「どうでもいいよ、俺は」
感情を高ぶらせる遼の前から、俺はそう言って立ち上がった。
「待てよ!」
ああ、またあんなに興奮して。これ以上何を言っても無駄だ。あいつは聞きやしない。
誰かが遼を引きとめたらしいのを気配で感じながら、俺は部屋を出た。
くだらない。何をあんなにムキになっているんだか。
そのまま自分の部屋で読書を決め込んだ俺は、しばらくして背後の気配に気づいた。
「なんだよ」
「・・・どうでもいいって? 何が?」
笑うように伸は言った。つかつかと近づいてきて本を俺の手から奪い取る。
「返せよ」
「何もかもどうでもいいような人間は、哲学書なんか読まないよ」
本を右手に持ったまま伸は俺の背中にのしかかる。
「・・・それとこれは関係ない」
「へえ、”西洋中世の愛と人格”?」
両手を俺の頭越しに顔の前へ伸ばし、伸はタイトルを読んだ。
「いいから返せ」
追って伸ばした手から逃れて、伸の吐息が耳元で笑う。
「当麻、僕が好き?」
「・・・」
「どうでもいいって? それとも、好きだから約束できない?」
負ぶさった形で問う伸の腕を首周りから引き剥がして振り返る。そして見上げるようにキスをした。
「完全主義の当麻くん、どうでもいいなんて思ってもないくせに」
「思ってるさ」
もう一度引き寄せてくちづける。深く、心臓までもむさぼるほどに。
「今度は何の記憶?」
優しくあたたかく伸が尋ねる。それには答えず手を伸ばしてそのさらさらの髪に指を絡ませる。
「夢さ。ただの夢だよ、全部」
また今日も見た。
一代前の過去世に伸はいなかった。そして来世にも伸はいない。いまどれだけ伸を愛しても、それはたった一度の現世の夢でしかない。
もしこの予言能力が完全なものになったら、俺はどうなるのだろう。現世の最期を見ても、まだ生きられるのだろうか。あの、過去世のように。
「どうでもいいんだ」
今はただこの心地よい海に眠りたい。
「仕方ないねえ、当麻は」
伸はあきれたように笑う。
「おいでよ」
ベッドに腰掛けて伸が誘う。
どこかで見た光景。俺が遼を怒らせればこの結果にたどり着くことは、また予知夢の中に見えていたのだろうか。
ならば俺は策士だ。
「考えなくていいよ」
伸の声がささやく。
「分かってて甘やかしてるんだから」
伸を抱いていないと眠れない。陽が高い間も、伸の膝に眠りたい。せめてあの夢を見ないように。
「しん・・・」
そして夢の中では別の名を呼ぶのだ。いまこの瞬間の想いに嘘はなくても。命を失うほど愛したあの人を。ビロードよりも艶やかに、月よりも眩しく銀色に輝くあの髪を。
世界にただ一人と決めたはずだった前世の恋に熱く脳髄の奥底までも焦がして。
「大丈夫だよ・・・」
哀しく赦す伸の声に、俺はすべてを忘れた。
「伸・・・」
ひたすらその名だけを繰り返して、現世の記憶だけを生きるように。
時よ止まれ。人生よ、お前は美しい。
せめてあのファウストのように、この命の果てに平穏があればいい。
17th,Dec,1992