― オリーブ・オートマンと、境界に立つアメリカ ―

アメリカの「境界」を紹介していくシリーズ、
Curating the Boundary of America

こんにちは。
ラスベガス歴史研究家のジャスティンです。

私は歴史家であり、同時に体験型のキュレーターとして、19世紀から20世紀にかけてのアメリカを「出来事」ではなく、「境界」という視点から紹介していきたいと考えています。「境界」という言葉を言い換えれば、「狭間」という言葉、「衝突」という言葉がいいのかもしれません。白人入居者と先住民族、勝者と敗者、文明と文明の境界であり、狭間であり、衝突の場に人間としての本質、ドラマがあるのです。




皆さんは、この女性を知っているでしょうか。

19世紀のアメリカで、顎に青い入れ墨を施した白人女性が、大きな注目を集めました。
彼女の名は Olive Oatman(オリーブ・オートマン)

 

彼女の人生は、アメリカ西部史の中でも、極めて象徴的な「境界」に立たされたものでした。


1851年、境界で起きた悲劇

1851年2月。
オリーブは14歳でした。

彼女の一家は、当時のアメリカ社会に広がっていた宗教的理想――モルモン教系の新宗派(いわゆるブリュースター派)の教えを信じ、「約束の地」を求めて西へと向かっていました。

その道中、一家は現在のアリゾナ州南西部、ギラ川(Gila River)流域で野営します。
そこで彼らは、ヤヴァパイ族(Yavapai)の一部集団と遭遇し、結果として家族のほとんどが殺害されました。

生き残ったのは、オリーブと幼い妹メアリー・アン、そして重傷を負いながらも後に生還した兄ロレンゾのみでした。
オリーブと妹は捕虜として連れ去られます。

この出来事は、しばしば「野蛮な襲撃」として語られてきましたが、当時の南西部は、白人移住者の流入、資源の枯渇、報復の連鎖によって、あらゆる関係が極度に不安定化していた時代でした。
ここに単純な善悪は存在しません。



二つの部族、二つの運命

オリーブと妹は、最初はヤヴァパイ族のもとで過酷な労働を強いられます。
しかしその後、交易の一環としてモハヴィ族(Mojave)へと引き渡されました。

ここで、彼女の運命は大きく変わります。

モハヴィ族は、彼女を奴隷としてではなく、養女として迎え入れました
彼女は言語を学び、衣食住を与えられ、共同体の一員として生活します。

しかし1860年代初頭に起きた干ばつと食糧不足の中で、妹メアリー・アンは命を落とします。
オリーブは、再び一人になりました。

そしてこの時期、彼女はモハヴィ族の慣習に従い、顎に青い刺青を施されます。

それは罰ではなく、烙印でもありません。
「死後の世界で、祖先に自分が誰であるかを示すための印」――
つまり、完全に共同体の一員として認められた証でした。



1856年、白人社会への「帰還」

1856年、フォート・ユマに駐留していた米軍の交渉により、オリーブは白人社会へと戻されます。
彼女は19歳になっていました。

その顔に刻まれた青い刺青は、瞬く間にセンセーションを巻き起こします。
彼女は「救出された白人女性」として語られ、1857年には Life Among the Indians という書籍が出版されました。

しかしこの本は、本人の回想というより、当時の白人社会が求めた「物語」に強く編集されたものでした。
そこに、オリーブ自身の内面の言葉は、ほとんど残されていません。

重要なのは、彼女が生涯にわたってネイティブアメリカンを公に非難することはなかったという点です。

彼女は後に銀行家ジョン・フェアチャイルドと結婚し、静かな生活を送りました。
それでも、彼女の顎の刺青が消されることはありませんでした。


彼女の名を持つ町、オートマン

オリーブ・オートマンの名は、後に一つの町に残されます。
それが Oatman(オートマン) です。

この町は20世紀初頭、金鉱の発見によって栄えました。
しかし鉱脈の枯渇とともに人々は去り、町は衰退します。

鉱山で荷役を担っていたロバたち――burrosは放たれ、野生化しました。
彼らの子孫は、今も人を恐れることなく、町を歩いています。

やがて Route 66 が開通すると、オートマンは宿場町として再び息を吹き返します。
しかし高速道路の時代が訪れると、再び取り残されました。


アメリカの開拓期を実感させられる街です。



境界に立たされた人生

オリーブ・オートマンの人生は、

  • 白人社会と先住民社会

  • 信仰と現実

  • 文明と野生

  • 語られた歴史と沈黙

そのすべての境界線の上にありました。

彼女はどちらか一方に回収される存在ではありません。
だからこそ、この物語は今も私たちに問いを投げかけます。

アメリカとは何か。
誰の歴史が語られ、誰の声が沈黙してきたのか。



私は、この「答えの出ない場所」こそを展示したい。
それが、Curating the Boundary of America というシリーズの意味です。

境界は、越えるためにあるのではなく、
見つめ直すためにあるのかもしれません。