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70年代おやぢのつぶやき

リアルタイムに70年代を過ごしていまでも心に残ってる出来事や音楽、映画等を書いてみます。

ローリング・ストーン誌の2007年2月号でジョン・フルシアンテ、デレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト(The New Guitar Gods)」に選定されたジョン・メイヤーが2005年に、ザ・フーのサポートメンバーとしても知られるピノ・パラディーノ(Pino Palladino, ベース)、エリック・クラプトンなど数多くのミュージシャンのバックでドラマーを務めるスティーヴ・ジョーダン(Steve Jordan, ドラムス) と結成したギタートリオである。

私はヒットチャート常連のシンガー&ソングライターとして、かろうじて名前は聞いた事があるな程度のジョン・メイヤーだった。

3年前に長期入院を強いられた時に、持ち込んだMDを聴き飽きてしまい、バンド仲間に何かMDに録音して見舞いがてら持って来てくれと頼んだところ、「今どきMDかよ」と・・・

そいつがipodシャッフルに適当に色々入れて見舞いにくれた中にジョン・メイヤー・トリオのライブがあった。

「誰これ?カッコいいじゃねぇか!」

私の大好物のギタートリオで、ジミのカバー「ウェイト・アンティル・トゥモロウ」までやってやがる。

入院中のお目覚めミュージックがジミ・ヘンドリックスだった私が食いつかないわけが無い。

調べてみると1977年生まれで13歳でギターを始め、スティーヴィー・レイ・ヴォ-ンが大好きなブルース少年でジミにも大きな影響を受けているらしい。

YouTubeで検索すると、ジミのカバーがやたら多いのも私が気に入ってるとこである。

24歳でメジャーデビューし、数々のヒットを飛ばし、2年後には「ユア・ボディ・イズ・ワンダーランド」というシングルで、グラミー賞のMale Pop Vocal Performance(男性ソロアーティストの優れた歌唱に贈られる)を受賞。

デビューからたった4年で自分のトリオを凄腕のリズムセクションで好きな自身のルーツ・ミュージックを楽しんでるとは・・・いやはや、もの凄い才能の持ち主である。  
ハンブル・パイと言えば、スティーヴ・マリオットのソウルフルな唄が売りである。
しかし結成の中心的役割は、後にソロとなってポップ路線で大ヒットを飛ばしたピーター・フランプトンらしい。

スティーヴ・マリオットは1965年からロニー・レーンと"スモール・フェイセス"で活動していた。
1969年にハンブル・パイはデビューするが、スモール・フェイセスとハンブル・パイの関係は諸説あって、マリオットがハンブル・パイ結成のために脱退し、第1期ジェフ・ベック・グループ解散後のロッド・スチュアート、ロン・ウッドがスモール・フェイセスに加入したというもの。ロッド・スチュアート、ロン・ウッドが加入したため、マリオットの居場所がなくなり乗っ取られたという説。ま、噂は噂。世間は面白い方を真実と取りやすい。

結成時のメンバーは
スティーヴ・マリオット(リード・ボーカル、ギター、キーボード・元スモール・フェイセス)
ピーター・フランプトン(リード・ボーカル、リード・ギター・元ハード)
グレッグ・リドリー(リード・ボーカル、ベース・元スプーキー・トゥース)
ジェリー・シャーリー(ドラムス)

ハンブル・パイは1970年頃から、マリオットの持ち味であるソウルフルな歌が前面に押し出されはじめ、彼らのフィルモア・イーストでのステージを捉えた「パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア」は当時最高のロック・ライヴアルバムの一つと評価された。

私も大好きなこのライブ・アルバム、「フォー・デイ・クリープ」に始まり、レイ・チャールズのカバー「アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター」で絶頂を迎える。

このライブ・アルバム後にピーター・フランプトンが脱退し、元コロシアムのデイヴ "クレム" クレムソンが加入し、バンドはマリオットを中心とするブルース、ソウル路線により一層進むこととなる。1972年の「スモーキン」では「サーティ・デイズ・イン・ザ・ホール」がヒットし、後にミスター・ビッグがカバーをしている。

1973年に「イート・イット」(1974年発表)のメンバー(スティーリー・ダンのバックも務めた黒人女性コーラスグループ、ブラックベリーズを含む)で来日。不運にも、ベック・ボガート & アピスと時期が重なったため、話題をさらわれてしまった。

「イート・イット」に収められた「ブラック・コーヒー」などはブラックベリーズのコーラスも含め、完全にソウル・ミュージックであった。
この頃から絶え間ないツアー活動によりバンドが疲弊。1975年の「Goodbye Pie Tour」の後に解散した。

