温かいです、気温が14℃の昼頃

お散歩がてらスーパーへ。

車で行くよりも気楽。

駐車場は殺気立っていて怖いです。

 

帰り道のとある会社の庭園

植え込みの山茶花をスマホで一枚

 

山茶花とつづって「さざんか」と読みます。

演歌「さざんかの宿」は

この花がいっぱい咲いているのか…

今日は暖かい日差しを浴びて色もきれいでした。

 

2026.02.21 山茶花

 

はい、記念日続きで本日は、漱石先生です。

まずはお写真を…

お札の肖像に使われたお写真だったかな?

なかなか知的なお顔立ち。

 

 

1911年(明治44年)のこの日、文部省が作家・夏目漱石に

文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、

漱石は「自分には肩書きは必要ない」として

辞退する旨を書いた手紙を

文部省専門学務局長の福原鐐二郎に送った。

この逸話に由来して2月21日は

「漱石の日」と呼ばれる。

また、夏目漱石の忌日である12月9日は

「漱石忌」となっている。

 

webサイト 雑学ネタ帳 より抜粋
 

夏目漱石の作品読んだことある?

 

はい、日本文学の倉庫みたいな作家さんですから。

学生時代にも読みましたし

「吾輩は猫である」の初版復刻版も明治村で購入。

あの当時のご本は、ページの上の部分が袋になっていて

ペーパーナイフでカットして読んだのですね。

もったいなくてカットできず書棚の飾りになってます。

 

吾輩(猫)は名前がない。

飼い主は「くしゃみ先生」

吾輩は飼い主の日頃飲んでいるお酒を呑み

千鳥足で歩いていて手水に堕ちておぼれて昇天

この結末、なんだこれ!!と思ったものです。

 

三部作も大人になって朝日新聞の連載で読みました。

坊ちゃんも面白い。

 

松山へ足を運んで坊ちゃん団子もいただきました。

思えば漱石先生とはだいぶご縁があります。

 

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昭和時代前期のプロレタリア作家・小林多喜二

(こばやし たきじ)の1933年(昭和8年)の忌日。

 

webサイト 雑学ネタ帳 今日は何の日 より引用

 

小林多喜二について
1903年(明治36年)12月1日に

現在の秋田県大館市に生まれる。

小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)を卒業。

初め志賀直哉、ドストエフスキーらに傾倒して

小説家を志す。

 

後に労働運動、社会主義思想に接近し、

プロレタリア文学運動の地方組織に参加。

特高警察の拷問と、それに耐える党員労働者の

人間像を描いた『一九二八年三月十五日』(1928年)で認められ、

『蟹工船』『不在地主』(1929年)、

『工場細胞』(1930年)などを発表する。

webサイト 雑学ネタ帳 より引用

 

北海道小樽市の街中に「地獄坂」という坂があり

その先の一番傾斜のきつい先に

小樽商科大学(旧小樽高等商業学校)があります。

20数年前、初めてその坂を上った時

持っていた日傘を杖代わりに登り

 息が上がったことを記憶しています。

 

傍らを現役大学生が足早に上がっていきます。

これは毎日はつらいね…なんて思ったものです。

 

若かりし多喜二も息を弾ませ

この坂を上ったのだろうか、想像しながら

歩く途中には、小さな教会や木造の小学校があり

私はこの場所が好きになった。

地獄坂から振り返って見える小樽の街と海

四季を通して何度も歩いた場所でもあります。

 

地獄坂を過ぎて突き当りを右に入るところに

小林多喜二の石碑がひっそりとたたずんでいました。

 

共産党に入党し党活動中に逮捕され拷問により虐殺された…

という記述には何度読んでも胸がふさぐ時代の話です。

29歳という若さで人生を絶たれた無念は

先の石碑の前に立つと

うっそうとした雑木林の中

声が聴こえてきそうでした。