皆さん、こんにちは。
ラスベガス歴史体験型キュレーターのジャスティンです。
私はいつも思うことがあります。
人間のドラマは、境界線がある場所で生まれる。
国境
人種
文化
宗教
思想
そして、自然と文明
境界線が存在する場所では、時として争いが起こります。
しかし、その一方で、その境界線を越えようとした人々によって、新しい文化や価値観が生まれていくこともあります。
私が愛してやまないアメリカ西部の歴史もまた、その連続でした。
そして、その物語は、私がご案内するグランドキャニオンにも存在しています。
今回は、私が考える「グランドキャニオンを護った人々」について触れてみたいと思います。
1800年代
アメリカは大きな転換期を迎えていました。
南北戦争が終結し、東部では工業化が進み、鉄道は西へ西へと伸びていきます。
その一方で、西部では長い間続いていたネイティブアメリカンと白人入植者、そしてメキシコとの戦いも徐々に終焉へと向かっていました。
ワイルドウェスト
その言葉の裏側には、開拓者たちの夢だけではなく、多くの人々の苦悩や葛藤、そして文化の衝突がありました。
しかし歴史を振り返ると、アメリカ西部は争いだけによって作られたわけではありません。
理解しようとした人々
学ぼうとした人々
尊重しようとした人々
そんな人々によって築かれてきた歴史でもあるのです。
もちろん、私が大好きな国立公園もその一つです。
グランドキャニオンが国立公園になったのは1919年。
しかし、それは突然生まれたものではありません。
そこへ至るまでには、多くの人々の想いと行動がありました。
まず一人目は、第26代アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトです。
もし彼がいなければ、今私たちが見ているグランドキャニオンは存在していなかったかもしれません。
1903年。
彼はグランドキャニオンを訪れました。
そして、その圧倒的な景色を前にして、後にこんな言葉を残します。
「このグランドキャニオンを、そのままにしておきなさい。
人間はこれを改善することはできない。」
私はこの言葉が大好きです。
自然を征服するのではなく、自然の前で人間が謙虚であること。
それがルーズベルトの考え方だったのでしょう。
新渡戸稲造の『武士道』を愛読し、日本文化にも深い関心を持っていた彼らしい考え方だと感じます。
彼はグランドキャニオンの自然を護りました。
もし彼がいなければ、鉱山開発や無秩序な観光開発によって、現在とは全く違う姿になっていた可能性もあります。
彼はグランドキャニオンの「身体」を護った人物だったのかもしれません。
次に登場する人物が、ジョン・ヴァーカンプです。
グランドキャニオンへ行かれたことがある方なら、「ヴァーカンプス」という名前を聞いたことがあるかもしれません。
1898年。
彼はサウスリムへやって来ました。
まだ鉄道もなく、観光客もほとんどいない時代です。
彼はテントを張り、訪れる旅人たちへ品物を売り始めました。
やがてサンタフェ鉄道が開通し、多くの人々がグランドキャニオンを訪れるようになります。
彼はネイティブアメリカンの工芸品やアクセサリー、織物などを観光客へ紹介していきました。
もちろん、現代の価値観から見れば様々な意見があるでしょう。
しかし、当時のアメリカ社会において、ネイティブアメリカンの文化や芸術を価値あるものとして紹介した人物の一人であったこともまた事実です。
彼はグランドキャニオンを護ったというよりも、人々とグランドキャニオンを結びつけた人物だったのかもしれません。
そして、私が最も興味を惹かれた人物。
それがメアリー・コルターでした。
1869年。
彼女はミネソタ州で生まれました。
南北戦争が終わって間もない時代です。
ネイティブアメリカンに対する偏見や恐怖が、まだアメリカ社会に色濃く残っていた時代でもありました。
そんな中、彼女が11歳頃のことでした。
天然痘への恐怖がアメリカ社会を覆っていました。
当時は病気が物を介して感染すると考えられていた時代です。
彼女の家には、スー族によって描かれた絵がありました。
母親はそれを処分しようとしたそうです。
病気への恐怖。
そして時代が持つ偏見。
それらが重なっていたのでしょう。
しかし、幼いメアリーは違いました。
彼女はすでにネイティブアメリカンの文化や芸術に魅了されていたのです。
彼女はその絵を隠し、生涯にわたって大切に保管したと言われています。
私はこの話がとても好きです。
なぜなら、そこには理屈ではない感情があるからです。
好きだから守る。
好きだから残したい。
歴史を動かすものは、いつの時代もそういう気持ちなのかもしれません。
その後、時代は大きく動きます。
フレッド・ハーベイ社とサンタフェ鉄道が、グランドキャニオン観光を本格的に発展させていく時代がやってきます。
そして、その時代に一人の女性の才能が見出されました。
それがメアリー・コルターでした。
彼女はホピ族をはじめとするネイティブアメリカンの文化や建築を研究しました。
ホピ・ハウス
ルックアウト・スタジオ
ハーミッツ・レスト
ブライトエンジェル・ロッジ
ファントムランチ
そしてデザートビュー・ウォッチタワー
彼女はグランドキャニオンに関わる数多くの建築を手掛けました。
不思議なことに、彼女の建物は自己主張をしません。
まるで何百年も前からそこに存在していたかのように、自然の中へ溶け込んでいます。
私は時々思います。
メアリー・コルターは建物を設計したのではない。
体験を設計したのだと。
文化とは心です。
心がなければ、物質はただの物質です。
魂のない刀は鉄の塊です。
魂のない仏像は石に過ぎません。
しかし、人の想いが宿った瞬間、それは文化になります。
だからこそ、100年以上経った今でも、彼女の建築は私たちの心を動かすのでしょう。
ルーズベルトは自然を護った。
ヴァーカンプは人と峡谷を結びつけた。
そしてメアリー・コルターは、その魂を護った。
私はそう思っています。
歴史を見ていると、いつも感じることがあります。
人間のドラマは境界線の上で生まれる。
白人とネイティブアメリカン。
自然と文明。
開発と保護。
その境界線の上で葛藤し、時には争い、時には理解しようとした人々がいました。
メアリー・コルターもまた、その境界線を越えようとした一人の女性だったのかもしれません。
そして、その挑戦の先に、今私たちが目にするグランドキャニオンがあります。
次にグランドキャニオンを訪れた時は、ぜひ景色だけではなく、その景色を未来へ残そうとした人々にも思いを馳せてみてください。
すると、いつもの景色が少し違って見えるかもしれません。