1980年にマリオットはシャーリーと共に、なんとギターにボブ・テンチ(元ジェフ・ベック・グループ)、ベースにアンソニー「スーティ」ジョーンズを加えハンブル・パイを再結成する。再結成ハンブル・パイは2枚アルバムをリリースしたが、間もなく解散した。

ボブ・テンチ加入で再結成と小躍りしたのだが、出来はいまいちで「パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア」~「イート・イット」までが黄金期だったのだろうか・・・

1991年ソロ名義で来日が決まり、早速チケットを買い楽しみにしていたのだが、直前に自宅の火事で焼死してしまった。
盟友ピーター・フランプトンと再会するし、時を経てお互いを認め合い意気投合し、二人で活動を再開する予定を立てていた矢先のことだった・・・
最初に触ったギターは私が12歳の時に兄貴が6000円で買って来たガットギターだった。
兄貴はあっという間に飽きて私のモノになった。

中学1年の時に同級生とベンチャーズのバンドをやることになったのだけれど、当時の日本のメーカーといえばグヤトーン、テスコくらいしかなく、それでも中学生が買えるような値段じゃなかった。

アキバで5000円のセミアコを見つけたが、弦高の調節ができないためネックを外して木の板を噛ませてネックの角度を変えて使ってた。

中学2年の頃からロックに目覚め、グレコがギブソンやフェンダーのコピーモデルを生産し大ヒットとなる。
故成毛 滋氏をアドバイザーとしてレスポールモデルが大人気となるが、私はなぜかSGモデルに惹かれた。

高校に入った頃に友人からグレコのSG-300(定価3万円のデタッチャブル・ネック)を買うが、当時の日本のアンプではペケペケの音しか出ないため、マクソンのパワー・ブースターを無理やり内蔵してしまった。
高校3年の頃、エルクのストラトを借りパクしてたがこれは使い物にならなかった。

ここから怒濤のSG遍歴が始まった。

大学に入った時に今では幻のメーカーとなってしまったギャバンのSGを買った。
これが良く出来たSGで定価5万円でセット・ネックだった。

バンドと麻雀に明け暮れていたので、バイトなどしないで食費を削ってギターやレコードを買っていた。

当時はSGは人気がなくギブソンのオールドでも10万円台で売っていた。
もちろん私もついにギブソンを手に入れた。
オールドではなく現行中古のミニ・ハムバッカーのSGであった。

次に手に入れたのは60年代後半のSGスタンダードだった。
板バネ式のトレモロ・アームがついていたが、使い物にならないのでストップ・テイルピースに変えた。

ここまでは前のギターを売って次のギターを買うという言わばリサイクルだったが、次のSGは違った。
ボロボロでオリジナルパーツがほとんどない62年のSGスタンダードを衝動買いしてしまった。

やたら軽いのだが、ボディーが良く鳴るSGで不思議な事にアウトプット・ジャックがレスポールと同様にボディー側面にあるのだ。どうやら試作品のようである。

20代の後半まで2本のSGで自分のバンドやバックバンドの仕事などをやっていたが、不運にも2本ともネックを折ってしまった。デモ・レコーディングの前日だったので慌てて渋谷のイシバシに物色に行き、ジャパン・フェンダーのインチキテレキャスターを買った。
ボディーとネックは真っ黒塗装でコイルタップができるオープン・ハムバッカー×2、ロックナットでフロイド・ローズもどきのアームという、いかにも80年代仕様で定価5万5千円の30%OFF。それを10回分割で買ってなんとか仕事には間に合った(笑)

しかしジャパン・フェンダー恐るべし。こいつが一番稼いでくれた。

SGは2本とも修理したが、不思議な試作モデルだけ残して売ってしまった。

40代になり、ストラトが欲しくなった。
ちょうど友人が73年のナチュラル塗装、メイプル指板のストラトをある時払いでいいからと・・・

ギブソンとはボリュームのつまみとスイッチの配置が違うので、ストロークしてるうちにボリュ-ムのつまみに触って音が出なくなったり、ピックアップセレクターを動かしてしまいチャラチャラの音になったり慣れるまで神経を使った。

そして5年前にゴールド・トップのレスポール・スタンダードを手に入れた。
57年ヒストリック・コレクションってヤツだが、これも手強い。
馴染みの楽器屋に8本ほどあった中で一番ボディーの鳴りが気に入ったヤツなのだが、ネックがやたら太い。
そして当然重い。

レスポールは憧れであったけれど弾けないギターNo.1だった(笑)

いまはこのレスポールとストラトで爆音出してます。