室内には不思議な静けさが満ちていた。低い位置に設(しつ)えられた蝋燭(ろうそく)の灯りにそこここの調度がぼんやりと浮かび上がり、炎が揺らめく度に陰影も揺らぐ。まるで幻想の世界に来てしまったかのようだ。
そう、たとえば、桃源郷とか。
勧められるまま、骨董品(アンティーク)のような長椅子に浅く腰を下ろした。籐に似た植物で編まれた堅い骨組みに、肌触りのいい深紅の布が張られた座面は広く、ゆったりと寝そべることが出来るほどだった。東洋的なようでいて、西洋風なソファーベッドにも見える。
扉を閉めて長椅子の正面へと戻ってくる姿を目で追っていた自分に気づいて、なぜだか狼狽した。
「・・・心の準備はできたかえ?」
笑い含みの問いかけに、思わずごくりと唾を飲む。手を取って促され、立ち上がりながら目を伏せた。
これから始まることを思えばとても正視など出来ようはずもない。
「そう固くならずともよい・・・さぁ、ゆっくり息を吐いて・・・」
ひざまずいてベルトの金具を外す白い指をぼんやり見つめながら、もう引き返せないと思った。
その人の手指がひんやりと冷たいのが意外だったが、むしろその冷たさが心地良い。
慣れた手つきでするすると布を下げられ、立ちすくんだまま為すすべもなく艶やかな黒髪を見下ろしていた。
「深くお掛け」
不意の上目遣いと出会って、どきりと心臓が跳ねる。
ことさらにしなを作っているわけでもない。それなのにごく自然な仕草の一つひとつに目を奪われ、心が波立つのを抑えられない。
なんという艶めかしさ。匂い立つような、とはこの人のためにある賛辞ではないか。声にはせず頭の中でそう呟いた途端、その単語がひどく生々しい実感を伴って息苦しいほど胸を占めた。
言葉の持つ力は魔力に似ている。
感じたものを美しい、という言葉に変換した瞬間、脳は言葉のイメージに囚われ、それ以上考えることを止めてしまう。実体のないまま、先行する概念にあらゆる知覚の認知さえも歪められていく。---言霊によって。
足首でわだかまっていた布から、片足ずつ足首を持ち上げて抜き取り、傍らの籠にぱさりと落とす。蝋燭の明かりに揺れる静まりかえった部屋の中で、その音だけが聞こえた。
まるで夢の中にいるような静寂。
紛れもない都会の直中で、一本裏通りに入っただけでこんなにも世界は姿を変える。雑踏のざわめきは遥かに遠く、通う者とてない秘境の隠れ宿にでも来てしまったような気がする。
一瞬、宙に浮いた足が着地するまでの時間がスローモーションの映像で流れていく。地を踏みしめていない、自分の足で体重を支えていない、ただそれだけでひどく宙ぶらりんな不安な気持ちになる。
普段他人の目に晒すことのないそこを剥き出しにしていることもあって、なおさら落ち着かない。
緩やかな微風が素肌をくすぐる。
そして、その人のうなじから仄かに香るそれは。
(親父の袈裟と同じ匂い・・・)
突然鮮やかに情景が甦る。
露のいまだ乾かない庭を本堂の縁先から眺めていた、あの夏の早朝。一面に白い花が咲いていた。あれは何の花だったろう。
温かく濡れたものにそれを包み込まれ、一瞬のうちに現実に引き戻された。
狼狽して、制止しようと手を伸ばしかける。
「ふふ、こんなに反り返って・・・」
股の奥から手前へとそこを清めながら桃色の舌がちらりと唇をなめるのを見てしまった。ズキン、と痛みに似た衝撃が身体の奥に響き、やりどころを失った手を力無く握りしめる。
「・・・ずいぶんと溜まっているようだねぇ」
包むようにやんわりと根本を握りこまれ、声もなく息を呑んだ。
上目遣いに見上げてくる、その切れ長の目。ぬばたまの闇よりもなお深い漆黒の瞳に囚われていく。
「---あ・・・っ」
表面に浮いた静脈にそって爪先でつうっとなぞられ、思わず声を立てた。
「声を殺すことはない・・・身体の感じるままに・・・」
「うっ・・・そ、こは・・・っ・・・」
根本を今度は強く握られ、背筋がぞくりと震えた。必死に頭を振るが、制止の言葉を発することができない。
たおやかな白い手にぐいと膝を割られ、長椅子へと押し倒される。濃い色の裾からこぼれた素肌が足に触れる。
敏感な箇所を時にやさしく撫でさすられ、責め立てられて次第に熱が昂ぶっていくのをありありと感じていた。
「あぁ・・・」
わななく吐息が自分のものなのかすら、もはや定かではない。決して悪寒ではない感覚が理性を鈍らせ眠らせていく。
まるで、麻薬のように。
(続く)