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自分の生きる時代を表現して愛して死んでいこう

先月の終わりに、24歳になりました。

ここ数日色々と複雑な日々を送ってる気がする。24歳の誕生日を境に思う事や感じる事が色々と濃くなって、もちろん嬉しい事や楽しい事もあるんだけど、悩んだり考え込んだりしてる時間の方が圧倒的に多い。
「24歳」ってすごい中途半端な年齢だけど、なぜか今まで以上に歳をとる事を意識した。確実に大人になってるんだなと。だからこそ自分は今までどんな生き方をしてきたんだろうとか、これからどんな生き方をしていくんだろうとか色々考えてしまう。今まで本当にダラダラと生きてきたから、「いい加減ちゃんとしないとな、俺」っていうことはよく思う。そう思うようになってからは、ほんのちょっとずつだけどちゃんと自分の人生を描いていこうとしてる。ありきたりだけど、「一度きりの人生」だから。自分の色を持って、人生を謳歌しないと勿体無いから。
なによりもやっぱり一番大切なのは、自分の好きな事、やりたい事を思いっきりやるということ。やりたくても出来ないとかいう人もいるかもしれないけど、それは今だけかもしれないし、もうちょっと時間が経てばやれるようになるかもしれない。逆に今思う存分やれている人たちは、時代が変わるにつれてやれなくなってくるかもしれない。でもそれもまた変わっていくことで、さらにその先の時代になればまたやれるようになるかもしれない。
僕は今毎日のように自由に絵を描いているけれど、これも時間が経ってもっと大人になっていく上で色んな縛りやしがらみのせいで自由に描けなくなってくるかもしれない。でもさらにその先の時代には、必ずまた自由に表現できる時がくると信じている。自分のやりたい事、表現したい事を忘れずに、本当の自分を見失わない限り必ず自分にとって素晴らしい時代がくると。
そういう時代の流れの中で、その時にしか表現できないものがある。今は今しか描けない絵がある。だからこそ僕はこの先全ての時代を大事にしたいし、その時代の表現をしていきたい。僕は今24歳になったばかりで、今しか描けない絵を描いている。24歳としての表現をしている。表現者としての自分を愛して、この時代の表現を忘れずにこの先の人生を生きていこうと思いながら。

結局何が言いたかったのかよく分からなくなってしまったけど、僕はやっぱり絵を描いたり表現する事が好きなんだということ、これからもそういう思いを大切にしたいということ、そしてそういった好きな事に度々救われているということ。だからこそそういう思いや歴史をこれからも大切にして、もっと自分を、自分の表現を愛して全力で命を謳歌していこうかっていう事を再確認したかったのかな。

もう一つ、救われたということにおいて「友達」という存在の大きさに改めて感謝したい。
様々な言葉を投げかけてくれる中で、綺麗事だけではないけどそこにはそれぞれの愛や優しさが感じられる。ただ一緒に遊んでくれたり、同じ時間を共有しているだけで僕の心は救われた。今この複雑な時代を生きていくなかで、これ程大きな存在を失ってはいけないと強く思った。だから今ここで、改めて「ありがとう」を言いたい。これから先もっと複雑化していくであろう時代を、まだまだ先の長い人生を共に生きていけることを信じて。

最後に、これまで長い間絵を描き続けてきた自分に、一旦「お疲れさま」と。

Happy Xmas ~世界に平和を、人々に愛を~

気が付けばもうすぐクリスマス。世界が輝く日がやってくる。

そんな聖夜に対して、人それぞれ思いは様々。愛する人と最高の一日を過ごす人、クリスマスなんてと自分から忌み嫌う人、特に意識もぜず普通に過ごす人、そう思いつつも内心ちょっとドキドキしてる人。とにかくクリスマスに対する思いは色々。これほどまでに「一日」に対する思いがバラバラな日も珍しいと思う。

今の世の中、クリスマスといえば「好きな人」と過ごす日という認識が広まっている気がする。それによって、そういう相手が居ない人達は「クリスマスなんて」とどんよりする。そんな今のクリスマス事情に関して、あえて今触れてみようと思う。少しだけ。


“クリスマス=好きな人と過ごす日”という認識が強まる今の世の中において、「クリスマスに好きな人と共に過ごす」なんて最高のシチュエーションは誰しもが必ず一度は思い描くことだと思う。勿論自分もその一人。

