皆さん、こんにちは。

 

お元気ですか?

 

ラスベガス体験型キュレーターのジャスティンです。

 

私は普段、グランドキャニオンやモニュメントバレー、アンテロープキャニオンなどのアメリカ西部をご案内しています。

 

キュレーターとして大切にしていることがあります。

 

それは、ただ絶景を見るだけではなく、その土地に刻まれた歴史や文化、人々の価値観を知ることで、旅を「体験」に変えることです。

 

時として、その体験が人生の見方を変えることもあります。

そんな思いから、ワイルドウェストで出会った様々な物語を書き綴らせていただいています。

 

さて、皆さんはナバホ族についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。

 

アメリカ最大の先住民自治区であるナバホ・ネーション。

グランドキャニオンやモニュメントバレー、アンテロープキャニオン周辺には、今も多くのナバホ族の方々が暮らしています。

 

近年では深刻な干ばつにより、水の確保が困難になり緊急事態が宣言されたこともありました。

 

私自身、この地域を何度も訪れる中で、彼らの文化や価値観から多くのことを学ばせてもらっています。

 

その中でも特に印象的だったのが、「自己紹介の仕方」です。

 

私たち日本人は、まず名字を名乗ります。

 

昔であれば、

     「どこの藩の者です」

     「どこの家の者です」

という形で、自分の出身や家柄を伝えていました。

 

一方、アメリカでは個人を中心に紹介することが一般的です。

 

"My name is John Smith."

 

まず自分の名前を伝える。

 

それが基本です。

 

ところが、ナバホ族の方々の自己紹介は少し違います。

 

彼らはまず、自分がどのクラン(氏族)に属しているのかを伝えます。

 

しかも、その際に母親側のクランを最初に紹介し、その後に父親側のクラン、祖父母のクランへと話が続きます。

 

初めて聞いた時、私はとても驚きました。

 

なぜそこまで家族や祖先を大切にするのだろう。

 

なぜ自分の名前よりもクランを先に語るのだろう。

 

調べていくと、そこには彼らの価値観が色濃く反映されていました。

 

ナバホ族の社会は伝統的に母系社会です。

 

子どもは母親のクランを受け継ぎます。

 

その理由の一つとして、

「父親は不確かな場合があっても、母親は確実に分かる」

という現実的な背景があったとも言われています。

 

また、家や羊、土地なども女性を中心に受け継がれてきました。

 

そのため、母親のクランは自分自身のアイデンティティーそのものなのです。

 

クランを紹介することで、

    「私はどこの共同体に属しているのか」

    「誰とつながっているのか」

を相手に伝えることができます。

 

私たちは個人として自分を説明します。

 

しかし彼らは、自分を共同体の一部として説明するのです。

 

ここに、ナバホ族の価値観が見えてきます。

 

彼らが大切にしてきた考え方の一つに「ホジョ(Hózhó)」という言葉があります。

 

ホジョとは、調和、美しさ、秩序、バランスを意味する言葉です。

 

自然と調和し、人と調和し、自分自身とも調和して生きる。

 

それが理想の生き方とされています。

 

彼らにとって豊かさとは、単にお金ではありませんでした。

 

羊の群れがあり、家族がいて、共同体とのつながりがあること。

 

それが財産だったのです。

 

一方で、ヨーロッパからやってきた白人入植者たちは、個人の自由と独立を重視しました。

 

自分の力で成功すること。

 

新しい土地を切り開くこと。

 

その価値観がアメリカという国を発展させていきました。

 

どちらが正しいという話ではありません。

 

共同体を重視する文化。

 

個人を重視する文化。

 

その二つの価値観がアメリカ西部という舞台で何度も衝突してきたのです。

 

私はその背景に、宗教や世界観の違いもあるように感じています。

 

キリスト教が個人の救いを重視する一方で、ナバホ族をはじめとする先住民文化は、大地や宇宙との調和の中に生きる意味を見出してきました。

 

そして現代。

 

グローバル化の波は、こうした伝統的な価値観にも大きな影響を与えています。

 

若者たちはスマートフォンを持ち、SNSで世界とつながります。

 

資本主義とテクノロジーは、私たちに多くの便利さをもたらしました。

 

その反面、共同体や伝統との結びつきは少しずつ薄れているようにも感じます。

 

これはナバホ族だけの話ではありません。

 

日本も同じです。

 

地域社会とのつながり。

 

家族とのつながり。

 

伝統文化。

 

そうしたものが少しずつ変化しています。

 

私は、日本人はある意味で中間的な立場にいるのではないかと思っています。

 

共同体を大切にしながらも、一人ひとりの内面を見つめる。

 

神道や仏教の教えの中には、その両方が含まれているように感じるのです。

 

今、世界は様々な価値観が交差する時代に入っています。

 

目には見えない境界線が、文化と文化の間に存在しています。

 

個人か共同体か。

 

伝統か変化か。

 

独立か調和か。

 

皆さんなら、その境界線とどのように向き合いますか。

 

境界線を越えて新しい世界へ進みますか。

 

それとも、自分のルーツや伝統を守り続けますか。

 

もしかすると本当に大切なのは、どちらかを選ぶことではなく、その両方を理解しようとすることなのかもしれません。

 

ナバホ族の自己紹介から、そんなことを考えさせられました。

 

皆さんはどう思われますか?