなくても全て個性的であり、個性的である。
この世の物や者は元々、それぞれ同じ種族や種類同士、同じ素材で出来上がってるはずなのに、
一人ひとり、一つ一つ顔や体つきが異なる。
簡単に言うと、同じ素材で出来てるのに、設計図が違うから異なる形に出来上がる。
例えるなら、プラモデルは同じプラスチックで出来てるのに、
成型する段階で設計図が違うとガンダムにもザクにもなるということ。
個性個性と連呼する人程
人と違う事を望むのに、隣の人と足並みが揃っていないと不安になる人間が多い。
自分の個性は大事にするけど、他人の個性は認めないという人間も多い。
例えばで出してしまって申し訳ないが、
俗に言う キモオタと呼ばれる類に属しているであろう人たちが、
日々、女子の類からキモイだのデブだのハゲだの言われて言葉の暴力で傷つけられている状況を目にする事が多い。
まあ中にはそれで喜んでる人間も居るだろうが。
そんな特殊な性癖を持ち合わせていない人間から見れば、
キモオタと呼ばれるのはやはり傷つけられる事である。
言われる方にも落ち度がある! とか言う奴も居るが、それは違う。
彼等、もしくは彼女等の見た目の個性を他人が批判してるだけなのだ。
自分の価値観に合わない者に対して馬事雑言を浴びせているだけ。
自分が逆の立場になれば、それは個性だからと開き直るのに だ。
他人の事など気にせずに居れば他人の個性を批判する事も無いのだから、
そうしていれば良いものを、自分が他人より優れているという事を自分で確認して
安心したいが為に他人を卑下する。
個性が大事とアホみたいに連呼する人間にはそんな人たちが多く見える。
あくまでも私の見てきた範囲内の話になってしまうのだけれど。
例えば考えて作られたものは果たして個性だろうか?
例えば自分がこうありたいと思い、そう行動する。
例えばモデルの誰々のようになりたいと思い、同じ様な化粧したり、
同じ服を着たり、最後には整形したりする。
それははたして自分自身の個性と言えるのだろうか。
誰にも似ていないから個性であり、誰にもならないから個性なのではないのか。
個性的で居たいと思うのであれば、まずは自分自身を見つめなおす事からはじめた方が良いんじゃないかと思う。
誰かのマネをしたいと思う、憧れる事が悪いと言っているのではなく、
なぜ、自分はその誰かのマネをしたいと思うのか、
なぜその人物に憧れるのか、
を考える方が、自分自身を より個性的に出来るのではないかと思うのだ。
私も自分の作る物を通して、自分自身を表現してるつもりである。
そこには定番と呼ばれる物も作るし、何処かの誰かと似たような作品を作る事もあるだろう。
だが、それは私の作った物であり、誰かの作った物を私の物として出しているわけではない。
個性的かと聞かれれば迷い無く 個性的ではない と答えられる。
なぜならそれら定番と呼ばれる商品等には個性を求めて作った物ではないからだ。
個性を求めて作る物とそうでない物があるということだ。
全てが個性的である必要はない。
だが、全て自分で手をかけて作る必要はある。
まあ、外注でパーツを作ってもらう事もあるだろうけれど、
それも発注をかけるときは自分のデザインや嗜好を伝えた上での外注なのだから、自分の作品の一環ではある。
何処かのゴーストライター騒ぎのように、他人が作った物を自分の作品として発表するのは好ましくは無い。
ただ、あれも契約をしての事だから、民法的な解釈をするなら恐らく合法なのだ。
他人がどう思うかは別の話だけどね。
少し前に話題になった 作曲の盗作等の話も私に言わせりゃただのイチャモンにしか見えない。
限られた音符、音階で作ってる曲なのだからそりゃ似たようなフレーズだったり曲になったりする事もあるでしょうよ。
それをいちいち取り上げてたらきりが無い。
同じ日本人同士なら、作詞作曲とか音楽関係でメシ食ってる人たちももっと心を広く持った方が良いんじゃないか?
と思ったよ。
どこかのオリンピックのテーマソングのは笑ったけどさw
個性と言うのは簡単だけど、表現するのは難しい。
それを個性的だと認識するのは自分以外の他人なのだから、
まずは他人を認める所から創めるのが、
個性追求の、はじめの一歩なんじゃないだろうか?
