ホイール・オブ・フォーチュン。

運命の輪がふたたび回り始めた。


亥年生まれで、少年の瞳を失わないクラシカルクロスオーバーのヴィルトーゾ。

古澤巌と藤澤ノリマサ。

私の運命の輪を回した二人。

Iwao Furusawa, Norimasa Fujisawa.


16進法で1桁の最大数「15」を表すF。

15年目の再会も偶然でしょうか。









終章 1941年




 とうとう俺たちの部隊は最前線であるインドへ飛ばされた。一人の死者も出ない部隊は、アジアの熱帯へ行っても強運を発揮して勝利をもたらすだろう、と上層の奴らは考えたらしい。

 俺の存在を恨むかと思ったが、戦友たちは

「なに、お前がいれば大丈夫さ、デス」

と真顔で言った。信じたいのだろう。生きて再び祖国の土を踏めると。

 俺も自分の力を信じたかった。



 敵の侵略が始まっていた。

 俺たちは火薬と銃器を小屋から小屋へ運んでいた。インドの熱帯雨林の中は鬱蒼と暗く、上空の照りつける太陽も定かではない。

「まったく、とんだ荷役だぜ」

 誰かがこぼした。陽動部隊や最前線の戦闘部隊は戦車や重火器砲を投入して派手にどんぱちやってるころだろう。

 そして俺たちは諜報部でもないのに緑色の服を着て、獣道すらもないこんなジャングルの中で荷車を引いて下生えやら蔓草やらと悪戦苦闘ってわけだ。

「どこ通ったって同じじゃねーかよ」

「だな・・・戦争の直中とはとても思えないな」

 俺も苦笑した。

 侵略を進めているという敵軍を見かけたのは最前線に立ったときだけだった。薄汚れた白っぽい長方形のマークがついた戦車がおもちゃのようにかたかた走っていた。あれが奴らの新兵器で途方もない殺傷力をもつなんて、信じろって方が無茶だ。

「----ちくしょう、このオンボロ車め!」

「おい、ちったあマシなとこ通ろうぜ。これじゃ進みもしねえ」

 荷車のタイヤは蔦か何かが軸棒に絡んできしんでいる。このままジャングルの中を突っ切るべきだと主張する者もなく、獣道に毛が生えた程度の細道へと進路を変えた。



 細道をしばらく進んだ頃だった。

「・・・何の音だ?」
 後ろを歩いていた奴がふと立ち止まった。

 道なき道を進むよりは遙かに楽になったため、人数を半分ずつにして交代しながら荷車を押していた。

「荷車だろ」

 押し係りの一人が気にもとめず返す。

「そうか?」

 何となく感じた違和感。わずかな戸惑いが俺をパニックから救ったのかもしれない。

 すべての音が一瞬止んだ。

 ジャングルから、突然俺たちの目の前に飛び出してきた一台の戦車。緑と茶色の中間の鈍い色の車体に、白い

長方形のマーク。そしてその中央に赤い丸。

 下生えの草の固まりを勢いのまま乗り越え、ごとんと戦車は停まった。

「・・・う、そだろ・・・」

 誰もが凍り付いた中、うめき声にも似たつぶやきがもれた。

 こんなところに奴らがいるはずはない。イギリス軍もいない、村もない、こんな獣道のジャングルの中に。しかも戦車が一台きりで。

 向こうも俺たちに出会ってさぞかし驚いているだろう。こんなところで誰かに遭遇するなんて夢にも思わなかったに違いない。

 動いたのは向こうが先だった。

 砲身がかすかに音を立てた。

 俺はとっさに荷車に駆け寄ろうとした。何故そんな行動に出たのかは、分からない。体が勝手に動いていた。荷車を押していた連中も反射的に押す手に力を込めた。

 こつんと音がした。俺はその音を背中で聞いた。



 時間にすればほんの1秒にも満たない間の出来事だったのだろう。音を聞いた直後、熱さとも痛みともつかない衝撃が体を吹き飛ばした。

 戦車砲の直撃をくらったか、銃弾を積んでいた荷車に命中して誘爆したか。あるいは全員を巻き込んだ暴発だったかもしれない。

 意識が急激に遠のく。

 ああ、俺はここで死ぬのか。ぼんやりとそう考えた。不思議と恐怖は感じなかった。

 ただ、切なかった。



「ここはお前の家だ。いつか、戻ってきてくれ。そして、私のあとを継いでほしい」

 左目の一件で家に戻った俺が再び士官学校へ向かう日、伯父は窓辺に立ってそう言った。

 すみません。あなたがそう言ってくれたことは本当に嬉しかった。でも、もう戻れない。あなたを愛しているから、二度とあなたの前に戻ることは出来ない。

 幼い頃の幸せな時間が次々に体の中を、奥底からわき上がっては上へと流れていった。

 愛しています。今でも、あなたを。

 どこか幸せな、穏やかな哀しみだった。劣情にもだえ身を切られるよりも辛かったことすらも。

 記憶の中の伯父の優しい顔が遠ざかり、それきり俺の意識は安らかな眠りにも似た闇の底へと沈んでいった。





 ディック。私の前世。

 どうか、伯父への思いも忘れて今はただ安らかに眠ってほしい。私はもはや「俺」ではなく、伯父の名前すら覚えてもいないのだから。お前のことさえ、自分自身だったのにもう思い出せない。

 それでも私は、お前のように罪悪感を抱くぐらいなら、はじめから愛したりはしない。哀しみを遺したまま死ぬようなことはしないと、ここに誓う。

 私がお前ではない証と、お前が遺した記憶に報いるために。




                                                            (終)