呼ばれお話に参りました。

祈り!
すべてのすべてが安泰と!
すべてのすべてが幸多かれと!
すべてのすべてに感謝申し上げ!
すべてのすべてに御礼申し上げ!
光の柱を立て。
優しい風に包まれ、許しなさい。
私の中の怒りを愛に変えて下さいました。
{5B36F802-9AEA-4A1A-8000-8454D133AB32}

{1DB8AE8F-9DE9-4DD4-9614-D536010A0B0C}

{C38470F0-ED91-4BD4-AD52-A97B90BAE090}

{79FF2334-78A7-41D3-9D9A-39A6499E6286}

{B8AAA96E-525D-4B39-94A4-C5EB5C48A359}

 高森阿蘇神社(矢村社)
御祭神 健磐龍命・阿蘇都媛命外十九座
由緒 
 元この神祠は、この山の中腹にあったという。本来山の神の信仰に起るものであろう。
この社は矢村社又は矢村大明神と称しており現在名は明治以降のことである。
 矢村社と称する由緒は「健磐龍命 阿蘇国に降り国土開発の時住むべき宮居を定めんと阿蘇山上に登り南北に向って卜矢を放つ、その一矢は今の一の宮町(宮地)なる十二の宮の地に落ち、一矢は南なるこの所の大石に当たれり、これ今の御矢村の石にして寸余にわたる矢じりの跡を残すという。
その矢朽ち果てたるにより、新たに神像を奉安してこれに替え鎭祭す」とある。
 思うに本社はもと山の神に始まり農耕神として祀られこの社でその年の農凶を占う矢を射るなどの神事が行われたため起った社名ではなかろうか。
 中世に於いて南郷谷で水田に恵まれた豊作の地はこの社の西方市下・津留・中郷・竹崎それに連なる白川吉田の地であったろう。
 矢村社はこの地域を眼下にする景勝の地(宮山)で深い森林に覆われていたであろう。
社はモリと呼ばれ聖なる樹林はモリでありヤシロとも崇められた。またその在る処は冬野と呼ばれるがミタマノフユ(神の恩頼)にあたるか、高森の地名もこの社の山の高い森に起因するのであろう。

南郷桧の母樹 
 昭和三十年九州大学佐藤教授に発見され命名
 江戸時代細川藩主の帆船泰宝丸の帆柱として使用された。
豊年桜 
 宮山の中腹に在り、三百年を越す銘木(県の七本に入る)で毎春南郷谷では一番早く咲く桜として
 有名
石鳥居 
 元禄七年に建立され三百年を経、県下で十番目に古い。
手洗鉢 元禄十一年造である。
絵馬  嘉永・文政年間等あり。
夫婦杉 神殿左にあり、専門家に好評
境内  昭和六十年県民投票による「くまもと緑の百景」の一つに選ばれている。
観音  付属観音として信仰が厚い。
 *是より一キロ先道路右下、公孫樹の下御堂の中に立派な阿弥陀坐像が鎮座坐します。
(境内由緒掲示板より)