五分で分かる、アメリカ南部音楽 その1 | ♡お気楽ブログのロックとソウルと歌謡曲♡

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前回の話では、サザンソウルについて、なにも説明しなかったので、ごくごく簡単に、お話します。(・・。)ゞ


今回再販されたスプナー・オールダムは、ダン・ペン、ドニー・フリッツと並び、私が好きなマッスルショウルズなどで、活躍したサザンソウルの人気ソングライターだった人達です。

この、アラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオとフェイム・スタジオは、

60年代に、テネシー州のメンフィスのスタックスやハイ・サウンド、アメリカン・サウンドと並んで、当時、もっとも芳醇なアメリカのサザンソウルを、量産していたスタジオで、上げたらきりが無いほどの名作が作られました。


この頃のアメリカ南部の音楽の魅力は色々ありますが、都市部と違い、白人と黒人が協力しあって作り上げた音楽であったことが大きいと思っています。
都市部にも、対等に白人黒人で作られた音楽はありますが、当時これほど大量に、一つの地方の町で作られた事はないと思います。


このスタジオでは、ソングライターや、スタジオミュージシャンは、ほとんど白人でした。
これは、メンフィスでも同様で、ハウスバンドは白人または、白黒混合バンドでした。
また、サザンソウルの最重要プロデューサーのジェリー・ウェスクラーも白人です。


その当時、アメリカ東部で、圧倒的にヒットを放っていた、モータウンが、ハウスバンド、ソングライターのほとんどが黒人だった事を考えるととても対照的なことです。


このスタジオのプレイヤーは、多くがナッシュビル辺りからの、カントリーミュージックの流れを汲んだ、腕利きのミュージシャンで、それが、ゴスペルやブルース感あふれる、素晴らしい黒人歌手との共同作業によって、カントリー+R&Bという、新しいハイブリットなソウルミュージックを生み出しました。

そして、その音楽が人種問題とベトナム戦争でゆれるアメリカの黒人はもとより、白人マーケットでも成功します。


これが、当時最も人種差別問題が激しかった(アラバマはKKKの本拠地でもあります)南部で起きたことが、アメリカ音楽の面白く深い所です。


しかし、この関係もキング牧師暗殺を発端にした暴動によって崩れていき、サザンソウルは70年代に入ると急速に衰退していきました。


そこで、マスルのスタジオミュージシャン達は、サザンソウルに魅せられ外地から来た、ロック系ミュージシャンと積極的に関わった作品を、徐々に発表していきます。
これを、俗に「マスル詣で」といわれています。有名なマスル詣では、ローリング・ストーンズ、ポール・サイモン、ボズ・スギャックス、などなど。


そして、ライターやスタジオミュージシャン達、裏方の人たちも、70年代に入ると、折からのシンガソングライターブームもあり、次々とアルバムを発表していきます。
その中で、もっとも成功したのは、オールマン・ブラザース・バンドのデュアン・オールマンです。
彼も、ここでスタジオミュージシャンをしていた一人でした。


マスルでの演奏は、このアルバムで、気軽に聞けるので興味のある方は、お勧めします。
DUANE ALLMAN 「ANTHOLOGY」 二枚組みです。名演の目白押しです。


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このジャケ写真好きなんですよね~

つづく・・・・・・(^-^)ノ~~