僕はキメ顔でそう言った。
どうも、内臓年齢はまだ若い私です。
朝から焼肉はきついなーと思ったら、もう若くないと思う事にしています。
なのでまだまだ若いつもりで居ます。
創作活動をしていると、個性について色々考えます。
本当に私は知らない事が多いと、改めて実感する時でもあり、なかなか楽しいひと時でもあります。
個性個性とバカみたいに連呼する今の時代。
個性という言葉で個性を殺している気がする、そう感じるのは私だけでしょうか。
個性というのは主張する事ではなく、自分以外の者や物をしっかりと認識する事なのではないかと思います。
人は一人ひとり個性があるのだから、いちいち主張などしなくても全て個性的であり、個性的である。
この世の物や者は元々、それぞれ同じ種族や種類同士、同じ素材で出来上がってるはずなのに、
一人ひとり、一つ一つ顔や体つきが異なる。
簡単に言うと、同じ素材で出来てるのに、設計図が違うから異なる形に出来上がる。
例えるなら、プラモデルは同じプラスチックで出来てるのに、
成型する段階で設計図が違うとガンダムにもザクにもなるということ。
個性個性と連呼する人程
人と違う事を望むのに、隣の人と足並みが揃っていないと不安になる人間が多い。
自分の個性は大事にするけど、他人の個性は認めないという人間も多い。
例えばで出してしまって申し訳ないが、
俗に言う キモオタと呼ばれる類に属しているであろう人たちが、
日々、女子の類からキモイだのデブだのハゲだの言われて言葉の暴力で傷つけられている状況を目にする事が多い。
まあ中にはそれで喜んでる人間も居るだろうが。
そんな特殊な性癖を持ち合わせていない人間から見れば、
キモオタと呼ばれるのはやはり傷つけられる事である。
言われる方にも落ち度がある! とか言う奴も居るが、それは違う。
彼等、もしくは彼女等の見た目の個性を他人が批判してるだけなのだ。
自分の価値観に合わない者に対して馬事雑言を浴びせているだけ。
自分が逆の立場になれば、それは個性だからと開き直るのに だ。
他人の事など気にせずに居れば他人の個性を批判する事も無いのだから、
そうしていれば良いものを、自分が他人より優れているという事を自分で確認して
安心したいが為に他人を卑下する。
個性が大事とアホみたいに連呼する人間にはそんな人たちが多く見える。
あくまでも私の見てきた範囲内の話になってしまうのだけれど。
例えば考えて作られたものは果たして個性だろうか?
例えば自分がこうありたいと思い、そう行動する。
例えばモデルの誰々のようになりたいと思い、同じ様な化粧したり、
同じ服を着たり、最後には整形したりする。
それははたして自分自身の個性と言えるのだろうか。
誰にも似ていないから個性であり、誰にもならないから個性なのではないのか。
個性的で居たいと思うのであれば、まずは自分自身を見つめなおす事からはじめた方が良いんじゃないかと思う。
誰かのマネをしたいと思う、憧れる事が悪いと言っているのではなく、
なぜ、自分はその誰かのマネをしたいと思うのか、
なぜその人物に憧れるのか、
を考える方が、自分自身を より個性的に出来るのではないかと思うのだ。
私も自分の作る物を通して、自分自身を表現してるつもりである。
そこには定番と呼ばれる物も作るし、何処かの誰かと似たような作品を作る事もあるだろう。
だが、それは私の作った物であり、誰かの作った物を私の物として出しているわけではない。
個性的かと聞かれれば迷い無く 個性的ではない と答えられる。
なぜならそれら定番と呼ばれる商品等には個性を求めて作った物ではないからだ。
個性を求めて作る物とそうでない物があるということだ。
全てが個性的である必要はない。
だが、全て自分で手をかけて作る必要はある。
まあ、外注でパーツを作ってもらう事もあるだろうけれど、
それも発注をかけるときは自分のデザインや嗜好を伝えた上での外注なのだから、自分の作品の一環ではある。
何処かのゴーストライター騒ぎのように、他人が作った物を自分の作品として発表するのは好ましくは無い。
ただ、あれも契約をしての事だから、民法的な解釈をするなら恐らく合法なのだ。
他人がどう思うかは別の話だけどね。
少し前に話題になった 作曲の盗作等の話も私に言わせりゃただのイチャモンにしか見えない。
限られた音符、音階で作ってる曲なのだからそりゃ似たようなフレーズだったり曲になったりする事もあるでしょうよ。
それをいちいち取り上げてたらきりが無い。
同じ日本人同士なら、作詞作曲とか音楽関係でメシ食ってる人たちももっと心を広く持った方が良いんじゃないか?
と思ったよ。
どこかのオリンピックのテーマソングのは笑ったけどさw
個性と言うのは簡単だけど、表現するのは難しい。
それを個性的だと認識するのは自分以外の他人なのだから、
まずは他人を認める所から創めるのが、
個性追求の、はじめの一歩なんじゃないだろうか?
僕はキメ顔でそう言った。