だからといって、その日までに焦って恋人を作ろうとしたり、逆にどうせ恋人なんていないしできないんだからとクリスマスという日を毛嫌いするようになってしまうのはなんか疑問を感じる。「クリスマス」という日に対する感覚が、どうも変な感じになっていってる気がする。

勿論、好きな人がいる人はその人と最高の一日を過ごせればそれはなにより素晴らしいことだと思う。反対にそういった相手が居ない人でも、最高の友達、仲間と過ごすことで素晴らしい一日になる。男同士だろうが、女同士だろうが、気の合う仲間達と笑って騒ぐクリスマスも大いにアリだと思う。

「クリスマスはこういう日だ」という偏った価値観にとらわれず、クリスマスはクリスマス、みんなが楽しく笑顔で過ごせるただ「特別な日」というくらいの感覚でいいんじゃないかなと。


今となっては、クリスマスの本来の意味や由来なんてものはまったく意識されなくなってきたのも事実。だからこそ、クリスマスというのはもはや新たな一つの「特別な日」だと思う。

新たな「クリスマス」が、これから先多くの人にとって笑顔の絶えない輝ける一日になることを願ってます。


愛する人、最高の仲間と、素晴らしき一日を。


それではみなさん、メリークリスマス。

僕と家族と愛と死と。

「家族」というものをみんなはどう思っているんだろうか。当然人それぞれ思うことは違うだろう。年齢によって違えば、家庭環境、様々な事情により変化していくこともある。僕自信、これまでの人生の中、様々な経験をしていくなかで、家族に対しての思いは変化してきた。当然一度は、ウザいだとか、むかつくなどと思ったときもあれば、あまり関わりたくないなんて思ったときも一時期あった。やはり中学から高校までの間が、そういったマイナスの感情を持つことが多かった気がする。でもそれから現在までの間で、そういった感情を持つことは少なくなってきてる。これを成長と言っていいのか。自分でも具体的にどういった変化があったのかわからないけど、家族に対しての思いは優しくなってきている。受け取る愛の大きさに気付いたとき、僕は幸せなんだと改めて思った。だからこそ、これからは僕も大きな愛を放っていかなければならない。

「家族」のなかでも、やはり「親」という存在は大きい。なにより「父親」という存在。僕は父親を尊敬している。でも、不覚ながらその存在を失ってから、父親の大きさに気付いた。これまで自分が生まれてから成長していくにつれ、父親との会話はどんどん減っていった。正直、自分の父親が具体的にどんな仕事をしていたのかも知らない。まだ「尊敬する父親」ではなく、「父親」でしかなかった。ただ、それでも父から感じる愛は大きかった。僕は自分の父が亡くなったとき、とにかくその存在の大きさに圧倒された。その時はただただ、これが僕の父親「だった」んだと、悲しさと後悔で涙を流した。様々な人たちに愛されていた父親を見て、僕もこんな「父」になりたいと、強く思った。ここまで周りから多くの愛を感じて、それ以上に周りに、なにより家族に大きな愛を放っていた父親を、僕は尊敬している。

今の時代、親が子どもを殺し、子どもが親を殺すなどといった事件が、当たり前のように日々起きている。なぜそんな事をしてしまうのか、そこまで感情が狂ってしまうのか。環境に原因があったり、それぞれ個人の感情がどうであれ、自分の「家族」を殺すなんてことは絶対にあってはならないと思う。この地球上で誰よりも、愛する存在だと思うから。

僕らはみんな、「親」という存在があったからこそ今ここに生きているんだということをもっと考えなければいけない。今の「父」と「母」がいるから、今の「自分」という存在がある。それを忘れてはいけないと思う。その思いを心に留めて生きていけば、たとえこれから先親との関係が悪くなる事があったとしても、また愛していけるはずだから。家族に対する思いというのは、悲しいかなその存在を失った時に一番強くなると思う。さらに言えば失って初めて思うなんて人もいると思う。だからこそ共に生きている間に、お互いに愛を分かり合うべきなんじゃないかな。そうすれば、世の中の悲しいニュースも減る気がする。

誰しもが、まず「家族」を大切に思うことで、この世の中はもっと良くなるはずだ。

最後に、僕は今日「死」に対して悲しい感情を記したのではなく、いい意味で家族というものに対する思いを語りたかった。ただそれだけだ。僕は今、家族から計り知れない愛を感じているから。