辛かったら、逃げる手段として命を経つのは仕方ないことだと思う。
けど、今のような時代、誰もが行動に制限されていて、いつ、どこで、誰が感染し、時に死に至るような状況化で、あえて、自ら命を経つ必要はあるのだろうか?あったのだろうか?
あたしは、2016年に病気で生死について考える機会をもちました。実は、その切羽詰まるまで、イヤ、正確には切羽詰っても、自分自身としては、それほど、死ぬことへの抵抗感はなかった。
実は今でもそう。毎日、自分なりの悔いのない生活をしているから。

でも、周囲の反応を目の当たりにして、生きている事?意味?を考えさせられた。

人(私)は、周囲に生かされているのです。
今まで生きてきて、何度か死にたいと思う事もあった。迷惑をかけずに逝くには?みたいなことを考え、試みた事もあった。

けど、実際病気になったとき、生きられるための最善の治療をしようとしていた自分に気がついた。
その思考を客観的に観ている自分がとても不思議で、またこの場に及んで実は生きたいのね!なんて、自分に驚いたりもした。

やれるだけの事をやって、ダメなら仕方ないと思えるみたいな思考回路。
一方で、現在を普通に過ごせなくて、耐えて、未来に希望を見出すことが正解なのか?
的な考えもでて、一旦、親にダメな弱い自分、話した事もあった。
という事は、あたしはその時、生きたかったのか?

いつ死んでも良いと思って生きていたのに、直面したら、実は生きようとしていた。
我ながら不思議な事で、今でも明確なことは言えない。

ただ今回の三浦春馬さんの死については、やっぱり多くの人を悲しみにさせていて、私も毎日泣いています。特別にファンではないけど、なぜか結構なショックです。だから、身近な方たちの悲しみは、計り知れないと思います。

意外と自分が思っているより、周囲は自分がこの世からいなくなることに空虚、絶望感を抱く事に気がついて、もうちょっと弱く生きても良かったのかもしれないのかな。でも、まだまだ若くて分かり得なかったかな。
でもホントに辛く悲しい出来事でした。
中村倫也さんには、私より先に亡くならないで頂きたいと節に思う今日この頃であります。。